バンドマンで、教育者で、社会活動家で……いくつもの顔を持つ吉田田タカシさんの根底にある「憤り」とは。
酒飲んで20代くらいで死ぬ設定で生きてたのに、のうのうと40代まで生きてきて何のアクションも起こしてなかったら、恥ずかしくて死ねへん。というか生きれへん。
さきほどヨーロッパツアーのお話で、売れたりワーキャー言われることがサクセスではないと気づいたと仰っていましたが、社会活動を意識されたのは、そのヨーロッパツアーだったんですか?
たぶん子どもの頃から、憤りはあったと思うんですよ。僕ずっとおっさんが嫌いで。その理由は、社会を作ってるのがおっさんで、おっさんが作ったその社会に出たくないと思ってたから。でもショックなことに、生きていたら僕もおっさんになるんですよ。30歳ぐらいで結婚していよいよ中年になってきた時に、相変わらずダサい社会の一端を自分が担ってると思うと、腹が立つというかかっこ悪いと思って。なんかアクション起こしてる側になりたいなと。
いつの間にか、社会を作る側のおっさんになっていたと。
昔は社会に対してアクション起こしてるやつのことを、なんか張り切ってるなーとか思ってたんですよ。でも、もうおっさんやからやってもええよなって。若いやつにしんどって思われてたらそれはそれでいいし、若い人はそうであってほしいけど、僕はもうそっち側には居られへんから。言うんだったら、やらないとなって。
おっさんが作った社会をおっさんになったご自身が、なんとか変えていきたいという…
僕は本気で変えられると信じてるからやってるんだけど、でも変えられるかどうかという結果よりも、そのためのアクションを起こした側じゃないと死ねへんなって。酒飲んで20代くらいで死ぬ設定で生きてたのに、のうのうと40代まで生きてきて何のアクションも起こしてなかったら、恥ずかしくて死ねへん。というか生きれへんって。
おっさん側になったものとしての責任みたいな。そんな吉田田さんの活動のなかで、<アトリエe.f.t.>だったり<トーキョーコーヒー>だったり、子どもたちにフィーチャーされているのには、どんな背景があるのでしょうか?
子どもたちにフィーチャーしてるという訳でもなくて。いろいろな大学で教えるようになって、例えばワークショップで磁石を渡して「今日は何を作ってもいいから、4時間かけて何かやりましょう」ってやると「何を作ればいいですか」っていう子が必ずいるんです、美大でも。何をすればいいかわからない、ゴールがわからないとできないっていう子もいる。そういう子こそ創造性の部分を開発したいから関わっていくんだけど、でも無理な子はやっぱり無理で。
で、わかったのは、圧倒的に子どもの頃の体験が少ないってこと。知識の勉強ばっかりで、いたずらも喧嘩もしてないし、泥まみれになったこともない。そういうことを経験せずにきた人たちは、プラモデルを組み立てるみたいなことはできるけど、自分で何かをクリエイトすることは全然できない。それがわかったときに、もうこの国はやばいと思って。こんな暗記の教育しかしてない国、数年で先進国じゃなくなるって思ったんですよね。これだけ時代が変化してる中で、この子たちが次の社会を作っていくんやと考えたら、これは絶対終わるって。だから、子供の教育は絶対やらなあかんと思ったんです。
なるほど、子どもたちのために何かしてあげるというより、教育から日本の将来を考えるってことなんですね。
でも、子供のスクールってめっちゃ大変で、まずビジネスとして成立しない。世の親たちは、受験にしかお金を払わないし、成果を求めるから。特に僕らがやってる教育は、感覚を引き出したりとか、すべて自分で作っていいんだというマインドを作ったりとか、そういう数値化できない力を身につける教育をやってるから、理解してもらうのにすごく時間がかかるんです。
うちのアトリエの月謝は16,000円で決して安くはないから、それだけ払って何をしてるかわからない、二科展にも出してくれないって。上手に風景画を描かせて「上達した」とか、そういうことは一切やらないから。それだけ払って段ボール丸めただけみたいなのを持って帰ってきたら、そんなん家でもできる!って(笑)
その親の気持ちもわかりますけど、でも吉田田さんの教育は、今までのような成果や結果のための教育とは違うものですよね。
そのへんを理解してもらうのに苦労しましたね。最近やっと非認知力とか言われるようになりましたけど、大事なのは「自分がこの世にいていい」と思える何かを作ること。そういうことを専門的にやってるところなんてなかったんですよ。でも、だからこそやるべきやと思って。それがやっと理解してもらえるようになって、今もう子どものアトリエは2年待ちとかです。やっと理解してもらえる時代が来たなって。
ご自身の肌感覚でも、ここ何年間かは、そういう理解があるっていう感じはある?
