身体、肉体、存在…自分自身がアートの一部に。白子侑季さんが生み出す唯一無二の「SHIRACO WORLD」。


それまでずっと閉じ込めてたんですけど、解放できた。それが20歳からなので、自分の人生を生き始めたのがそこからですね。

では、あらためて、白子さんがアーティストになったきっかけからお聞きしてもいいですか?

アート活動は20歳くらいから始めました。専門学校時代に。大学には行ったんですけど、でも希望していたところじゃなくて。それなら大学生活を一年だけ経験して、その後芸大か専門学校に行こうと思ったんです。

もともと絵を描いたりするのは、お好きだったんですか?

絵を描くのは物心ついた頃から好きでした。それで中学生くらいから、自分の作ったものとか、自分が表現したもので食べていきたいと思ってたんですけど、ネットもない時代だし、それが何という職業なのかわからなくて。絵に携わる仕事ってイラストレーターか画家しか知らなかったんです。でも私は絵を描くのも好きだけど、ものを作ったり洋服を作ったり、詩を書いたりとか、いろんな創作が好きで。だから、絵にこだわるっていうわけではなかったんですね。
でも大学を辞めるとなっていろいろ考えた時に、好奇心旺盛だけど飽き性な私が、飽きもせずずっとやり続けてきたものって何かなと振り返ったら、絵を描くことだったんですよ。シンプルに絵の具で思いっきり絵を描きたいと思って、専門学校に入学することにしました。

大学をやめて専門学校に行ってみて、どうでした?

本当にもう、生まれ変わりました。中学・高校の頃って、自分と世間とのズレみたいなのを感じて、すごく生き辛かったんですよ。自分を出すことができなくて、部屋で絵を描いたり物を作ったりしてる時だけが、自分と向き合える時間。そんな10代だったんですけど、19歳で専門学校に入って、ああ、私以上に変わってる人いっぱいいる!と思って。

自分だけじゃなかった!みたいな(笑)

もうめっちゃ解放感があって。絵を描くのも楽しいし、本来の自分も出せるようになったんですよ。小学校高学年から大学まで地元にいる時はずっと自分を閉じ込めてたんですけど、やっと解放できた。それが20歳からなので、自分の人生を生き始めたのがそこからですね。

専門学校の後が、先ほどおっしゃってたその飲食系の会社ですか?

卒業後はフリーランスのデザイナーに。でも実績もないので、知り合いからのお仕事しかなくてアルバイトを掛け持ちしながらやってました。そもそも私、専門学校でデザインの授業とかパソコンとか嫌いでサボってたんですよ。絵を描きたかったから、ずっとアトリエにこもってて。卒業してからも個展開いたり色々創作してたんですけどその中で作りたいと思うものがあって、それに適したのが手描きじゃなくて、手縫いでもなくて、デジタルだったんです。それで、イラレとかフォトショを学びたいと思って、就職したんです。面接で、できます!って言って(笑)。まあ一応基礎はわかってたんですけど、使いこなせるようになるまで、実務経験を積ませてもらって(笑)

卒業する時に、アーティストになろうみたいなのはなかったんですか?

そうですね、アーティストになろうみたいなのは、なかった…ですね。アーティストと名乗ってたけど職業ではないし。学生時代から個展を開いたりはしてたんですけど、インスタレーションという、空間を創る表現をしていたんです。平面の作品をあんまり描いてなくて、作品を描いて販売するっていうスタイルの作家じゃなかったんですよ、そもそも。でも自分はアーティストだと思って生きているんですけどね。

ご自身のアート活動自体がお仕事になるとは思っておられなかったんですね。

オリジナルの素材をちぎって貼っていくコラージュ作品を作っている時に、キャンバスに収まりきらずに空間を侵食するみたいな感じになっていくのを、先生が「それインスタレーションって言うんだよ」って教えてくれて。そういう表現方法があるんだ、すごくいいなと思って。空間を使う表現や、空間そのものを創る表現をしていたんですけど、売り物じゃないですよね。だから、アートの作品を販売して生計を立てるっていうのが、私の中でピンときてなくて。展示の経験とかアートの感性を生かしたお仕事がしたいなって思ってました。

それで、飲食系の会社に就職を?

