3月4日(土)から心斎橋PARCOでGOMA EXHIBITION『ひかりの地図』が開催!grafの服部さん、写真家のMAIさんとの鼎談から見えてきた、GOMAさんの描く“ひかり”とは。
日本におけるディジュリドゥ奏者の第一人者として、世界中で活躍してきたGOMAさん。2009年の交通事故をきっかけに描き始めた点描画は、その独自のアート表現が注目され、近年はより精力的に活動の幅を広げています。MARZELでも以前にインタビューさせていただきましたが、今回はGOMA EXHIBITION『ひかりの地図』が地元の大阪で凱旋開催ということで、grafの服部さんと写真家のMAI MURAKAWAさんをお招きして、鼎談を行いました。作品制作の経緯からGOMAさんが表現する世界の背景考察、宇宙、UFO、哲学、文明、記憶…、話がどんどん深まるにつれて見えてくる本質とは。GOMAさんがこの『ひかりの地図』に込めた想いとは。アート表現という枠を超えた領域にある“ひかり”の世界、これは足を運ぶ前にぜひ読んでおいてもらいたいと思います。そして、現地で作品と対峙した時には、きっと脳裏に焼き付けておきたくなるはず。会期は3月4日(土)から3月21日(火・祝)まで、場所は心斎橋PARCO 14FのPARCO GALLERY!一つ一つの作品から放たれるGOMAさんのエネルギーと想い、受け取ってください!!
意識が戻ったある日、自分の意識がない時の景色が脳裏に焼き付いてることに気づいた。その時に、“ひかり”の世界を描いていきたいと思った。
GOMAさんのことをご存知の方は多いですが、まずは点描を始めた経緯の部分から皆さんで話していけたらと思います。2009年に交通事故に遭い、高次脳機能障害と診断されて記憶喪失にもなる中で、事故の2日後から点描を始めたんですよね?
GOMA:交通事故のことはもちろんだけど、その当時の記憶すらないんですよ。事故に遭った2日後から描き始めてたっていうことも、家族から聞いた話だから。きっと本能的に点が打ちたかったんだろうね。当時の絵は、今見ても何を描いてるか分からないくらいのものだし、とにかく無心で点描してたみたい。
服部:ある種のリハビリを本能的にしてたのかもね。
GOMA:自己治癒力が働いて、自分で何とかしないとあかんと思ってたのかも。そもそもカラダすら動かしにくい状態だったし。
MAI:その点描する行為は、朝起きてからずっとしてたんですか?
GOMA:そう、ずっと。病院でリハビリする時も、その合間の時間も。
MAI:GOMAさんの作品は“ひかり”の世界を描いてますが、見えたものを自分が忘れたくなかったのか、見えたものを誰かに見せたかったのか、どちらに比重を置いてるんですか?
GOMA:最初はそんなことすら考えてなかった。自分が何を描いてるのかも分かってないし、当時は10分前の記憶すら飛んでたからね。どんな想いで描いてたのかは、今でも知りたいことの一つかな。
最初は何を描いてるのかも分からないけど、点描という確かな痕跡があって、その痕跡はやがて“ひかり”の世界としてGOMAさんも認識していくわけですが、何かきっかけがあったんですか?
GOMA:事故に遭ってからの10数年は、意識が突然なくなる→病院に運ばれる→意識が戻る→点描するというサイクルをもう何十回と繰り返してきたんです。でも、意識が戻ったある日、自分の意識がない時の景色が脳裏に焼き付いてることに気づいた。それからですね、意識が戻った時に意識のない時の世界を観察するようになったのは。それが、“ひかり”の世界を描きたいと思ったきっかけ。
MAI:意識がなくなる時は、一瞬でですか?
GOMA:本当に一瞬。今では予兆を感じれるようにはなってるけど、脳の損傷してる部分から電気が放たれるような感覚。人間の細胞には電気信号が走ってるんですが、僕の場合は損傷部分に電気が爆発的に放たれて、それが出ると脳の中が痙攣するというか、地震が起きるような感じ。そうなると一瞬で意識が飛んでしまう。今は何とかまだ戻って来れてるけど。
服部:怖いね。でも、その感覚も受け入れてると。
GOMA:その感覚すらもう麻痺してて、自分の中の日常になってる。
MAI:今でもあるんですか?
