今、最注目のイラストレーター・松原光。描くことを決めてから、目標までの最短ルートの歩み方とその思考について。

数々の人気ブランドやキャラクター、ローカルカルチャーを発信する街の最重要ショップとコラボしたり、雑誌の表紙を飾ったりと、日本における最注目な若手イラストレーターの一人である松原光さん。幼少期は転勤族で国内外を転々とし、いろんなカルチャーやアートにどっぷり浸かった青春を歩んできたかと思いきや、サッカー少年で最初の就職先はまさかの漁師だという。その後も、定職には就かない日々を送っていたそうだから驚きです。そんないろんな方向に向いたベクトルが繋がり、今、イラストレーターとして大活躍する松原さんの人生って?そもそも、なぜイラストレーターに?挙げればキリがないほどついてくる「?」について、神戸のとある街に構えたアトリエにお邪魔して聞いてきました。シンプルだけどグラフィカルでユーモアのある作品の裏にある、深さ、潔さに、きっと気づけると思います。そして、松原さんの作品をさらに好きになるキッカケになればうれしいです!

漁師、寿司屋、入力スタッフ、プール監視員、ガソスタ…。25歳でイラストレーターになるまで、いろんな職を転々としてた。

松原さんの作品って、シンプルな線の構図だけどグラフィカルな印象があり、どこかユーモアも感じる。どの作品からも多様なカルチャーの香りがいつも漂うんですけど、まずはご自身のバックボーンの部分から聞きたいなと。幼い頃はどんな日々を過ごしてたんですか?

めちゃくちゃ転勤族でしたね(笑)。父の仕事の都合で常に転々としてる状態で、生まれは岡山なんですけど、そこから長野、東京、岡山、西宮、アメリカ、神戸、香港を経て、中学2年になってようやく神戸に落ち着いた感じです。

国内だけじゃなくて海外生活もあったんですね!ちなみにアメリカや香港では、現地のカルチャーに触れる機会はありました?

アメリカは5〜9歳まで現地の学校にいて、香港は11〜13歳までインターナショナルスクールに通ってました。英語が普通にしゃべれるようになったのはデカイですけど、ずっとサッカーばかりしてたので現地のカルチャーに触れて大きな衝撃を受けたような記憶はないですね。ただ、昔からスケボーのデッキの裏のグラフィックはカッコイイと感じていて、ウォルマートで親に買ってもらおうと思って試乗したら…。

えっ、試乗したら…?

思いきりツルンと滑って、スケボーがオバチャンの足に当たって激ギレされてしまって…。それが恐ろしくて買うの諦めてしまったのが、スケートカルチャーからの大きな洗礼かもしれませんね(笑)

アメリカのオバチャンも怖そうですね…かなり。

でも、中学や高校の時も雑誌を見ててスケーターのレイ・バービーを知ったり、そこからトミー・ゲレロやマーク・ゴンザンレスを経由して、ビューティフル・ルーザーズに辿り着いたり。帰国してからもサッカー三昧の日々でしたけど、そういったカルチャーは追いかけてましたね。それに母がアートや音楽好きだったので、家には絵が飾られたり、常に音楽が流れてるような環境だったんです。まぁ、その時は見向きもしなかったですけど。

なるほど(笑)。何かしらの刷り込みはあったかもですね。じゃ、大学は芸術系に?

いえ、大学はバリバリの文系です。サッカーも続けてましたけど、推薦組のレベルの高さを感じて「これはプロになるのは無理やな」と思ったし、練習時間が決まってて選択したい授業も受けれなかったので潔くサッカーは辞めました。そこからはフットサルを楽しみつつ、いわゆるキャンパスライフを満喫する日々だったかな。

就活はしてたんですか?

英語が話せましたし、大学ではスペイン語を専攻してたので、海外勤務できる商社系を中心に活動してましたね。でも、全滅でしたが…。

マジですか…。

内定はなかったけど、わざわざ就職浪人するのはしんどいし、かと言って無理して行きたい会社もない。卒業も近づいて来てどうしようかなと思ってたら、所属してるフットサルチームの人が「家族の都合で今の仕事を抜けるから、俺の代わりに漁師やってみる?」と誘ってくれて。

えっ!?漁師ですか?

そう、漁師です。新卒入社のルートが絶たれてたから、「とりあえず何かせな!」と焦ってましたし、体を動かすのが好きなのでデスクワークよりはおもしろそうと思って。近所の港から淡路島辺りまで行って、イカナゴ漁をしてたんですよ。毎日2時に起きて3時に出港し、9時には帰ってくる生活。充実はしてましたけど、体にニオイがどんどん染みついて、ごはんを口に運ぶ時に手から魚のニオイが漂ってくるんです。それだけは耐えれなくなり、1年も経たないうちに辞めてしまいました。

就活からの展開が想像の斜め上でした。その後は?

