Interview & Writing
松田 岳
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中島 真美

今年の東京オリンピックで新種目として注目を集めた、サーフィン・クライミング・スケートボード・BMXフリースタイル。時代のトレンドはアーバンスポーツへと移行しつつある!? そんななか、日本のBMXレーシング界のパイオニアとして走り続け、今回のオリンピックではBMXレーシングの解説を務めた阪本章史さんにインタビュー。2008年の北京オリンピックから正式種目となったBMXレーシングで、初代BMXオリンピック日本代表選手に。さらには、BMXの本場アメリカのトッププロに初めて昇格した日本人選手に。いつだって“日本人初”の看板を掲げながら、世界の第一線で活躍し続けてきた阪本さんのキャリアを聞いていくと、仏のような金言が…。偉業を成し遂げたプロスポーツ選手のビジョナリーな生き方から、人生における目標達成のヒントが見えてきました。

東京オリンピックに隠れた裏ドラマ、「ゴン攻め」VS「ゲシる」。

東京オリンピックではBMXも注目を集めていましたね!何か反響はありましたか?

BMXをはじめ今年はアーバンスポーツが話題でしたね。認知はかなり広がったと実感しています。最近は、三輪車に代わり人気のペダルなし自転車「ストライダー」のおかげで、BMXレーシングの競技人口も増えていて。BMXレーシングの大会は5歳からエントリーできるんですけど、逆にストライダーの大会は5歳まで。ストライダーの延長線上で、多くの子どもたちがBMXを始めています。

BMX、アツいですね!阪本さんは東京オリンピックにも関わってたんですよね。

解説を任されました。流行語大賞にも選ばれたスケートボードの「ゴン攻め」に負けじと、僕も専門用語の「ゲシる」を流行らせようとめっちゃ使いました(笑)。

「ゲシる」…?

「ゲシる」は、ジャンプから着地が上手くいったのかを表す言葉です。悔しくも「ゴン攻め」ほどは流行りませんでしたが…。あとは日本代表選手のサポートも僕の大切な役割でした。

解説から選手のサポートまで、かなりの重役ですね。

今はBMXレーシングの全日本選手権やJAPANCUPなど、自転車競技連盟の主催大会の実行委員長も任されています。大阪・新金岡にある大泉緑地内のBMXコースで全日本選手権やJAPANCUPといった色んな大会を主催するなか、ようやく日本のBMX レーシング界の盛り上がりも海外に追いついてきてるんですよ!有料観客席を設置したり、炭酸ガスのジェットスモークで入場を演出したり。2021年11月に行われた「TOYO TIRES  JAPANCUP」大会なんて、たまたま公園に来ていた方々が遊具に登って、観客化してましたからね。「来年は観客席で見たい!」って言われて、最高に嬉しかったです。

僕も先日、動画でBMXレーシングを初めて見て興奮しました!解説も務めた阪本さんからみて、BMX観戦をより楽しむためのポイントってありますか?

ダントツで迫力です。MAX70km近いスピードはもちろん、日常では考えられないジャンプシーンや猛スピードのまま突っ込むコーナリングにも注目してみてください!映像で見てもBMXレーシングの迫力は伝わると思いますよ。

ライブ観戦すると、また違う楽しみ方もあるんですか?

音が違いますね。タイヤが地面の砂に擦れる音、コーナーで体がぶつかっている音とか。映像では拾いきれない緊張感のある音が聞こえてきます。BMXレーシングは自転車競技の格闘技と言われてるほど激しいので。

個人的に気になったのは、レーサーのファッション性の高さ。かなりクールですよね。

BMXはアメリカの西海岸から生まれたアクションスポーツなので、カルチャーの色が強いんですよ。みんなが当たり前に履いているVANSも元々はBMX用のシューズですから。ワッフルソールはグリップ感をよくするために設計されています。ソールも薄いので、ペダルを漕ぐ感覚が足へとダイレクトに伝わってきますね。

ネガティブな思考も感情も、受け入れることから始めよう。

阪本さんがBMXを始めたきっかけってありましたか?

8歳の頃、友達に誘われて見たBMXレーシングが僕のルーツです。「普段乗っている自転車があんなに飛ぶなんて!」と、日常で慣れ親しんでいる自転車が非日常の乗り物に見えて衝撃を受けましたね。ただ当時、BMXの価格は最低でも10万円くらい。すぐには買ってもらえませんでした…。

あれ、まだBMXに跨っていないと。

ママチャリみたいなマウンテンバイクあったの覚えてますか?あれで大泉緑地のレース用コースをガンガン走ってました。そしたら、2回も自転車が壊れて(笑)。見かねた母がようやくBMXを買ってくれたんです。初めて乗った時の乗り心地は今でも忘れられませんね。

そこからプロを目指したのはどんな理由が?

