Interview & Writing
六車 優花
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糟谷 有一

『Meets Regional(以下ミーツ)』といえば、創刊から30年以上にわたって京阪神エリアで愛され続けるローカルドキュメント誌。街と酒場のグルーヴ感、そしてひとクセもふたクセもある名物店主にフォーカスしたユニークな視点は、まさに『ミーツ』が長年築き上げてきた唯一無二のもの。2019年より同誌の編集長を務める松尾修平さんは、とびきりイキのいい街ネタをフックアップし、そこに新たな価値やカルチャーを見出してきた立役者でもあります。だけど読者の中には、「実際どんな人なん?」「めっちゃ飲み歩いてるんちゃう?」と、彼のことが色々気になっている人も多いのでは? そこで今回は、松尾さんのことをもっと知るべくインタビューを敢行。副編集長の藏ヶ崎(クラガザキ)さんにもご登場いただき、一緒に話をお聞きしました! 知られざる経歴やその内に秘めた人間性とは? これを読んでくれた人たちの、『ミーツ』への愛がもっと深まりますように!

“いずれは編集長に”、そのハッタリが突然実現。本格的に酒場へ出向くようになったのは、『ミーツ』編集部に異動してから。

編集長の松尾さんは、笑うとクシャッとなる柔らかな表情が印象的です。

松尾さんはどういった経緯で編集長になったんですか?

松尾:前任の竹村(現『サヴィ』編集長)が『ミーツ』の編集長を務めて丸3年目、来年はどんな企画をしようかと考えていた時、急に竹村から呼び出されて、「来期は松尾くんが編集長ね」と言われたんです。数年前からハッタリで、「いつか編集長になりたいんです」とは言っていたものの、正直信じられませんでした。

突然の辞令だったんですね。せっかくなので、学生時代のことやこの仕事に就いたきっかけも教えてください。

松尾:僕は兵庫県小野市出身で、都会への憧れがとにかく強かったんです。大学入学と同時に大阪に出てきて、街のリアルな情報を知りたいと読み始めたのが『ミーツ』と『カジカジ(20年休刊)』でした。

京阪神エルマガジン社に入社したのはどうしてですか?

松尾:大学の先輩が『ミーツ』の編集部でアルバイトをしていて紹介してもらったんですが、「今は人が足りてるから」ってバッサリ言われて。その時は出版社入社、終わったと思ったんですけど、電話確認のアルバイトとして、たまに呼んでもらえるようになったんです。てっきりそのまま入社できるもんやと思って就職活動もせずに過ごしていたら、正式に採用されないまま大学を卒業してしまって。フリーターをしつつ、呼ばれた時だけ編集部に行くという生活を半年ほど続けていました。そうするうちに、当時ウチの会社から発行していた音楽専門誌に欠員が出て、常勤のアルバイトとして雇ってもらえたんです。もともと出版社って新卒採用自体がなかなかないので、雇ってもらうにはアルバイトで入り込むしかなかった。

かなりラッキーでしたね。編集の仕事にはずっと憧れがあったんですか?

松尾:雑誌は好きで昔から買ってたけど、マスコミ=華やかというイメージ先行でした。

学生時代はどんなことをされてたんですか?

松尾:商学部でしたが、これといって勉強もせず、とにかくバイト三昧でした。家庭教師、コンビニ、コンサートスタッフ……、ホンマに色々やりましたね。田舎から出てきたばかりでとりあえず遊びたかったので、飲み会の多そうなイベントサークルの新歓コンパに行ったんです。全然お酒が飲めないのにめちゃくちゃ飲まされて、酔っ払って先輩にケンカを吹っかけて、そのまま外でめちゃくちゃ吐いちゃって。入学したての時期にそんなことがあったので、もう学校で合わす顔がない、しばかれると思って、サークルは諦めてアルバイトをしまくりました。それ以外は特に何もしなかった、ダメな学生時代でしたね(笑)。

街で遊ぶおもしろさに気付いたのは、いつだったんですか?