バイト生活のスタートですね。寿司屋から始まり、エクセルの入力業務スタッフ、プールの監視員、ガソリンスタンドなど、いろいろやりました。

イラストレータの「イ」の字すらまだ出てきてませんね(笑)

「何か見つけなアカン!」という想いはありつつも、親に対しては「何かやってます!」アピールは必要だったんですよ。じゃないと、マジで肩身の狭い状態でしたから。

確かに、そのアピールはマストですよね。そこからイラストレーターになるまでの道のりはどんな感じだったんですか?

バイト生活を続けているうちに気づいたら25歳になってて、「このままだと30歳、40歳にあっという間になってしまう。マジでヤバい」と本気で焦り出しまして。父からは手に職をつけた方がいいと言われてたので、まずは職人についていろいろ調べ始めたんです。それで最初に興味を持ったのが、草履職人でした。

いろんな職人仕事はあると思うんですが、なぜ草履職人だったんです?

日本の文化を象徴するものの一つだし、アメリカで販売したら流行るかなと思って(笑)。まずは弟子入りするためにmixiで調べてると、福岡にカッコイイ草履職人さんがいたんです。即行でコンタクトを取って会いに行き、いろいろ話し込みながら弟子入りしたい意志も伝えたんですが、「本気なら受け入れるけど、まずは俺の草履を履いてから考え、それでも意志が変わらないなら連絡して」と言われました。それで自分の足型から草履を作ってもらったんです。

で、どうでした?

数週間して自宅に届いて履いてみましたが、すぐには足に馴染まないから最初はやっぱ痛くて。カッコイイけど、ちょっと違うかなとなりまして…。「すいません」と連絡させてもらいました。

それでまた振り出しに戻るわけですね。

そうですね。ただ、手に職をつけた仕事をするにしても、在庫を抱えずにできるものがいいなとは考えていたんです。それでもう一度自分が興味あるものを洗い出すと、この3つに絞られました。サッカー、犬、デザインです。サッカーに関しては、プレイヤーとして楽しみたいから裏方作業は無理だと思って断念。犬については、自分の犬は可愛いけど他をどれだけ気持ちを込めて愛せるか分からないし、命を預かる仕事だから相当な覚悟がないとできないなと。で、最後に残ったのがデザインでした。でも、専門的な勉強もしてない上、どうすれば職にできるかのルートも不明。「だったら学校に行くか!」と思い、大学や専門学校を受けたんですが、全部落ちちゃいました(笑)。まぁ、そりゃそうですよね、何も勉強せずに安易な気持ちで受けてたので。

ってことは、また初期化されたと…。

さすがに次年度の受験に向けて1年間勉強するのもできない身なので、何も分からないけど独学でやってみようかなと。その時にデザインという分野を大きく捉えて、イラストを描き始めるようになったんです。何も勉強してないし、誇れるとすればアメリカ時代にアートクラスの授業で何度か絵を表彰されたくらいですが、イラストレーターとしてのスタートはその時からですね。

画力がないのは自覚してた。だから、最小限の要素で作品をいかに最大化させるかを考えていて。

完全なゼロスタートでイラストレーターとしての活動を始めたわけですが、知識やスキル、繋がりもない中だとめちゃくちゃ大変じゃなかったですか?

とりあえず毎日描き続けて、ある程度作品が揃ってきたタイミングでtumblrにアップしたり、お金を払ってアートフェアに展示してもらったりしてました。描いてるだけじゃ意味ないし、とにかくどんな手を使ってでも人の目につかないとダメだと思って。

いろいろな回り道もあったし、年齢的にも焦りや切羽詰まった感が現実味を帯びてきてるからこそ、この分野でやるしかないなと。

マジでやるしかなかったですし、自分には何もなかったですから。考えてできることをひたすら行動に移してた状態でした。すると、メールで「書籍の表紙のイラストをお願いしたい」という依頼が届いたんです。ちょうど2016年頃ですね。そこからはその書籍を見た方から別の仕事の依頼が来たりと、スパンは空きつつですが徐々に仕事ができるようになっていきました。もちろん、並行してフェアに出展したり、いろんな場所で名刺を配ったり、できる限りの活動も続けていたんです。

いきなり表紙の依頼っていうのもスゴイですが、その頃には今の松原さんの作風ができてたんですか?

いえ、シンプルな線を使ったイラストではありましたが、既視感のあるものでしたね。やっぱ既視感があると二番煎じだと思われるし、このまま自分のイラストが広がったら逆にヤバいなと感じてました。だから、少しずつですが仕事も受けながら、自分のスタイルを見つけ出すための試行錯誤の日々だったんです。

どんな試行錯誤を?

