つかず離れずの距離感が心地いい。小学生からの幼馴染コンビ<Aマッソ>がテレビ東京とタッグを組んだライブ『滑稽』の大阪開催に先駆けて、色々と話を聞いてきました!
女芸人No.1決定戦THE Wでは3年連続決勝に進出。パワフルで切れ味のいいツッコミが武器の加納さんと愛嬌たっぷりの村上さんによる実力派お笑いコンビ<Aマッソ>。少しキツめの関西弁が印象的な2人は大阪・住吉区出身の幼馴染同士で、大学時代にインディーズライブに出るようになり、大阪松竹の養成所を経て東京へ進出。今や、様々なバラエティ番組に引っ張りだこの人気芸人となっています。しかも、加納さんは小説やエッセイなどの執筆活動もされているとか。マルチに活躍する彼女たちのライブ『滑稽』が、3月13日(月)、14日(火)に大阪の松下IMPホールにて開催。今回は、毎年自分たちで企画している単独ライブとは一味違い、テレビ東京のプロデューサーとタッグを組んでの実施ということで、いつにも増して注目度が高まっています。貴重な来阪のタイミングをキャッチして、大阪時代の思い出や上京後の同居生活のこと、ライブのことなどを伺いました。つかず離れずな2人の空気感を味わいながら、ぜひチェックしてください!
ジャイアンみたいな友達がいて、言うなればうちらはのび太とスネ夫。上京後は8年一緒に住んでいました。
お2人は小学生からの幼馴染なんですよね。どんな子どもだったんですか?
村上:とにかく走り回ってました(笑)
加納:芸人になってからは尖ってるとかよく言われたけど、そんな片鱗なんて全くなかったな。何人かいるうちの2人って感じで、当時からよく遊んでいました。
その頃の印象的なエピソードってありますか?
加納:ジャイアンみたいな存在のマコちゃんっていう女の子がいて、「なんかおもろいことせぇ」って言って、私らがボケさせられるみたいなことをやってました。小学6年生くらいから始まったんですが、当時からお笑いを献上させていただいてました。
小学生の頃からそんなことが(笑)
加納:あれ怖かったよな。
村上:おもしろくなかったら、「はい、おもんな〜い」って言って普通にプロレスの技かけられてました。
ほんとにジャイアンみたいですね。
村上:うちがスネ夫で、加納さんがのび太みたいな感じで。
加納:今の時代やったら普通にアウトでしたね。
村上:「このボールでボケろ」とか「花壇があるわ。なんかおもしろいことありそうやな」とかむちゃくちゃ言われてました。
笑いに厳しすぎます。当時から見ていたお笑い芸人さんはいらっしゃいますか?
加納:新喜劇とかは毎週見てましたね。
村上:私も新喜劇が観たくて、急いで学校から帰ってた覚えがあります。
加納:あとM-1で笑い飯さんを見て、「おもろすぎやろ」って衝撃を受けたことはありました。ただただバカバカしくて笑っちゃう独自の世界観がええなぁって。
芸人の道に進んだきっかけはありますか?
加納:高校からは学校が離れてしまったんですが、家が近所だったのでちょこちょこ会っていたんです。大学生になってなんかやりたいなぁと思って、「インディーズのライブ出てみようや」と私から村上を誘いました。
村上:おもしろそうだったんで、私も「やる〜」って答えました。
加納:ネタは今と変わらず私が作っていて、最初はコントが多かったですね。大学行きながらフリーでやってたんで、月1、2回くらいのペースでライブに出ていました。
今はワタナベエンターテイメントに所属されてますが、最初は松竹芸能だったんですよね。関西でお笑いと言えば吉本のイメージもあるけど、なぜ松竹に?