松尾:今の会社に入ってからですね。仕事柄外に出ることが多くなって、情報を吸収しに街へ繰り出すのが楽しくなりました。僕、実は一度この会社を辞めて、2年後に再入社してるんですよ。27歳で一旦辞めて音楽関係の会社に転職して、名古屋に配属されたんですが、友達もいないし忙しいしで気持ちが病んじゃって。大阪に帰ってくるたび、当時の『エルマガジン』編集長に、飲みに連れて行ってもらっていたんです。今の状況がめっちゃ辛いっていう話もしていて。そしたらある時、「もうすぐ欠員が出るけどやる気はないか」と言っていただけて、この会社に戻ってきたんです。入社して一年ほどで『エルマガジン』が休刊になってしまって、そこからはずっと『ミーツ』ですね。『エルマガジン』では音楽担当をしていて、『ミーツ』に配属されるまでは、飲食店を取材したこともなかった。飲み歩くこともほとんどなくて、本格的に酒場へ出向くようになったのは、『ミーツ』に異動してからです。

松尾さんと藏ヶ崎さんは何年くらいの間柄なんですか?

奥にいるのが副編集長の藏ヶ崎さん。ふたりのスムーズな掛け合いから、長年培ってきた絆が伺えます。

藏ヶ崎:僕が入社したのが08年だから、もう10年以上一緒に働いてますね。

松尾:僕が『ミーツ』に配属された2ヶ月後に彼が入社してきたんです。当時の編集長に「明日から入社する新人です」と紹介された時、彼はスーツを着て長めの髪をセンター分けにしていて、とにかく好青年やったんですよ。それが出社当日にいきなり坊主になっていて、衝撃を受けた記憶がありますね。

藏ヶ崎:たまたまですけどね。

松尾:たまたまちゃうでしょ(笑)。あと、彼は入社時の洗礼を存分にくらってました。ちょうど日本酒特集のタイミングで、歓迎会がてら日本酒居酒屋にロケハンに行こうってなったんです。当時編集部には、あくまでもイイ意味でややこしい人がいっぱいいて、日本酒をめっちゃ飲まされてました。

藏ヶ崎:試飲っていう名目なんで、メモを取りながら飲んでるんですよ。翌朝10時から「山中酒の店」っていうレジェンド店のインタビュー取材を控えてるのに、コテンパンに潰されちゃって。盛大に吐いた後、きっちりインタビューしてきましたけどね。今はそんなのパワハラで一発アウトやから、そういう意味では時代を感じます。

負けん気が強いので、以前はよく言い合いのケンカもしてました(笑)。お酒が入ると暑苦しいってよく言われます。

長年一緒に働いてきたおふたりですが、藏ヶ崎さんから見た松尾さんってどんな人物ですか?

藏ヶ崎:“粘り強い人”ですね。僕らは街や人の今を切り取る雑誌をつくっていて、街のご意見っていっぱいあるじゃないですか。松尾はその編集長をやっているから、なおさら色んなことを言われやすいと思うんです。そんな意見にも負けず、粘り強くやっていますね。それこそ飲みに行くと、「最近の『ミーツ』おもんないねん」とかめちゃくちゃ言われるんです。以前は松尾もムキになってケンカしていましたけど、編集長になってからは、粘り強く受け答えしてますね。

松尾:確かにお酒が入るとカチンときちゃうんで、以前はよく言い合いのケンカもしてました。だけど今は、そういう時こそ酒場でとことん話し合おうと思っていますね。僕と藏ヶ崎が初めて『ミーツ』に配属された時、編集長と副編集長以外ほとんど男性やったから、女性先輩率いる“部活”みたいな空気感が根付いているんです。僕らは良くも悪くも当時のノリが残っているので、負けん気はわりと強い方かも。だけど僕、今まで生きてきて殴り合いをしたことがないんですよ。だから、手を出す感じのケンカは引くくらい弱いと思います。

手は出さないけど、負けん気は強い武闘派なんですね。ふたりは飲みに行って、どんなお話をされるんですか?