そもそも画力もないし、単純にシンプルなものしか描けないのは自覚してました。複雑なことは何もできないからこそ、シンプルな線でいかに良く見せることができるか。線画と言っても線の数が最小限の中で、どう表現できるか。線、丸、三角といった形状で、イラストとしてどう成立させられるか。そこが試行錯誤のポイントでしたね。だって、描写するようなものは描けないので。

でもこれって描けないからと言いつつも、追求してる所はめちゃくちゃハイレベルだと思います。デザインとかもそうですけど、要素を削ぎ落としたりする引き算の作業ってセンスだけでは解決できない難しさがありますし。

自分のできることを突き詰めた結果ですけどね。最小限の要素でいかにより良く成立させていくかは、今でも試行錯誤のポイントではあります。

シンプルな線やグラフィカルな形状も特長ですが、松原さんの作品は目も印象的だなと。今のその目にたどり着いた経緯って何かあるんですか?

この目を描き始めたのは2017年くらいですかね。イラストレーターとして仕事をしていくなら、やっぱり自分の好きなブランドとコラボしたいという想いがあって、実現するにはどうすればいいかと考えてました。例えば、KAWSみたいに印象的な目を自分のものにできれば、キャラクターの目を変えるだけでも成立するし、何か別のモノに目を加えるだけでも成立する。これって、やりたいことを実現する最短ルートになるなと思ったんです。それに、オリジナルの目があれば汎用性も高い。そう思ってオリジナルの目を試行錯誤していました。でも、なかなか簡単にはいきませんでしたね。

最小限の要素で成立させていくこともそうですし、自身の作品に対して感性だけじゃなくて、あらゆる面ですごく戦略的に捉えてますよね。

自分のこれまでの経験が活きてるってこともありますし、基本的にはめんどくさがりなんです(笑)。ただ、最小限の力をいかに最大化するかという思考は昔から変わってないかも。転勤族だったから自然と要領が良くなったというか、いきなり誰も知らない場所に放り込まれるわけですよ。そうなると空気を読む力、場を見る力、状況を判断する力が身についていく。クラスの雰囲気に適応しながらスムーズに入り込み、仲間を増やしていったので、自分のできることを最大化するという点ではニアリーなことを昔からしてたんだと思います。でも、当時は「転勤する」と言われるのが、めちゃくちゃイヤでしたけどね。

なるほど。その経験や思考がイラストレーターとなった今、より活きてるんですね。それからオリジナルの目はどんな感じで完成したんですか?

実は目が悪くて、疲れると視界がぼやけることがよくあるんです。その日もぼやけ出してて「あー疲れたな」と思ってたら、たまたま描いてた丸がダブって重なって見えて。「これ、いいかも!」とハッとなり、そこから今のオリジナルの目を描くようになったんです。

松原さんの作品にユーモアなスパイスを加えるあの目には、そんな誕生秘話があったんですね。自分のスタイルも確立されてきた中、イラストレーターとしての仕事も順調に増えていった感じですか?

アパレルブランドさんとのコラボや雑誌へのイラスト提供など、仕事も徐々に増えていきましたね。この話はするのもちょっと恥ずかしいんですけど、当時はイラレやフォトショの知識も浅くて、納品もめちゃくちゃやったなと。何も分からずJPEGで納品してたこともありましたから。さすがに自分でもヤバいと感じて本を買ったんですけど、そもそも知識の下地がないからイマイチ分からずで、職業訓練学校に通い出したものの授業がおもろくなくてすぐに辞めてしまいました(笑)

全て独学スタイルが故にですね(笑)。で、どうしたんですか?

アパレルショップを経営してる高校の先輩と話していると、知り合いのデザイン会社を紹介してくれたんです。でも、会社は学校じゃないし、バイトするにしても経験値が必要で、「イラレとフォトショが使えるなら面接に来ていいよ」という条件をもらいましてね。使いこなせてはいないけど、何となくは分かるので使えるということにして、イラストのポートフォリオを持参して面接に行ったら採用してもらえたんです。

でも、実際の現場では上手く使えました?

いえ、全然使えませんでした。さすがに見かねて「話とちゃうやん!よう来たなぁ」と言われ、僕はただただ「すいません」と笑って誤魔化すことしかできませんでしたね。でも結果的に「まぁ、おもろいな!」と救っていただき、1年ほどバイト代ももらいながらデザインの基礎を学ばせてもらったんです。そのおかげで、今があるって感じですね。

これまでの話を聞いてると、松原さん自身が行動に移してるからこそというのもありますが、要所で必ず人の縁だったり、救いの手が差し伸べられたりしてますよね。

自分で言うのもあれですが、人の縁や運はスゴイ感じます。例えば、福岡で個展をした時によく行く飲食店の方に『マヌコーヒー』さんを紹介していただけたり、そこから『覚王山ラーダー』さんや『スタンドそのだ』さんを引き合わせてもらったり。<TACOMA FUJI>さんは『覚王山ラーダー』で個展をしてる時に紹介してもらったりと、とにかく人の縁がどんどん繋がり、仕事もさせていただけているので感謝しかないですね。

パッと見て誰もが分かる。そんな共通認識を考え、選び抜くことは、僕の中で一番プライオリティの高い作業。

最小限の要素で作品の個性を最大化せていく松原さんのスタイルですが、作品作りにおける試行錯誤のプロセスをもう少し深掘りさせてください。その限られた要素はどういった着想から生まれてくるんですか?

