私が今世界で1番カッコよかった!そう思えるのが音楽。音楽業界注目のアーティスト・UCARY & THE VALENTINEのピュアでクレイジーなスタイル。
先日公開した【ぼくらのアメ村エトセトラ vol.2】でモデルを務め、様々な表情を見せてくれたアーティストのUCARY & THE VALENTINEさん。キュートなルックスと澄みきった甘い声が印象的な彼女は、ソロでの音楽制作だけでなく、くるりや銀杏BOYZなどのゲストボーカルをはじめ、バックコーラス、アレンジャーとしても活躍しています。さらには独自の感性を生かし、モデルやデザインワークを行うなどマルチな才能を発揮。ファッションアイコンとしても注目されています。そんなUCARYさんは兵庫県出身で、2011年に上京して活動をスタート。昨年関西にリターンし、現在は東京との2拠点生活をしています。今回は、インディペンデントなスタイルを貫くUCARYさんに、音楽とファッションの話や今年やりたいことをお聞きしました。みなさんも茶目っ気たっぷりの天真爛漫なキャラクターに、きっと魅了されてしまうはず!UCARYさんのピュアでクレイジーなスタイル、ぜひご覧ください。
私にとって音楽は日常と地続きのもの。今はとってもお喋りだけど、昔は人とコミュニケーションを取るのが苦手でした。
UCARYさんが音楽を好きなったきっかけを教えてください。
もともと両親が音楽好きなんです。特別に音楽が好きだ!と思ったことはなくて、物心がついた時から、音楽は自分にとって身近なものとしてありました。この音楽が好きだっていうのはあるけど、音楽が好きになったきっかけみたいなものはないかもしれない。
ご両親はどんな音楽を聴いていたんですか?
お父さんはレゲエやパンク、いわゆる男くさい洋楽とニューウェイヴっていうテクノっぽい音楽で、お母さんはクイーンやデヴィッド・ボウイ。ほぼオールジャンル聴いていました。今私が聴いてる音楽の半分以上は昔から聴いてるものと同じで、ベースはあんまり変わっていないです。
別のインタビュー記事で、小学生で曲を作ったという話をされていましたね。
自宅にギターがあって、小学校6年生の時3つだけコードが弾けるようになったんです。歌えたらカッコいいなと思ったけどそのコードで歌える曲がなかったので、使って作ってみたんです。
初めて作った曲って、太陽と月が次に出会えるのはいつなんだろう、という曲ですよね。恋愛をテーマに、互いを太陽と月に例えた曲。普通の12歳が書けるものではないと思うから、ご両親も本当に驚いたと思います。
作った曲を両親に聴かせたら、あんまり勉強しろって言われなくなって。楽器を買う時に助けてもらえるようになったり自然な流れでバンド活動ができるようになったり、私が音楽をやることに対してすごく寛容になってくれました。
初めてバンドを組んだのはいつ頃なんですか?
あんまり活動しなかったけど、1番最初は高校入学前の春休みです。本格的にスタートしたのは高校1年生の終わり頃かな。私、もの覚えが本当に悪くて。他の方が作った曲の歌詞が全然覚えられなくて、間違えたら分かっちゃうのがすごく嫌だったんです。それも作り始めたきっかけの1つでもあるかな。だけど、最初に作った曲を両親が聴いてくれてなかったりノーコメントやったりすると、曲を作るのが恥ずかしくなってしまっていたと思うんです。曲ができるたび「聴いてください!」みたいな感じで両親に聴かせていたので、2人がすんなり受け入れてくれたことは大きかったです。
ご両親も音楽の道に進むことをサポートしてくれたんですね。ちなみにUCARYさんはどんな子どもだったんですか?
人と全然会話できない子どもで、「声も変」って言われるからより喋れなくなって、23歳くらいまで人と喋るのが本当に苦手でした。音楽は、私にとって人とつながるコミュニケーションの練習だったんです。歌うきっかけは、初恋の相手がミュージシャンだったこと。「僕は変な声って一切思わない。歌を聴かせてほしい」って言われて、ギターを弾いてもらって好きな曲を歌ったら、「絶対歌った方がいい」と言ってくれて。私は素直に言われたことを受け入れちゃうタイプやから、じゃあ歌おっかな!みたいな(笑)
コミュニケーションを取るのが苦手だったとは意外です。今日も初めてお会いしましたが、お喋り好きな方だとばかり思っていました。
実はそうなんです。幼い頃は本当に仲良くなれないと喋れませんでした。それが変わったのは映画の影響が大きいですね。映画がとても好きで、年間400本ほど観ていたんです。私やったらこう言いたいなとか考えながらキャラクターの台詞のやりとりを観て、外で練習するようにしていたら、すごくお喋りになっちゃいました。
映画のやりとりを参考に会話の練習をされたと。
こんな変なヤツでもすごく楽しそう、私もしゃべってみよう!みたいな。初恋がすごく鮮烈やったから曲ができたけど、深い愛とか全然わかんなかったから、映画を観て恋愛の勉強をしていました。
曲作りにも映画が深く関わってくるんですね。おうちでアンパンマンを観たことがないというのも別のインタビュー記事で読みました。
今も観ないです。ずっとWOWOWが流れている家で、ディズニーやシンプソンズがたまに流れるだけ。セーラームーンも観なかったな。ディズニーとカートゥーンネットワークと吉本新喜劇で私の子ども時代は作られているから、ちょっとおかしなカルチャーなのかもしれないです。
ディズニー映画は何がお好きでしたか?