フリーランス時代に色々あって、とにかくどこかに就職しようっていう気持ちで。その会社では店舗の立ち上げに関われるので、メニューとかのデザインだけでなく、ロゴを作ったり内装やファサードのデザインを考えたりするんですよ。グラフィックデザイナーとして勤めてたんですけど、やってることはアートディレクション。当時から0→1にすることが得意だったので、ブランディングを視覚からコントロールできるのがすごく楽しかったんですね。

2005年初個展。このインスタレーションの世界観をポートフォリオに詰め込んで東京へ売り込みに。

白子さんの得意部分が生かせるし、そこでの経験が今にも繋がってますよね。

インスタレーションをやってた学生時代に、ディスプレイの仕事とかもしてみたいなと思ったんですけど、当時は今ほど情報がなくて。ネットで検索しても、ディスプレイの会社が出てくるみたいな感じでもなかったんですよ。でも、フリーランスの時期に東京に売り込みに行ったことがあったんです。渋谷のTSUTAYAで雑誌を立ち読みして裏表紙に書いてる出版社とか編集社をメモして、アポなしで飛び込みで。新潮社とかラフォーレ原宿の事務所とか行って、ポートフォリオをとりあえず見てください!って。何カ所行ったかわからないくらい、めちゃくちゃ行きました。創刊から間もない頃の『FUDGE』の編集部にも行って、雑誌のテイストとは違いますけど、私だったら面白いことができると思います!撮影のテーマに合わせた空間も作れます!とかプレゼンしたんですけど、なんせ実績がないから説得力がなくて。お話を聞いてくださった担当の方に、「就職が決まってるならまずはそこで頑張って!」と優しく送り出してもらい…

熱意はすごいけど、実績がない…

新潮社さんでは、装丁とか表紙のビジュアルをやりたいっていう話をしたら、お話を聞いてくださったご年配の担当の方が、「あなたはまだ若くてこれだけ大きなものが作れるんだから。大きなことができるうちにやっておいた方がいいよ。挿絵や装丁は歳を取ってからでもできるからね」っておっしゃって。その言葉にすごく勇気づけられて、よし、アート頑張っていこうって思ったんですよね。

たしかに!キャンバスに収まらない作品を作る白子さんの良さを、もっと生かしたほうがいいと。

でも後で友達にこの話をしたら、体よく断られてるやん!って言われたんですけど(笑)。でも私は、それからもずっと自分を信じてきたので。やっぱり若い時は可能性がみんなあると思うんですよ。その可能性の芽を摘まずに、夢を壊さずに、ちゃんと前向きに奮い立たせてくれたっていうのは、私はすごくいい出会いだったなと思ってます。

私はその身体の変化も、生きていく上で起こり得ることをすべて受け入れたいと思うので。
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Profile

SHIRACO WORLD / 白子侑季

和歌山県出身。アートを通して「LOVE yourself!」を世界に伝える表現者。『愛・いのち・自己』をテーマに2004年より創作活動をスタート。2014年より『自分自身が唯一無二の作品である』という思想と哲学のもと自身の肉体をモチーフとした【セルフ・オマージュ シリーズ】を発表。グラフィック、インスタレーション、ファッションなどジャンルに囚われない様々な表現方法で国内外問わず活動中。キービジュアル制作、企業とのタイアップ企画、ミュージカルの衣装制作など、多岐に渡り“世界観を創る”仕事に携わる。
海外での活動時に『SHIRACO WORLD』を名乗るようになり、現在ではアーティストネームであり、白子侑季が創り出す世界の総称としている。アートディレクターやデザイナーとして活動する際は『白子侑季』名義。

大阪・関西万博公式ロゴマーク 優秀賞受賞(2020年)
阪急うめだ本店コンコースウインドー アートワーク(2024年)
ルクア大阪・ルクアイーレ バレンタインウインドー アートワーク(2025年)など

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