イギリスを拠点に世界規模で活躍するバンド・The fin.のYuto Uchinoさんが、再び日本から世界へ届ける、新しくて自分らしい音楽。


小さいときから音の情報がすごい大切だったし、見てる景色が全部遠いから、音に遠近感が身についた。宝塚はやっぱりちょっと特別やなって思いますね。

そもそもYuto Uchinoさんが音楽にハマっていったのはどんなきっかけがあったんでしょうか?

父がバンドをやってて、お母さんも若いころにジャズシンガーを目指していて。そんな両親の影響から、本当にずっと昔から音楽が好きでした。僕が3歳くらいのときには、自分で歌詞とメロディー考えて歌ってたらしいです。

音楽一家だったんですね。

小さいころ、姉がMDコンポを親に買ってもらってて、一緒に聴かせてもらったとき、音の広がりにビックリして。中学生になってから僕もステレオを買ってもらって、音楽を聴いてたんですけど、「なんで洋楽はこんなに身体が動くんだろう」って不思議に思ってました。

英語のグルーヴ感が当時からフィットしていたのかもしれませんね。

あとは、ポケモンかな。

ポケモンですか?

ゲームボーイのポケモンに初めてイヤホンを繋いだとき、ちっちゃいスピーカーからは聴こえないベースの音がしたときは衝撃が走りました。「全然自分が思ってた曲と違う!」って、めっちゃ感動したのを覚えてます。

その体験、わかる気がします(笑)。それにしても、幼いころから音に対しての興味がスゴイ!

多分、 音の情報がすごい大事な子どもやったと思うんです。だから、逆に大きい音がすごく怖くて、花火から逃げたりしてました。

今の繊細なサウンドメイクに通ずるものを感じますね。そんな幼少期を過ごしたのち、自分で曲を作るようになったのはいつ頃からですか?

16歳のときで、当時は大好きなアジカンのコピーバンドをしてました。そしたら知り合いに声をかけてもらい、神戸の『ART HOUSE』っていうライブハウスのイベントに出さしてもらうことになったんです。

バンド活動はアジカンのコピーバンドからなんですね。そのイベントは学校の軽音部が主催みたいな?

いや、それが東京から来たインディーズバンドのレコ発のイベントで。オープニングアクトにいきなり呼んでもらったんです。そのときのブッキングマネージャーが、アルカラっていうバンドの稲村さんでした。ライブが終わったあとに、「お前ら本気なら1ヶ月に1曲作ってこい!」って言われて…。僕らも16歳そこらなんで、「はい!マジっす!!」って即答したんですよ。

それからオリジナルで曲を作るようになったんですね。

授業中に一生懸命考えたり、自分でレコーディングしたりして。別に小さいころから鍵盤をやってたワケでもなく、ギターも父のが家にあったから弾き始めただけなので、作曲について何の知識もないまま。とにかく無我夢中で毎月1曲ずつ作ってました。全然自分が好きな曲できなかったんですけど、18歳ぐらいになってからちょっとずつ自分が好きな曲を作れるようになってきたんです。

未経験なのに毎月曲を考えるってものすごく大変だったでしょうね。好きな曲が作れるようになったのは、上達していったからですか?

それもあると思うんですけど、最初は日本語で歌ってて、自分でもなんかうまくいかないなってずっと思ってたんです。アジカンのコピーはできるけど、オリジナルだと何故かしっくりこなくて。それで一回歌詞を英語にしてみたらバチっとハマった感じで。

言葉のリズム感が馴染みやすかったんですかね。洋楽でノリノリになってましたし。

そこから「英語で歌うなら日本のなかだけのバンドじゃなくて、世界中の人が聞ける音楽にしたい」って思って。英語をちゃんと勉強し始めました。

それで今のスタイルに。キャリアの初期から世界を意識してた。こうしてちゃんと世界で活躍されてますし、有言実行で。

別に「英語が好き」って気持ちはなかったんで、学校の授業では普通にめっちゃ寝てましたけどね。自分の将来に必要やからっていうエナジーだけで勉強してたんで、今から「もう1言語やれ」って言われたら普通にキツイかも。

地元は兵庫の宝塚でしたっけ。どんなことをして過ごしてたんですか?

お金もないし、一番近くのコンビニまで歩いて30分かかるくらい周りには何にもなくて、あるのは山だけ。なので、ひたすら曲を作って、あとは山を登ってました。

仙人みたいな生活(笑)

ちっちゃい頃から山が友達みたいな感じやったんです(笑)。山頂まで登ったり、山のなかにお気に入りの場所とかを見つけたりして遊んでて。大学生になってお酒を覚えてからは、友達と朝まで飲んだりしてたんですけど、みんなは山の下に住んでて僕だけ山の上だったんで、バイバイしてから一人で40分くらい山道を登って帰ってました。

朝まで飲んでからハイキングは、流石にしんどそう。

酔っ払いながら山道を歩いて帰るときにテーム・インパラとか聴いたりして。あのサイケの感じが酔っ払ったあの感覚と合うっていうか、音がぐにゅんって曲がる感じにハマったりしてましたね。なんかあれも良い経験だったなって、今なら思えます。

周りが山に囲まれているような環境で育ったことが、今の自分の音楽に影響を与えたりすることはありますか?

当時のイメージとか自分が持ってた感覚みたいなのは、今でもすごいサウンドメイクに役立ってる気がします。 空が高くて、遠くの景色を見下ろすような環境で育ったので、作る音楽もスケールが大きいというか。

音に奥行きが生まれる?

そうですね。見てる景色も全部遠いから、遠近感っていうのが身についたって感じなのかなあ。今も音の3D感みたいなのはめっちゃ大事にしてやってますね。これがもし渋谷とかで育ってたら、絶対今の自分になれてないと思うんですよ。周りに遊びがいっぱいあるし。ほんとに何もなかったのが良かった。僕にとって、宝塚はやっぱりちょっと特別やなと思いますね。

自分と社会っていう存在が唯一繋がれる場所が音楽。自分が変わり続けている限り、捻り出さなくても新しい音は勝手に出てくると思うんです。
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Profile

Yuto Uchino

兵庫県宝塚市出身。2012年結成のロックバンドThe fin.のフロントマン、ソングライター。バンド・ASIAN KUNG-FU GENERATIONに影響を受けバンド活動を開始。80〜90年代のシンセポップ、 シューゲイザーサウンドから、リアルタイムなUSインディーポップの影響やチルウェーヴ、ドリームポップなどを経由したサウンドスケープは、日本国内を飛び出し、海外からも注目を集め続けている。

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