松尾:編集部や雑誌の話をすることがほとんどで、よく暑苦しいって言われます。藏ヶ崎と飲みに行くことも多いんですが、酔っ払うとどうしてもアツイ話をしてしまって、彼はあからさまに飽きている顔をしてますね(笑)。

藏ヶ崎:だって今オフィスで席が隣同士で、社内で散々顔を突き合わせて話をしてるのに、まだ仕事の話をしてくるんですよ。酒場でするもんちゃうやろ!と実際思っています。

松尾:最近も一緒に飲みに行ったら置いて帰られてしまって、気付いたら一人になっていました。僕、最近気持ち悪くなったりもどしたりすることがなくなって、際限なく飲めちゃうんです。次の日酷い二日酔いになるのがわかっているのに飲んでしまうから、ある意味地獄ですよ。飲み始めると、根っ子が生えたみたいに帰りたくなくなるんですよね。楽しい場には最後までいないと損した気分になる。

藏ヶ崎:クライアントさんと一緒に飲みに来てるのに、「僕ここに残るわ」って言われたこともありますね。無茶苦茶ですよ(笑)。

個人的にはどれくらいの頻度で飲みに行かれてるんですか?

松尾:今は週1、2日くらいだけど、コロナ前は5、6日飲みに行っていましたね。前は週に一度、必ず飲みすぎて動けない日がありました。カメラマンさんとかライターさんとか、普段一緒に仕事をしているスタッフさんと飲みに行くことが多いです。僕らの周りは大体お酒が好きなので、どうしても回数が多くはなりますかね。

藏ヶ崎:まあ頻度が多いと言っても、ロケハンを兼ねているので。知り合いの新しい店がオープンしたら、周りを誘って行くこともありますし。最近は2号店、3号店のニュースも多いから、ちょこっと顔を出しに行くとか。

松尾:そうそう、僕らは定期的にロケハン報告会をしていて。「その店のどこがおもしろいの?」と尋ねて、友達におすすめするような感じで教えてもらっているんです。大切にしているのは、「店主のキャラがおもしろかった」とか「夫婦でやってて、その掛け合いが良かった」っていう生きた街のナマの意見。値段とか料理の種類とか、目に見えるスペックを抜きにしたその店ならではの魅力が、企画のヒントになることが多いんです。だからこそ、掲載するお店のセレクトには、ロケハンやクチコミが欠かせない。編集部が行ってなくても、誰かしら知り合いが行ったことのある店を選んでいて。そのウラドリは結構重要ですね。

今だからこそ笑って話せる仕事の失敗談ってありますか?

松尾:前日に飲みすぎて、酒臭いまま取材に行ったり全然仕事にならなかったりすることはよくあります。それ以外だと、3年前に「ミーツ•リージョナル 酒祭」というイベントがあって。イベント前に座談会の取材をしていたんですが、そこが盛り上がりすぎて、会場に着いたらイベント後半戦だったという事件はありましたね。しかもその後の打ち上げで、後輩の女の子にボロ絡みして、アツイ話をしすぎて泣かせちゃうっていう。

(笑)。色々お話を聞いて、改めて松尾さんのアツさを感じました。

藏ヶ崎:アツイですね。副編集長だった時代は、今よりもっと暑苦しかったけど。それこそ松尾が副編集長の頃は、ケンカばっかりしていました。この前も社内で僕らが喋っていると、「あの2人ケンカしてるけど大丈夫?」って編集部の子たちがザワついていて。全くケンカしてるつもりはないんですが、お互い語気が強めになってる時があるみたいです。「あの2人ケンカしてたのに、よく飲みに行きますよね」とか、裏でこそこそメールされていたこともありますね。

松尾:僕らは相談してるだけのつもりなんですが、ケンカに見えてしまうみたいです。もう10年以上の間柄ですから、その辺りの空気感はもう出来上がってるんです。

藏ヶ崎:ノリで本つくっちゃえ! という昔の『ミーツ』の残り香があるふたりだとは思います。

今はそういう時代ではなくなったということでしょうか?