9歳の頃に初めて出場したBMXレーシングのローカル大会で3位に入賞して、さらにハマって。先輩に教えてもらいながら独学で練習する日々でしたね。明確にプロを意識したのは、日本代表に選ばれてアメリカに遠征した中学1年生のとき。世界選手権のレベルとエンタメ性の高さに「なんじゃこりゃ!」と、松田優作ばりに驚愕しました。

リアルに「なんじゃこりゃ!」って思う瞬間、よほどの衝撃ですね(笑)

さらに、次は世界のトッププロたちが走るリーグ戦にアマチュアカテゴリーで参戦し、2回目のアメリカへ。世界最高峰の大会『グランドナショナル』の眩しさを目前に、「ここで自分もトッププロとして走りたい!」と僕の夢が決まりました。

13歳のときの夢を叶えるなんて、カッコ良すぎます。

いやでも、道のりは長く遠かった…。18歳の頃にスポンサー契約を結びプロデビューして、アメリカへ拠点を移したのは良いものの、上位リーグのトッププロに昇格できたのは24歳。最初は全く通用せずに、約6年かかりましたから。

そして、ついに日本人初のアメリカのトッププロへ昇格。さらには、日本人初のオリンピック出場の偉業を成し遂げるわけですね。

BMXレーシングが初めてオリンピック種目に選ばれた2008年の北京オリンピックで、日本代表として出場しました。オリンピック出場国&出場権をかけた大会で上位入賞を果たし、そのチケットを手に入れた形です。

先ほど「最初は通用しなかった」とありましたけど、どこに世界との壁を感じたんですか?

全部です!体格やフィジカル、技術力、コースの難易度など、あげればキリがありません。特に日本人の僕は体が小さくて、格闘技のライト級対ヘビー級みたいな戦いでした。

自転車競技の格闘技と呼ばれるBMXレーシングにおいて、致命的な差じゃないですか…。

その差を埋めたのが僕のアダ名「GAN(ガン)」の由来ですね。

さすが、BMX。アダ名までクールですね。

僕はスタートダッシュが得意なので、拳銃から飛び出す銃弾を比喩した「GUN」をもじり、「GAN」と呼ばれるようになって。BMXレーシングの勝敗はスタートで8割は決まるんですよ。スタートがコンマ1秒遅れただけで、肘一個分の遅れが生まれ、その差を取り戻すのは難しい。

素朴な疑問で、どうしてスタートダッシュが得意なんですか?

得意ではなくて、トレーニングと研究の成果です。体格差のために競り合いで勝つことが難しい僕にとって、スタートで少しでも前に出れたら展開が楽になりますから。足腰中心のフィジカルトレーニングを愚直に続けて、色んな選手のスタートを見ながら技術を身につけていきました。

先天的なギャップを埋めるための勝ち筋を見出したんですね。仕事だけじゃなく、スポーツも、やはり選択と集中が大切だと痛感しました。

自分の中にある武器やリソースを見極めて、勝負することは何事でも重要かも知れませんね。

ただ気になったのは、いくら練習してもスタートはメンタルもかなり影響しそうだなと。特にスポンサー契約でプロとして活躍していた阪本さんなら、プレッシャーはハンバないはず。

1年更新の契約で、結果が出なければすぐに切られる環境ではありました。実力社会のアメリカのメーカーは特に結果にシビアですからね。

「このレース負けたらどうしよう」とか思うじゃないですか。そしたら、コンマゼロ秒台の世界で勝負しているスタートダッシュなんて、特に失敗してしまいそう…。

僕も緊張はしますよ。でもね、思ってしまうことは仕方ないんですよ。

どういうことですか?

だって、受け入れるしかなくないですか? 僕は「負けたらどうしよう」とか不安になることって、仕方ないと思うんです。ポジティブが正解と捉えると、ネガティブな思考や感情になってはいけない、みたいじゃないですか。それに、やめようと思ってやめれることじゃないですし。ネガティブをダメだと捉えるから、頭が整理できずに迷いが出るんですよ。だからもう、「ネガティブも全部仕方ない」と思って、受け入れるようにしました。そうすれば結局は、今までの日々が結果として表れるだけですから。

夢を伝え続け、応援してくれる人がいたから、ここまで来れた。

ここまでの話では順当に夢を叶えた印象なのですが、苦労した時期とかなかったんですか?

プロデビューした18歳から、トッププロに昇格した24歳までの期間は苦労しましたよ。6年間もアメリカで金銭的にギリギリの生活でしたからね。生活費はもちろん、機材費に遠征費。いつも資金不足に頭を抱えていたような…。シェアハウスで暮らしながら、遠征のときも小さな車に数人がぎゅうぎゅう詰めみたいな。契約金とレースの賞金だけで何とか生き延びてました。

プロとトッププロでは、資金面でも大きな違いがあったんですね。

他にも、本場アメリカならではの洗礼とか。当時はアメリカで活躍する日本人プロBMXレーサーがいなかったので、「反則やん!」みたいなプレーとか、話しかけても無視されるとか。

過酷過ぎる…。それに6年もあれば、多くの人は途中で諦めてしまいそうなもの。BMXの何がそこまで阪本さんを魅了してたんですか?

