何もない人間でも、ガマンして努力してがんばれば、舞台に立てる。会社員から喜劇役者になった曽我廼家桃太郎さんが描く、松竹新喜劇の未来。
もう海賊みたいな飲み方する人でしたから。ベロベロになった天外さんがベッドで寝たのを見計らって帰るという、その毎日の繰り返しでした。
では、害虫駆除の仕事を辞めて、松竹の養成所に入られたんですか?
その前に一回、劇団に入ったんです。普通の人間が会社員を辞めて役者やろう!って言ったって、どうしていいかわからないじゃないですか。大きい事務所に入るにもレッスン料がかかるし、でもそんなお金ないから、よしこれは劇団だと思って。その頃まだガラケーやったんですけど「大阪 劇団」で検索して、いちばん上に出てきた劇団に、観たこともないのに行きました。そこは3ヵ月ぐらいいて、研究生公演みたいな感じで舞台を踏ませてもらって。でもその後、お断りを入れて辞めました。
舞台にも立ったのに、なぜ辞めてしまったんですか?
小劇場の世界って厳しいなあって。ほんとにキツくて、バイトする時間もほとんどないぐらい寝不足で。生活とのバランスを考えたら、ちょっとこのペースじゃ無理やなと思ったんです。
そこから半年も経たないうちに、松竹芸能の俳優部がレッスン生を募集したんで、松竹芸能やったら大きくて有名やし、これはいいなってことで行きました。もともとは吉本新喜劇に憧れがあったから、吉本さんに俳優部があったら行ってたかもしれないですけど、当時はなかったんで。
役者として笑いに携われるから、NSCとかではなくて、松竹の俳優部だったんですね。
ちょうど良かったんです、お笑いの事務所なのに俳優部もあるっていうのが。そこで週1回レッスンを受けて、芝居の勉強をさせてもらいました。それ以外の時間は、昼コールセンターで夜ガールズバーとか、ずっとバイトしてましたね。
養成所にはどれぐらいいらっしゃったんですか?
多分3~4年いたと思います。養成所にいる頃に、当時の松竹新喜劇の代表やった渋谷天外さんが付き人を探してるっていう話がきたんです。僕の兄弟子の渋谷天笑さんが付き人をされてたんですけど、卒業することになって。それで僕、応募してみたんです。そしたら、天外さんとお会いできることになって。
難波のオリエンタルホテルやったんですけど、緊張しながら待ってたんですよ。そしたら、天外さんと奥さまが黒のレザーコート着て、サングラスかけて来るから、こわ~って思って。その時はただ一緒にコーヒー飲んだだけなんですけど、「君、合格や」って言われて。
えー!コーヒー飲んで、その日のうちに合格ですか?
そうです。なんかわかりませんけど。
天外さんとお会いになったのは、その時が初めてだったんですか?
初めてです。当時の僕は松竹新喜劇のことも、天外さんのことも知らなかったんですよ。芝居も見たことありませんし。藤山寛美さんの名前だけ知ってるっていう状態だったんです。
松竹の養成所にはいらっしゃったけど、松竹新喜劇のことはご存知なかったんですか?
松竹新喜劇に所属してる天外さんと、松竹芸能って同じグループ会社であっても別の会社やったんで、関わることがなかったんです。
なるほど、そうだったんですね。でも、それならなぜ、付き人になろうと思われたんですか?
厳しい人やと聞いてたんで。僕、自分で自分に厳しくできないんです。厳しい世界にわざわざ行かないと成長できないので、そんな厳しい人やったらいってみようと思ったんです。忍耐力はあるほうなんで。逆に、めちゃめちゃ優しい人やったら、いってなかったかもしれないですね。
付き人というのは、どんなことをされるんですか?
天外さんは稽古期間中から本番まで大阪のホテルに泊まるんですけど、朝まず起こしに行きます。来てくれっていわれた時間ぴったりにノックするんです、時計見て、ピッてなったらコンコンって。それと、たまに指定された集合時間の前に電話がかかってくることもあるんで、いつ連絡がきてもいいように、1時間ぐらい前には必ず、ホテルのロビーに着くようにしてました。その後、一緒に稽古場や劇場に行って、夜はごはんに連れて行っていただいて、最後は天外さんがベロベロになるという流れ。当時はもう、海賊みたいな飲み方する人でしたから。ベロベロになった天外さんがベッドで寝たのを見計らって帰るという、その毎日の繰り返しでした。
なかなかにハードな付き人生活ですね…
大変やったですね。天笑さんも言ってましたけど、すべてを天外さんのペースに合わせて、天外さんが次に何を考えるか、何がしたいのかをずっと見ながらやってました。
言われてからやるのではなくて、先読みしないといけないんですね。付き人時代は、桃太郎さんも舞台にはご出演されてたんですか?
いちばん最初は2012年の11月やったんですけど、この時は僕は出演しない予定やったんですよ。けど、初日に先輩が風疹になったんです。それで急遽、松竹座のエレベーターの中で天外さんに「お前あの役やれ」って言われて。豆腐屋さんの役で出ました。
初舞台は、当日いきなりだったんですね!
何の準備も無かったです(笑)。めちゃくちゃ怖かったですよ。それからは、通行人とかですけど、ずっと出させていただきました。
自分が実際に舞台に上がれるようになった時は、どんなお気持ちでした?
それはもう、うれしい以外の感情はないんじゃないですかね。付き人しながらだったんで結構しんどかったんですけど、ただただ、うれしかったです。器用なほうじゃないんで怒られたりもしましたけど、でも劇場に出てるっていうのは、普通の会社員やった人間からしたら、すごいことですよね。いろいろガマンして努力してがんばれば、何もない人間でもこういう場に出られるんやなっていう、変な感じはしましたね。
ああ、自分はいま、憧れた舞台の上に役者として立ってるんや!みたいな感じですか?
そうです。次の公演もそうですけど、久本雅美さんとも共演させていただくじゃないですか。すごいことですよね。こんな岡山の田舎もんがこうやって舞台に立てるっていうのは、毎回「ここまで来ましたか」というのがありますよね。感慨深いなと思いながらやってます。
曽我廼家桃太郎(そがのや・ももたろう)
岡山県出身。松竹芸能養成所にて演劇を勉強したのち、劇団代表であった三代目渋谷天外の付き人となる。その後2017年に松竹新喜劇に入団。竹本真之として活動後、2021年大阪松竹座「松竹新喜劇 錦秋公演」にて曽我廼家桃太郎に改名。松竹新喜劇以外にも、2023年に南座をはじめ全国三都市で上演された舞台『歌うシャイロック』では歌やダンスにも挑戦し、芸の幅を広げている。