松尾:やっぱり編集長で雑誌って変わりますから。だけど、「怒られてもOK。だって『ミーツ』やから」っていう昔ながらのノリが僕は好きで。その根っ子の部分は、藏ヶ崎も受け継いでいると思います。竹村の時代はわりとスマートな企画が多かったんですが、僕が編集長に変わってからは、街のノリにフォーカスするような企画が軸になってきて。その部分を引き出すために、当時『サヴィ』にいた藏ヶ崎をわざわざ引っ張ってきたんですよ。彼には、「僕が編集長になったら現場に出られる機会が減ってしまう。やから切り込み隊長になってほしい」と伝えました。あとは『サヴィ』でモデルページを担当していたので、その経験を『ミーツ』にも生かしてほしいなと。僕には絶対できないことだし、誌面でもやったことがなかったので。おもしろかったら何でもアリの雑誌だからこそ、もっと遊んでほしいんです。

藏ヶ崎:僕もその思いを汲み取って、見たことないものをつくる努力は常にしてます。エリア切りの特集は定期的にありますし、毎回新鮮なものとして興味を持ってもらえるよう工夫していますね。

おふたりの根本にある『ミーツ』イズムを後輩に伝える努力はしているんですか?

松尾:僕は後輩の面倒見がそこまで良い方ではないけど、ロケハンで色んな店に行くので、後輩と一緒に飲む機会は結構あって。今は入社して2年目くらいのメンバーが多いんですが、そういうノリの片鱗や次世代への可能性のようなものは少し感じています。ただ、僕はなんでも一人でやりたがるところがあるので、少しずつ下の子に任せるようにしていますね。あとは、できるだけ怒らないよう意識してます。

藏ヶ崎:この前古本屋で、『怒らない』っていう本を買ってましたもんね。いつも隣で松尾を見ているので、「イライラが顔に出てんで」っていうのは常時伝えています。

松尾:変にピリつくのは良くないけど、少しはピリッとした空気も必要だと思っていて。僕はピリピリしているのがすぐ表情に出るから、どうしても後輩たちが萎縮してしまう。自分の気分次第でキツイ言い方をしてしまう時もありますし、加減が難しいんですよね。後から藏ヶ崎に、「あれはアカンで」と注意されることもたまにあって。すぐイライラしないようにしたり粘り強く話を聞いたり、周囲との接し方は気を付けるようにしています。

今から10年後、どんな風になっているのか想像できますか?

松尾:10年後は53歳かぁ。雑誌はやっぱりフレッシュな方が良いと思うので、編集長はもうやってないでしょうね。ホンマに身体だけ壊さんように、健康に気を付けて、美味しくお酒が飲めていたらいいかな。

藏ヶ崎:体力的にいつまでできるか、みたいな部分もありますし、雑誌も全く違うものになってるやろうし。今はコロナもあって、世の中が激変している時代なので、10年経って変わってないと困りますね。

松尾:もしかしたらWEBになってるかもやし、月刊誌じゃなくなってる可能性もある。その時代に合わせて、色んな形に変化していけばいいと思っています。とりあえず、僕が全国で一番今の『ミーツ』を好きな自信はありますね。

11月で1周年を迎える『心斎橋パルコ』とタッグを組んだ『Meets Regional』12月号。ぜひ手に取って、心斎橋の“今”を体感して!

11月1日発行の『ミーツ』12月号は心斎橋特集ですが、どんな思いで着手されたんですか?

松尾:読者時代の僕にとって、『ミーツ』は堀江や南船場の価値を押し上げた“ミナミを切り取る雑誌”という印象が強くて。今回が雑誌の創刊400号目ということもあり、そのタイミングで心斎橋特集ができたのは、かなり感慨深いですね。初の試みとして、今年11月20日で一周年を迎える『心斎橋パルコ』さんとガッツリ組んで誌面をつくったんです。商業施設にフォーカスした特集は初めてだったので、もちろん大変でしたしチャレンジ的な面もありました。だけど僕らもリサーチを進める中で、素直に今このエリアで一番盛り上がっているのが『心斎橋パルコ』だったんです。なので今回の特集は、試み新しく、内容もピュアにできたというのが、すごくおもしろかったですね。