まず最初にするのは、共通認識を探ること。例えば作品のテーマが音楽だとしたら、誰もがすぐ思い浮かぶものを考えていきます。音符だったり、ギターだったり、そのテーマに対する世間一般の共通認識を大きな視点から考え、最終的には最小限のものへと落とし込んでいくんです。自分に教養がないからですが、アートって定義するのも難しいじゃないですか。描くものによってはその歴史や文脈を知ってないと難しかったりもするし、そこを追求して描くのもカッコイイけど、自分にはできない。だから、パッと見て誰もが認識でき、理解できるものを選び抜く作業が自分の作品ではすごく重要なんです。

分かりやすいっていうのは、見る側にとっては思考や感情のスピードにも直結するし、逆に分かりやすいからこそ作品の背景を深掘りしたくもなります。それに、やっぱり見ていて楽しい気がします。その反面、描く側にとってはスゴイ難易度だなと。共通認識って、星の数ほどあるものでもないですし。

音楽で言えば、音符って圧倒的な共通認識。どんなテーマにしても、共通認識には限りがあるので、自分が最終的に何を選ぶかはいつも悩まされてますね。

作品を描く時は下書きしたり、日頃から思いつくものをスケッチしたりもしてるんですか?

簡単な下書きはしますけど、それは自分の頭の中で完成形が仕上がった状態になって、作品として落とし込んでいく時ですね。普段から紙にスケッチを残したりもしてません。やっぱ描いてしまうと映像として残ってしまうから、思考する際にイメージが引っ張られてしまう。だから、基本的には頭の中で描いて、寝かして、常に脳内でイラストをフワフワと泳がせてるような感じです。

てっきりスケッチなどを残してるのかと思ってましたが、頭の中がキャンバスなんですね。

実際に描く時は完成形が頭の中にあるので、日々の作業では考えることが中心だったりもしますね。近所を歩いたり、六甲アイランドの方まで歩いたり、外に出て考えることが多いかなと。僕の作品の場合は最小限の要素で成立させるものだからこそ、最初に決める共通認識でほぼ全てが決まるんです。共通認識を考え、選び抜くことは、僕の中で一番プライオリティの高い作業になりますね。

そう聞くと、ますます作品に対する見え方が変わってきそうで楽しいです。見え方で言えば、写真をベースにイラストを描くタイプの作品も発表されています。パッと見て分かるイラストなのに、よく見るとグラフィック処理された写真と共存していて、段階的な気づきが楽しめる作品だなと。

これも最小限の要素を最大化させることに加えて、汎用性を共存させた作品です。シンプルな線を描くという限られた引き出しをどうやって広げていくかのチャレンジであり、写真が変わることで印象も大きく変化するので、線自体の存在を改めて認識できるものになるなと思ってます。

なるほど。シンプルなもので構成されてますけど、やっぱ深い。どんどん見応えがあふれてくる感じです。最後に、松原さんのこれからのビジョンなどがあれば教えてください!

今、国内のブランドさんやショップさんとのコラボワーク、雑誌、広告、個展など、いろんなステージで仕事をさせてもらってます。アジアでもちょくちょく声をかけてもらえてますが、この先はアメリカやヨーロッパでも認知されるような存在になりたい。いつか、『The New York Times』の紙面を自分のイラストで飾りたいですね。そのためにはもう1段階、2段階レベルを上げてイラストレーターとしての階段を駆け上がっていかないといけないので、これからも常に目線を上げながら作品づくりに励んでいきたいと思ってます!

Profile

松原 光

1988年生まれ。漁師などを経て、独学からイラストレーターとしてのアーティスト活動を始める。最小限の要素を最大化させるスタイルで、シンプルな線とグラフィカルな形状を用いながら作品を制作。2018年に参加した『UNKOWN ASIA 2018』ではJeon Woochi賞、池田誠審査員賞を受賞。POPEYEや文藝春秋の表紙、BEAMSやJOURNAL STANDARD FUNITURE、LACOSTE 、ZONeなど、さまざまなブランドに作品を提供。

https://sandomistudio.tumblr.com/

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