これを言うとやばいヤツだと思われるかもだけど、私の知ってるディズニー映画は毎回結末が変わってて。ちょっとぶっ飛んでいた子どもだったんです。美女と野獣の結末が特にいつも変わってたなぁ。人と上手く喋れなくてむしゃくしゃした日は嫌な結末だったり、今日は楽しかったっていう時はハッピーエンドだったり。今考えると、その日の気分が投影されていたのかなって思います。
それはなかなか(笑)。子どもの頃印象的だったことって何かありますか?
眉毛を全抜きしちゃった事件かな。小学3年生の時、周りに宇宙人って言われていたので宇宙人になろうと思って、顔を白っぽいグレーっぽい色で塗ったんです。最初はママの化粧品でやってたけど、眉毛だけ消えなかったので絵の具も使って塗って、それがママに見つかって顔を洗うよう言われました。だけど眉毛だけなかなか取れなくて、そのままママに見せたら「眉毛も取ってきなさい」って言われたので、テープとピンセットで眉毛を全部取りました。むっちゃ痛かったです(笑)
(笑)
みんな口紅とか塗ってみるお年頃なのに、私は宇宙人をやってみるっていう。変ですよね。好きなロックバンドの真似をして口にピアスも開けました。唇に消しゴムを挟んで安全ピンでガッと開けたけど、似合わなくてすぐ抜いちゃった。で、終わり。血はすぐに固まったけど、7年ほど跡が残りました。今は気にならなくなったけど、当時は童顔なのがコンプレックスで、ロックな顔にしたいのに全然ならなくて。そのうちすっぴんになって眉毛も剃らなくなって、今なんてもう繋がっちゃいそう。毛も全身生えっぱなし、何にもしなくなりました。
クレイジーなエピソードをありがとうございます。お話を聞いていると、とっても素直な方なんだろうなと思いました。
最近は30歳にして初めて怒りを覚えたけど、まだその感情に慣れていないから勉強中。初めて怒った時、感情を上手く言葉にできなくて。「私は今怒ってる!」しか言えなかったんです。
怒ってる時の言葉って難しいですよね。
私は今確かに怒ってるけど、一体何に対して怒ってるんかな。これは怒りじゃないな、意見やな。指摘したら直るかな……とか、自分の気持ちに対して色んなことを考えていました。
音楽ってやっぱり伝えるものじゃないですか。常に伝えようとしているから、そんな風に考えちゃうのかも。
そうかもしれない。言葉は苦手だからむっちゃ考えます。私は19歳で上京して10年間東京に住んでいて、昨年家族の事情と家の更新のタイミングが重なって関西に帰ってきたんです。新しいEPを制作中だったんですが、私は音楽を通して悲しみ、辛さ、憎しみ、怒り……、そういう感情を表に出したくなくて、そう見られたくなかったことに初めて気付きました。時にはしくしく泣いちゃう夜もあったけど、基本的には外でキャハハって笑ってる方が気楽で。でもそうしてきたのが20代までの私だったのかなって。30歳になったのも大きいかもしれないけど、私だって悲しいこともあるし、それって全然カッコ悪いことじゃないのかなと。もうすぐリリースする新作のEPは、今までと少し毛色が違うと思います。
大人になったというか、悲しいとか憎いとか、そういう感情も自分のものとして受け入れられるようになったんですかね。
受け入れるし、困ってるって人に言えるようになった。今もそうだけど、悪い意味で人のことばかり考えて動いてて。先日極論の質問で、「世界で1人死んだらこの世界が平和になるって言われたらどうする?」と聞かれて、速攻「私が死にます」って答えました。今後の目標は、もっと自分を大事にすることです。
UCARY & THE VALENTINE
1992年生まれ、兵庫県出身。シンガーソングライター/トラックメーカー。音楽好きの家庭で育ち、幼い頃から曲作りを始める。2011年に上京しソロ名義で活動をスタート。現在は、ソロでの音楽制作だけでなく、くるり、銀杏BOYZなど、様々なアーティストのゲストボーカルやバックコーラス、アレンジャーとしても活躍。ヴィンテージのビーズや珍しいチャームを使ったアクセサリー作りも行う。