幻のように現れる『橋ノ上ノ屋台』。仕掛け人の今村謙人さんは、路上を楽しむ気鋭の屋台プレイヤー。


仕事をやめて、1年間の世界一周新婚旅行へ。「行き当たりばったりの人生だったんで、まあなんとなるかなって」

『橋ノ上ノ屋台』の屋台もご自身で作られたものですが、今村さんはもともと建築畑のご出身なんですよね?

大学院まで建築をやっていて、新卒で東京の設計事務所に就職しました。でも、1年でクビになってしまって。クビになったとは言いにくくて、仕事辞めましたってSNSに投稿したら、大学時代にお世話になった京都の建築家の方が声を掛けてくれたんです。その方が持ってた物件の2階に住んで、1階をDIYでリノベーションするプロジェクトに参加させてもらって、そこで実際の現場で物を作ったりっていう経験をさせてもらいました。

建築に興味を持ったのには、何かきっかけがあったんですか?

それが、そんなにないんですよ。理系が得意だったのと、一緒に勉強してた友達が建築をめざしてたぐらいで、あんまり考えずに大学に入っちゃって、やってみたら面白いのは面白かったんですけど。でもまあ、あらためて考えると、僕は設計に向いてなかったかなって思います。あんまりきちっと図面を書いたりできなくて。

設計ってもうミリ単位ですよね?

1ミリ2ミリを図面に書いていかなきゃいけないんですけど、正直そういう細かいところはどうでもよくて(笑)。ふわっとした感じでなんかこう納めたいなっていうタイプなんですよ。

それは向かないかもしれない(笑)

でもせっかくやってきたしチャレンジしてみたいなと思って建築の世界にいったんですけど、やっぱりだめでしたね。確認しに行ったのかもしれないですね、向いてないことを。

東京の会社を辞めて、京都に移住されて、それからはどうされてたんですか?

京都のプロジェクトが半年ぐらいで終わって、そのあとまた東京の知り合いに声をかけてもらって、吉祥寺のハモニカ横丁で飲食をやってる会社にいきました。そこで2年ぐらい、お店の立ち上げとかをやったり、焼き鳥を焼いたり。

あ、ここで焼き鳥が出てくるんですね。そこでのお仕事は、建築とは全く関係ないジャンルだったんですか?

設計を依頼した建築家の方との打ち合わせに入ったりとかはしてましたけど、図面を書いたりとかはないですね。お店ができてからは、ホールにも入ってました。そこ、おでん屋さんだったんですけど、僕ちくわ切れなかったんですよ。建築の模型だと物差し当てて均等に切るんですけど、目で見て4等分にするのができなくて。怒られてましたね。

そこは定規を当ててきちんと切りたいんですね(笑)。その会社に2年お勤めされたあとは、世界一周ですか?

そうですね、その会社でソエと知り合って、結婚して、1年の世界一周の旅に出ました。2人とも会社を辞めて、家も引き払って。

すごい!世界一周は、どちらの希望だったんですか?

ソエが、私と結婚するんだったら世界一周しないとダメだよって(笑)。ソエは韓国人なんですけど、もともと海外旅行が好きだったので。

仕事をやめて1年の長旅に出ることに不安はなかったですか?

結局僕は行き当たりばったりの人生なので、大学もそんな理由で入ったし、クビになって誘われるままにいろんな仕事をしてきてたし。だからまあ、なんとかなるかなみたいな。

それで、本当に1年間、世界一周をされて。

そうですね、実際には11ヵ月かな。23ヵ国をまわって帰ってきました。東回りで行ったんですけど、南米が居心地よくて、半年ぐらい居ました。

帰国されてからは、お仕事はどうされたんですか?

ソエも東京にしか住んだことがないし、東京で仕事をしようかなと思ってたんですけど、クビになった設計事務所の人に声を掛けてもらって、大正区で空き家利活用の事業と、その拠点となるシェアオフィスの運営を一緒にやってほしいといわれて、それで大阪に来ちゃったんですよ。

ちなみに今村さんって、ご出身はどちらなんですか?

生まれたのは静岡で、3~4歳で大阪に引っ越して、小学校に入るタイミングで横浜に行って、小学校4年生から高校までは名古屋ですね。それから、大阪の大学に進学しました。

すごく点々とされてますけど、大阪にもなじみはあったんですね。大正区に来られたのはいつ頃ですか?

2015年か2016年かな。結局その空き家事業は途中で立ち消えになったんですけど、でももう大阪に引っ越してきちゃったし、シェアオフィスの運営だけではやっていけないから、仕方なく個人事業で仕事を始めたって感じですね。

それが、カモメ・ラボなんですね。どんな事業を始める予定で立ち上げられたんですか?

よくわからずに個人事業主になったので、お金の稼ぎ方が全然わからなくて、いろんな人に何か仕事ないですかねって声掛けてました。

大正で屋台を始めたのは、何がきっかけで?

最初はシェアオフィスのオープニングイベントに、ちっちゃい屋台を作ったんですよ。持ち運べるパーソナルな屋台を作って、それで焼き鳥を振る舞って。それが最初ですね。そのあと、空き家の利活用事業で知り合った不動産関係の方とお付き合いがあったんですけど、僕が屋台をやっていたのを聞いて、屋台と空家めぐりを組み合わせた「Taishoさんぽ日和」っていうイベントを始めることになって。

そのあたりから、「屋台の人」としての認知が広がっていく感じですね。

そうですね、ワークショップに呼んでもらって福井や鳥取に行ったり。全国でいろいろやらせてもらうようになりました。

屋台にもスポーツとストリートがあって。マルシェとかに出店するのはスポーツ、路上に出す『橋ノ上ノ屋台』は、完全にストリートですね。
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Profile

今村 謙人

カモメ・ラボ代表。大阪市立大学大学院修了。新卒で入社した設計事務所を1年でクビになり、内装や工務店、飲食店などの職に就く。夫婦で世界一周の新婚旅行をした後、大阪へ。現在は大正区を拠点に、屋台づくりや出店のほか、社会実験などのプロジェクトやイベント企画など幅広く手掛ける。新たに「屋台の学校」をスタート予定。

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