『Meets Regional』12月号『心斎橋パルコ』の表紙と特集ページのトビラ。グルメ、ファッション、アートと多彩なコンテンツが揃います。

藏ヶ崎:『ミーツ』らしい切り口を考えた時、商業施設ってスタッフが登場する企画があんまりないよねと話していて。それならば、と『心斎橋パルコ』さんのページは、すベて人ありきの企画にしました。ただ編集スタッフと出演者、館のスケジュールの調整がめちゃくちゃ大変で、正直いつもの3倍しんどかったです。だけど、ミナミに繋がってる人たちをかき集めて一冊作ったので、今の温度感はすごく伝わるんじゃないのかなと。今回はこんなにキャラが濃い人がいますっていうより、K-POPに夢中な女子やダンスミュージックが好きなお姉さん、色んなジャンルの人がごちゃ混ぜになってるのがおもしろいよねっていう内容にしたくて。どんな人が来ても受け入れてくれる街、それがミナミだよっていう。

なるほど。色んなものが混沌としてるけど、受け皿の広い街というイメージは、私もすごくしっくりきました。表紙はコムアイさんなんですね。

松尾:撮影現場でめちゃくちゃ良い表情をされていたので、その時から狙っていました。もちろん華やかな著名人ではあるけど、パワフルやしめちゃくちゃ笑うし、結構ミナミの人っぽいなという印象もあって。彼女が心斎橋ネオン食堂街『心斎橋パルコ』地下2階)のアイコンショップでもある『TANK酒場』のカウンターに座っている時、その姿が最高にキマっていて、他の表紙候補が全部飛んじゃいましたね。

藏ヶ崎:彼女には、各店のサスティナブルな取り組みを紹介するという形で出演いただきました。オープン時のビジュアルにも起用されていた方なので、1年経ってどうなったのかみたいな意味も込めて。ただスケジュールが上手く合わず、校了日ギリギリの撮影でした(笑)。

松尾:スケジュールがギリギリやったので、さすがに肝を冷やしましたね。そんなヒヤヒヤする場面も多かった『ミーツ』12月号は、遂に本日11月1日(月)発売です!僕らが切り取った心斎橋の今を、誌面でぜひご覧ください!


インタビュー後、京阪神エルマガジン社がある肥後橋界隈で、松尾さんがよく訪れるというお店を教えてもらいました。

●チュカテ (Instagram/@ciucate
会社の打ち上げなどでもよく利用するという人気イタリアン酒場。松尾さんはオープン時からの常連で、大体ソーセージ、せせり、焼酎の水割りを注文することが多いそう。

●(食)ましか (Instagram/@mashica_official
オーナーの今尾さん(左)は、実は松尾さんと同い年! コロナ禍でスタートした『ミーツ』のYouTubeチャンネルの撮影でも協力してもらったとか。※11月1日より休業し、最近出店した阪神百貨店に注力するそう。

●のざき(Instagram/@zantoh002
エスニック酒場『のざき』の野崎さん(中)と3人でパシャリ。ランチにもよく来られるそうです。


今月号の『Meets Regional』をお見逃しなく!

インスタグラム/@meets_regional
Twitter/@MeetsRegional
YouTubeチャンネル/Meets TV

Meets最新号(京阪神エルマガジン社)

Profile

松尾 修平

1978年、兵庫県生まれ。京阪神の街と人にフォーカスした月刊誌『ミーツ』の編集長。2002年より京阪神エルマガジン社に入社し、月刊誌『エルマガジン』の音楽担当を経て、08年に『ミーツ』編集室へ。19年編集長に就任。日課は毎朝のランニングで、最近よく飲むのは焼酎の水割りだそう。

Profile

藏ヶ崎 達也

『ミーツ』副編集長。ファッション誌の編集を経験したのち、09年に『ミーツ』の編集部員として京阪神エルマガジン社に入社。その後、月刊誌『サヴィ』を経て、19年より現職に。

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