加納:地下ライブでスカウトを受けたんです。大阪と言えば吉本やからNSCに行こうとしてたけど、特待生枠でタダで養成所に入れると言われて松竹にしました。
それはめちゃくちゃいいですね。
村上:運が良かったのもあるんですよ。当時、松竹に女性芸能コースみたいなのができて、地下ライブを回って入ってくれる人を集めていたんです。だから「タダで入れるよ〜」みたいな感じでした。
養成所は結構厳しかったですか?
加納:授業は週に一度ネタ見せがあるだけなんですが、講師がかなり怖い人で、結構いろいろ言われましたね。
村上:NSCだと発声練習やダンスの授業があるって聞くけど、そういうのはなく。最初にみんなで「あめんぼあかいなあいうえお」って言って、すぐネタ見せをしてました。
加納:何かを教えてくれるわけじゃなくて、自分で掴まんといけんねやって思いました。
どんな反応をされてたんですか?
加納:「おもんない」とか「意味わからん」とか、全員むちゃくちゃ言われてて、褒められてる人はほんまにいなかったです。
そんな中、関西ではなく東京で芸人として活動するきっかけは?
加納:東京に松竹の新しい劇場ができるタイミングで、「上京してみれば?」と勧められたんです。それで東京の松竹に移籍することになりました。
その後、松竹を辞めて半年くらいフリーで活動されたんですよね。ワタナベエンターテインメントに入ったのはどうしてでしょう?
加納:それも誘ってもらって。
村上:ラッキーって感じでした。当時ワタナベがかき入れどきで、ライブのオーディション受けたらいけるぞみたいな時期があったんです。そしたらなんかいけました。
加納:そう、なんかいけました。わりとラッキー多いねんな。
上京後は一緒に住んでたんですよね。
加納:そうです。8年住みました。
小学生からの幼馴染で、そこまで一緒ってなかなか珍しいですよね。
加納:きしょいですよね。
村上:きしょいよな。
職業も家も同じで、お互い嫌になったりとかしないものなんですか?
加納:バイトもしてたから、ずっと一緒におるとかじゃなかったので。
村上:まぁでもしゃあなしです。お金がないから一緒に住むっていう選択肢しかなくて。1軒目は6畳の1Kで、寝る時布団がちょっと被るくらい狭かったです。
加納:2軒目はちょっと広くなって10畳の1Kになりました。
当時、何か印象的だったことってありますか?
加納:下着盗まれたことやな。
村上:そやな(笑)。しかも1軒目も2軒目も。
加納:下着って普通に盗まれんねんなって思った。
村上:しかもそんなにセクシーなやつとかじゃないから、「なんでもええんかい」って思いました。どちらも1階で、普通に外に干してたからっていうのもあるかもやけど。
加納:ショックやったよなぁ。どんどん上下バラバラになっていって。
村上:「最近見当たらんのやけど、どこ行ったか知ってる?」、「知らんよ。私のもないねん」みたいな。絶対いかれてるやんってなりました。
それは大変ですね(笑)
村上:時間合わせてごはん食べたりはなかったけど、たまに加納さんが青椒肉絲とか作ってくれてたよな。
加納:むっちゃたまに。肉2人分買ってきた時は「食べや」って言って一緒に食べてました。
村上:私はバイト以外ずーっと寝てたんです。活動する時間も違ってて、互いの寝顔を見るみたいな生活をしていたので、ガッツリ共同生活を送っていた感覚はないですね。無理なく一緒に住んでいました。
なるほど。それくらいの距離感が長く一緒にいられる秘訣かもしれないですね。
Aマッソ
ワタナベエンターテインメント所属、加納(右)と村上(左)によるお笑いコンビ。共に大阪市住吉区出身で、小学生からの幼馴染。2020年より3年連続THE Wのファイナリストに。漫才・コントの二足のわらじで活動しており、ネタ作りは加納が担当。また、加納はエッセイ「イルカも泳ぐわい」(筑摩書房)や小説「これはちゃうか」(河出書房新社)を出版するなど、執筆活動にも力を入れる。
YouTube:Aマッソ公式チャンネル
ラジオ:AマッソのMBSヤングタウン