すべての芸人にリスペクトを込めて笑いに向き合う。アマチュア史上初のR-1ファイナリスト・どくさいスイッチ企画の知られざる素性に迫る。


もともと大学の落研出身で、就職後も社会人落語と1人コントをしていました。大喜利好きの奥さんに支えられながら活動しています。

どくさいスイッチ企画さんはいつからお笑いを始めたんですか?

もともと漫才が好きで、大学に入ったら漫才をやろうと思っていたんです。当時は今みたいに学生のお笑いサークルがなくて、僕の大学には落語研究部しかなかった。だけど新歓の寄席で観ておもしろかったので、落研に入ることに決めました。僕、高校時代は演劇部に所属していて、発声の基礎もできてるしセンスもあると思ってたから、落研の先輩たちより自分の方がずっとおもしろい自信があったんです。入ってしばらくして1回生が先輩と一緒に落語を披露する寄席があって、僕もウケたんですけど、先輩の方が圧倒的におもしろくて。まさに実力を見せつけられて、これは完敗だ……と感じました。そこからグッと落語にのめり込むようになったんです。

原点は落語なんですね。

表情や声の抑揚を工夫するだけで伝わり方が変わると知って、おもしろさって習得できるんだと感銘を受けましたね。先輩にアドバイスをもらいながら突き詰めていくと、わかりやすくお客さんの反応も変わるのが興味深くて。もちろん、その日のお客さんによってウケ具合は変わると思うけど、おもしろさって理論でどうにかなる部分もあるんだとわかりました。

それはネタ作りに通じる部分もありますね。最初は漫才がやりたかったとのことですが、コンビを組んだりもしてたんですか?

学祭の時に同期と即席コンビを組んだこともあったけど、基本その場だけでしたね。継続してコンビを組んだ経験はないに等しいです。

落語からお笑いに舵を切った経緯が知りたいです。

大学3回生の時、お笑いをやりたい熱が高まっていたんです。だけど相方は見つからないから1人でやろうと決めて、2009年から「どくさいスイッチ企画」という名前で1人コントを始めました。当時、アングラ界の女王だった鳥居みゆきさんにものすごく憧れていて、大学時代も何度か公演を打っていました。でもそれがめっちゃウケるとかでもなく、そのまま大学を卒業して就職しました。2011年から14年までR-1グランプリにも出てるんですが、2回戦くらいまでしか行けなくて。手応えもなかったので一旦お笑いは辞めて、そこからは趣味で社会人落語をやっていました。

1度お笑いから離れた期間があるんですね。

その頃は落語会っていうのがあって、定期的に人前で落語を披露していたんですが、コロナのタイミングでできなくなっちゃって。まぁお客さんがおじいちゃんとおばあちゃんばかりだったから、そりゃあやるの難しいですよね(笑)。落語を披露する場は無くなったけど人前には立ちたい、どうしようと思っていた時に、『楽屋A』さんが運営しているお笑いバー兼ライブスペース『舞台袖』で「二足のわらじ」というライブが始まったんです。社会人や学生でお笑いをやってる方を集めたライブで、そこに出られることを知って、僕ももう1度1人コントをやるようになりました。

当時の1人コントと今のスタイルは違うんですか?

かなり変わってますね。最初は小道具や衣装を揃えて、めちゃくちゃ準備した上で出ていたんです。ただ衣装を揃えてスベると立ち直れないことを知って……(笑)。今では椅子を用意してもらうだけになりました。僕のコントは落語がベースなんです。落語って座布団と手ぬぐいしか使わないので、同じようにシンプルでいいのかなと。

今年からR-1グランプリのスポンサーデビューを果たしたR-1ヨーグルトと共に。どくさいスイッチ企画さんも、出場を記念して全部で24本もらえたそう。

R-1グランプリを観ていても、落語の喋りがネタに生きているなと感じました。ちなみに先ほど鳥居みゆきさんが好きって仰ってましたが、どんなところが好きなんですか?

もともと狂気的なネタ、通常だと笑いにできないものを笑いにしてるっていうとこに惹かれてたんですが、よくよく見ていくとやっぱりネタとしてむっちゃ強いんですよ。おもしろさの理論と台本がしっかりしていて、だからキテレツなキャラクターでもウケるんやと。それに気付いた時に、本当に台本をがんばって書こうと思いました。コントは出来の8割が台本で決まると考えているので。

コントは漫才と違って、お客さんの反応に合わせてネタをアレンジするとかなかなかできないですもんね。社会人をしながらネタを書いて舞台にも出て、どんな生活を送っているのか気になります。

定時まで働いて、残業がある日はそれもがんばって。で、19時ぐらいからのライブに出れる日は出て帰ってますね。仕事中にパッと思いついたらメモを取って、時間がある時にネタの形にして、みたいなのをずっとやっています。

お笑いをやりたいと思ったのはいつからなんですか?

中学生の頃からお笑いの世界に興味がありました。2003年のM-1グランプリで、笑い飯さんが「奈良歴史民俗博物館」というネタをされていて、それを観ていた父親が笑いすぎて過呼吸を起こしそうになったんです。お笑いってこんなにすごいんだと衝撃を受けて、僕もやりたいと思うようになりました。お笑いがグッと好きになったのはその時期ですね。僕、中学時代はバスケ部やったんですけど全然向いてなくて、高校生になって演劇部に入ったんです。そこでちょこちょこ、お笑いの台本を書いてみたりはしてました。

舞台上で注目を浴びたり大きな笑いを取ったりすることへの気持ち良さは感じますか?