純粋に想いだけですね。8歳の頃に初めてBMXを見たときの衝撃。初めて世界最高峰のBMXレーシングに触れたときの感動。『グランドナショナル』で走りたいと夢を持ってから、その感覚を忘れることも、薄れることすらもなかったです。

辞めたいと思ったことは?

ないですね。しんどかったけど、辛いと感じたことはなかったですね。自分が憧れて目指した道なので。苦労した6年間も、BMXに乗っているときが至福の時間でした。

講演会などで話す機会もあると聞いたんですけど、その苦労した時期の考え方や気づきを話しているんですか?

企業や高校生向けに講演のご依頼をもらうことはありますね。そのときに話しているのは、僕がスポーツを通じて学んだこと。特に、“伝えることの大切さ”をよく話しています。信条というか、生きるうえで大事にしている考え方です。

具体的にはどんな話を?

トッププロを目指しているとき、周りに対して「トッププロになりたい!」と伝え続けていたんです。もちろん、それを伝えたところで風当たりは強かったですし、「絶対無理だよ」とも言われてきました。でもやっぱり、中には応援してくれる人がいるんですよ。僕が考えていることや思っていることを伝えないと、アメリカで応援してくれる人なんて誰もいなかったはず。

夢やビジョンを伝え続ける、語り続けることが大切だと。

例えば、綺麗事抜きに話すと、当時は本当にお金がなかったんですよ。ギリギリの生活のなか、応援してくれる人たちがご飯に連れて行ってくれたりして。元々他人ですよ? めちゃくちゃありがたいじゃないですか。伝えることで初めて、フォロワーができて、良い環境が生まれて、1人よりもずっと遠くまで走って行けるようになった感覚です。

今の時代に照らし合わせると、SNSで発信することも大切かもしれませんね。

僕は毎日ブログを書いてましたよ(笑)!そうすると、久しぶりに日本の知人からコメントをもらうこともあって、そのやり取りが励みになることも。あとは似たような話で、“分かってもらえる”と思わないことも大切ですね。汲み取ってもらえるだろうと相手に期待するのではなく、しっかりと自分から伝えないと。日本人は良い意味でも空気が読めるので、相手に期待しがちですけど、アメリカでの生活を通じてそれじゃダメだと気付かされましたね。

「BMX界への貢献は僕の使命!」。日本初のチャレンジは、まだまだ終わらない。

阪本さんが立ち上げた日本初のBMXプロチーム「GANTRIGGER(ガントリガー)」の活動についても教えてください!

簡単に言えば、サッカーのクラブチームみたいなものです。現在、3名の選手とプロ契約しています。日本には世界レベルのコースもBMXに特化したトレーニング施設も不足しているからこそ、コースがある新金岡で最新の機材を揃えたBMX専用のトレーニング施設を作りました。

資金不足に悩んだ過去を持つ阪本さんならではの答えですね。ちなみに、「GANTRIGGER」の“GAN”は阪本さんのアダ名から取ったんですか?

その通りです。スタートを決める、にかけてチーム名に取り入れました。「TRIGGER」は日本語で拳銃の引き金を意味していて、さらには“きっかけ”の意味も持っているため、「このチームが世界へ羽ばたくきっかけとなれるように」という想いを込めています。

選手としての夢を叶えた阪本さんが、次に目指すステージは?

日本におけるBMXの社会的地位の向上。もっとBMXの価値、存在意義を大きくしていきたいです。これは長年BMXシーンで生きてきた僕の使命だと思っています。教育できる人数を増やす、プロ契約する選手を増やす、そして何よりも競技人口を増やす。さらには、野球やサッカーなどのメジャースポーツと同じように、もっと多くの方々に観てもらえるエンタメスポーツとして認知を広げていけたら。BMXレーシングの迫力やカルチャーを味わってもらいたいです。

選手時代と変わらず、今なお日本人初の看板を掲げて、BMX業界をリードし続けていくんですね。

昨年の全日本選手権から有料観客席を設置することに挑戦しています。日本では初めての取り組みでしたからね。子どもたちがBMXレーシングに触れるきっかけを作ることで、「ここで走りたい!」と思ってもらえたら最高です。その先には日本のBMX界のレベルアップも待っていますから。自分が夢を持ったときと同じ原体験を多くの子どもたちに届けていきたいですね。

Profile

阪本 章史

1982年生まれ、大阪・堺市出身。日本BMXレース界の第一人者であり、海外ではアジアトッププロBMXレーサーとして知られる。2006年に本場アメリカでトッププロへ昇格。2008年開催の北京オリンピック日本代表。2017年には日本初のBMXプロチーム「GANTRIGGER(ガントリガー)」の代表として活動しながら、若手の育成にも取り組んでいる。

https://gantrigger.jp
https://instagram.com/gantrigger/
https://facebook.com/GANTRIGGER/

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