GOMA:たまにあるかな。何でもやりすぎる、頑張りすぎる傾向にあって、そこのリミッターが外れてしまってる。普通なら左脳がコントロールしてくれるけど、僕の場合は左脳が損傷してて、右脳が膨らんでる状態。人間の理性を司る左脳が傷つき、より感覚的な部分だけに頼ってるので、そこをコントロールする能力が普通の人より弱いんです。
服部:でも、右脳が補完してるんだよね。リセットと言うとおかしいかもしれないけど、一回赤ちゃんに戻ってるのかも。僕も子育てしてるから分かるけど、子どもが目を開けて社会を見ていく姿ってあるやんか?GOMAちゃんが事故後に無心で点描してた頃って、赤ちゃんが手当たり次第にいろんなものを触って社会を知ろうとする姿に似てる気がする。
確かに。記憶がない中でも無心に点描してるのって、赤ちゃんが何かに無我夢中な姿と重なります。
服部:赤ちゃんに戻ってるから、表現というよりはむしろ、言語とかも含めて自分の中に蓄えてる状態。そして、蓄えられた途端に放っていく。最初の頃は描いたこともない点を蓄え、何十回とリセットを繰り返しながら蓄えられたものが表現という形になり、今は意識のある中で作るということに変わった。“ひかり”の世界を描きたいと思った瞬間に復活したというか、生まれ変わったというか。そんな気がするなぁ。
GOMA:今は描きたいものがあって描いてるけど、最初は何も明確なものはなかった。だから、服部さんの言ってることはあると思いますね。リセットを繰り返す中で、意識が変わっていくという。
服部:赤ちゃんの発達の形態を見てると、やっぱり右脳で社会の何かを掴み取ろうとしてるから、GOMAちゃんにもそういう部分を感じる。作品を見てても同じで、このメインビジュアルだってディジュリドゥの身体的なバイブレーションの波形にも似てるし。
GOMA:それはよく言われますね。作品と音楽が繋がってるって。
服部:自分が感じ取ってるものを表現として移し変えていくことで、こんな点描になったんやろうね。ある意味では受け身な状態で、ディジュリドゥのバイブレーションが波形として宿されてきて、それに呼応するように点、点、点という点描が生まれてきた。これはGOMAちゃんが生まれ変わった時に授けられた能力だと思う。
GOMA:すごいなー、その言語力が欲しい(笑)
服部:(笑)。東京での展示も見たけど、その表現能力はすごく強く感じたね。
服部さんがお話しされたこともそうですし、アボリジニの文化にも点描があるじゃないですか。もちろんディジュリドゥもそうで、GOMAさんの辿って来たことが全て作品の中に生きてるなと。
GOMA:オーストラリアに住んでた時のことが残ってるかもしれないし、潜在的にあったのか、それとも前世なのか、どれかは分からないけど。
MAI:前世…、あるかもしれないですね。
服部:だから、事故前を前世と呼んでもいいかもしれない。
一同:うまい!
服部:別にうまいこと言うてない(笑)
GOMA:でも、本当にそんな感じはありますよ。事故前と事故後では全然違う自分がいる。まさか絵を描くなんて考えたこともなかったし、それなのに今は毎日描いてますからね。
GOMA
オーストラリア先住民アボリジナルの伝統楽器「ディジュリドゥ」の奏者、画家。1998年にオーストラリアで開催されたバルンガディジュリドゥ・コンペティションにて準優勝を果たし国内外で広く活動。2009年交通事故に遭い高次脳機能障害の症状により活動を休止。一方事故の2日後から緻密な点描画を描きはじめるようになり、現在ではオーストラリアBACKWOODS GALLERY(2016)、新宿髙島屋美術画廊(2018・2019)など多数の個展を開催。2012年本人を主人公とする映画『フラッシュバックメモリーズ3D』に出演し、東京国際映画祭にて観客賞を受賞。2021年TOKYOパラリンピック開会式にてひかるトラックの入場曲を担当。2022年舞台「粛々と運針」の音楽監督と劇中のアートを手掛ける。千年の歴史を持つ古社常陸国総社宮に青華曼荼羅が収蔵された。
服部 滋樹
1970年生まれ、大阪府出身。graf 代表、クリエイティブディレクター、デザイナー。暮らしにまつわるさまざまな要素をものづくりから考え実践するクリエイティブユニットgraf。1993年から活動を始め、異業種が集まる環境と特性を生かした新たな活動領域を開拓している。建築、インテリア、プロダクトに関わるデザインや、ブランディングなどを手掛け、リサーチからコンセプトワーク、デザイン、設計、プログラムへとソフトからハードまで持続可能な形態を生み出す。地域や社会基盤もその領域として捉え、仕組みの再構成と豊かな関係性を生み出すコミュニケーションをものづくりからデザインしている。コンセプターとしてデザインやディレクションを行い、あらゆる領域の視点から社会を翻訳するようなアウトプットを行う。京都芸術大学 情報デザイン学科 教授。
MAI MURAKAWA
ヨーロッパの紙ものなどを中心に扱うアンティークショップやお菓子屋さんを運営する会社のカメラマン、クリエイティブディレクター、キュレーターなどを経て2019年独立。また、13歳の頃から"はじめての感情を忘れたくない"と教科書の隅に詩を書きはじめ、詩人「月森文」としても活動中。2022年4月に京都・修学院に拠点を移し、写真・詩・タロット、古道具の販売ほか、祇園で月2回スナックマイのママも。