もちろんあるし好きですね。人前に出ることに抵抗感や恥ずかしさを感じたことはないので、それはお笑いをやる上でも強みにもなっていました。

どくさいスイッチ企画さんは、コントと落語、大喜利をやる時に全部名前を変えていますよね。それはどうしてですか?

どくさいスイッチ企画がコント、落語が銀杏亭魚折(いちょうていうぉーりー)、大喜利がウォーリーです。どくさいスイッチ企画は、ドラえもんに出てくる「どくさいスイッチ」から着想を得ています。あれってスイッチを押すと人が消えていって、最後はのび太1人の世界になっちゃうじゃないですか。それを踏まえて、1人でがんばるぞという気合いも込めて名付けました。本当はそれを使って大喜利をしてたんですが、名前が長いと当てる人が大変なので、大喜利をする時は大学時代から使っている銀杏亭魚折をアレンジしています。

どくさいスイッチ企画という芸名って独特ですよね。“どんくさい”って間違えて呼んじゃう人がいそうです。

そうなんですよ。字の並び的にそう見えるのか、めちゃくちゃ間違われるんです。あれだけはどうしてもムッとしちゃうので、これを機に名前が広まってくれたらありがたいです。

ライブは月にどれくらいのペースで出てらっしゃるんですか?

月に3、4本くらいかな。基本呼ばれたら断らないようにしていて、多い月もあるけど平均はそれくらいだと思います。練習をする際は主に自宅で、大きな声を出す時はカラオケを使っています。

誰かにアドバイスをもらうこともあるんでしょうか?

ネタに関してはないですね。一緒にライブに出る方が大体年下なので、「おもしろかったです」って言ってもらえることはあるけど、アドバイスまではしてもらえないです。奥さんにネタの相談をすることはありますね。これをネタにしようと思うんだけどどう?っていう話はよくします。

奥さんもお笑い好きなんですか?

そうなんです。妻もお笑いが好きで、実は大喜利で出会った方なんですよ。妻から「人前に出すな。2度とやってはいけない」と否定されたネタがあって、どうしてもやってみたくて舞台で試したら、信じられないくらいスベりました。笑いのない静寂の時間が1分くらい続いて、夢を見てるのかなと思いました。

奥さんの笑いの嗅覚はすごいですね(笑)

僕らは家で大喜利合戦とかもやるんです。緊張をほぐすためにR-1グランプリの楽屋でもやりました。単語を出してお題を作って答えるっていうのを交互に。

楽屋でも!というか奥さんも一緒に楽屋に入れたんですね。

僕が呼んだんです。マネージャーがいないので、誰か付き添いがいれば1人呼んでいいよって言われて、さすがに1人で過ごすのは耐えられないから、妻を呼ぶことにしました。楽しかったけどめちゃくちゃ緊張したって言ってましたね。

普段出番を待っている『楽屋A』の舞台袖でパシャリ。

そりゃそうですよね。自分の旦那さんの周りにいつもテレビで観てる芸人さんがいっぱいいて。その裏側に潜入できるってなかなかないですもん。少し話が飛びますが、やっぱりケータリングとかって豪華でしたか?

そりゃあ豪華でたくさんありましたよ。テレビってすごいなと思いました。僕は決勝に行けた時点で満足してたのでモリモリ食べましたけど、皆さん結構持って帰ってましたね。僕はバカみたいに食べて、余ったものも持って帰りました。だって見たことないお弁当がいっぱいあって、どう考えても美味しそうなんです。これを食べずに帰るのはもったいないと。

緊張して食べ物が喉を通らない人もいる中で、モリモリ食べれるのはすごいです。

あと事前撮影の時に『叙々苑』のお弁当もらって、僕はそれを帰りの新幹線で食べたんですが、もちろんめちゃくちゃ美味しくて。家に帰ると妻もその日たまたま焼肉を食べていて、「4,000円くらいで焼肉を食べて美味しかったよ」という話をされた時に、僕が「『叙々苑』のお弁当をもらって食べたよ」って言ったら妻がめっちゃキレて、「こっちは4,000円払ってんだよ」と僕の布団を殴る時間がありました。「冷めててマズかったって言え」って脅されました。

ちょっと奥さんがおもしろすぎますね(笑)

僕は自分のことを、“芸人”ではなく“お笑いが趣味の人”って言いたい。今後どうやって生きていくのか、今が人生のターニングポイントなのかもしれません。
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Profile

どくさいスイッチ企画

1987年、神奈川県生まれ。11歳の時に父親の仕事の関係で神戸に住み始める。大学時代に落語家や1人コントをスタートし、就職後も仕事をしながら社会人落語やお笑いの活動を続ける。現在は、大阪・四ツ橋の『楽屋A』を中心に月3、4本の舞台をこなす。R-1グランプリ2024ではアマチュア史上初の決勝に進出し、同率4位の成績を収めた。

YouTube:@walleityoutei

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