最近AIとかが出てきて、やっと「これ暗記だけしててもヤバい」ってなってきましたよね。そんなん、そうに決まってるやんって思いますけど(笑)。とはいえ、まだ受験のシステムが変わってない。みんな最終学歴が大好きやから、どこどこ大学を卒業したら幸せになれるっていう昭和の思い込みがいまだにあって、「学歴イコール金で、金が人を幸せにする」って思い込んでいるんやね。大人がその思い込みを変えない限りは、教育は変わらないと思ってる。だから<トーキョーコーヒー>はまさにそういう活動をしてて、子どものためにやってるというより、大人が価値観をアップデートしないと次の社会はもう来ませんってことをやってて。
アトリエも25年になりますよね。もちろん使命感もあると思うのですが、長く続けてこられたモチベーションはどういうところで?
アトリエは、僕がそうだったみたいに、なんかちょっと居心地悪いなっていう子が集まる場所で。マイノリティな人たちがどうやったら自分の特徴を活かしながら生きていけるかを模索してたり、アートだけじゃなくてなにかを作るってことを学んでる場所なんですよ。鬱の子も精神疾患の子もLGBTの子もいて、多様な人たちが楽しくやってるのが僕は小さいけど理想の社会だと思っているから、それが広まったらいいなと思いながらこのやり方をずっと続けてきて、これからも続けたいと思ってて。で、ずっと今まではどうせ誰もわかってくれへんやろと思ってたんですけど、今すごい求められる時代が急に来て。もうちょっと開いたほうがいいかなっていうのは思ってます。
今、不登校の子どもがすごく多いじゃないですか。もう学校に行くのが当たり前という時代でもないような気もします。
小中だけで29万人もいて、実際は保健室に行ってる子とか、昼までで帰ってくる子とか、もっといると思います。それだけいて、その子供たちに問題があるっていうのはもう無理でしょう。あきらかに選ばれなくなってる。子供に問題があるって言ってるけど、そんなわけないやんって。
仕組みの方に問題があるのに、そこに目を向けないから、学校に行けない子が苦しんだり、その親がしんどい目にあわなきゃいけなかったり、理不尽だなと思います。
これだけ多様化してる中で、選択肢が学校だけっていう。均質化された量産型の子どもを育ててどうするの?って思います。別にそのためにやってるわけじゃないけど、国益にもならないですよね。産業と教育もくっついてないし、豊かさと教育もくっついてない。そういう何にもつながっていない教育を盲目的にやっちゃってる。それを一部の人は学校のせいにしたり、文科省のせいにしたりするけど、これは僕らのマインドの問題で。みんなが、学歴が金じゃないし、金が幸せじゃないってことをわからない限りは変わっていかない。だから、その意識のアップデートをするためのデザインをやっていて、それが<トーキョーコーヒー>っていう。
子どもの側ではなくて、大人の意識を変えることが大切だと。それは、登校拒否に限らずですね。
ずっと僕は、マイノリティな人たちがネガティブに扱われることに憤りを感じてて。「障害があるってことで社会では生きていけません」で、「生きていけないから助けてあげる」みたいな。すごくエラそうやなと思って。生きていけないような社会を作ってるだけで、その人に問題があるわけじゃないのに。不登校もLGBTも、多数派の中にいるのが正解かのような社会をずっと作ってきて。
これはずっと「全部に答えがあって、正解はひとつです」っていう教育をやってきたから。大人になったら正解がないから、多数派のなかにいるのが正解のように感じてしまうんです。これは僕らが受けてきた教育の弊害なんだけど、教育が国を不幸にしてどうするねんって思うんですよ。だから、教育に関わるからには、あがかないと恥ずかしいなと思ってます。
吉田田タカシ
1977年生まれ、兵庫県多可郡出身。教育者・ミュージシャン・ファシリテーター・デザイナー・芸術家など多彩な分野で活躍。大阪芸術大学在学中の1998年、アートスクール<アトリエe.f.t.>を設立。受験や技術ではなく、生きる力や想像する力を育む教育を目指す。2017年奈良県生駒市への転居を機に、生駒市にも<アトリエe.f.t.>を開業。2021年にこども食堂の仕組みをリデザインした<まほうのだがしや チロル堂>でグッドデザイン賞を受賞。22年には不登校の問題の本質を考える<トーキョーコーヒー>を立ち上げ、全国へ活動の輪を広げている。アトリエと同じく1998年に結成したスカバンド DOBERMANの活動ではボーカル、歌詞を担当し、現在までにアルバム7枚をリリース。フジロック、釜山ロックフェス、韓国ツアー、ヨーロッパツアーなど世界で高い評価を受ける。
シマタニケイ