頑張りすぎないから続けてこれた。結成20周年を迎えたneco眠るの、掴みどころのないニュートラルなスタンスと、ぼくらの心を鷲掴みにする音楽について。

初めて聴いた時の衝動と、聴く度に深まってく音の醍醐味。neco眠る、その名前を知ってる人はたくさんいるだろうし、熱烈なファンは音楽業界にも数知れないほどいて、存在自体が稀有なバンド。2002年の結成から幾多のメンバーチェンジを繰り返して20周年を迎えた今、改めてneco眠るを大解剖したくてインタビューしてきました。良く言えばマイペース、ストレートに言えばサボりがち、そんな感じでゆるっとアツく活動を続けてきた彼らの背景や変遷、音楽へのこだわりが詰まってます。12月10日(土)には、neco眠るの20周年記念ツアーが味園ユニバースで開催されるから、ライブを観る前にぜひ必読を!いろんな視点で、neco眠るにしかできない音楽のおもしろさを体感できるはずです!!これからもぼくらの心を鷲掴みにして、胸を踊らせる音楽、よろしくお願いします!

メンバーはいろいろ変わってきたけど、テクニック云々より気が合うか、ただそれだけですね。

左から伊藤コーポレーション(株)(Ba)、栗原ペダル(Gt)、三木章弘(Dr)、森雄大(Gt)、BIOMAN(SYNTH)、おじまさいり(Key)。

今年で結成20年になるわけですが、まずはneco眠るというバンドのルーツを辿っていきたいなと。どんな経緯で結成されたんですか?

:幼馴染の友だちに誘われて入ったのが、neco眠るでした。ちょうど、高校を卒業したタイミングで、当時は5人編成のバンドでしたね。

森さんが結成したわけじゃないんですね。ちなみに、バンド名の由来は?

:それは未だに分かってません(笑)。友だちがつけたので…。でも、この前久しぶりに天満市場で会ったんですよ。今はテレビのディレクターしてるみたいで、元気そうでしたね。

なるほど、バンド名の由来は謎のままなんですね(笑)。neco眠るはメンバーの変遷もいろいろあったと思うんですが、今のメンバーはどんな感じで集まってきたんですか?

:伊藤君が一番長くて、17年くらいですかね。最初のメンバーが就職とかで抜けることになって、僕とドラムだけになった時があったんです。それでベースが必要ってことで、先輩に紹介してもらったのが伊藤君でした。当時は水色ブレインというバンドをしてて、めちゃくちゃカッコよかったんですよ。対バンしたこともあったし、それで誘いました。

伊藤:おしゃれなニュールーツ的なダブバンドと思って入ったんですが、全然違いました(笑)

:僕も、「あー絶対にダブバンドと思ってるやろなー。大丈夫かなー?」って思ってましたね。でも、伊藤君が入ってくれて、今の音楽性に近づいてきた気はします。当時はまだまだ不定形な感じでしたから。

現在のneco眠るとしての土台ができつつあったと。

:そうですね。音楽性が今に近づきつつあって、それでしばらくの間は活動してたんです。でも、当時いたキーボードのメンバーが仕事で来れないことが多くなって…。BIOMANが良いキーボードを持ってたので、借りるついでにサポートで入ってもらったり、大人数編成でライブやる時にツインドラムの一人としても演奏してもらってました。実はBIOMANは、元ドラマーなんです。

栗原:そんな時代もあったんや。

:沖縄でライブがあった時も、キーボードの人が参加できなくてBIOMANに来てもらってたし、その頃から「もう、このままいたらいいんちゃう!」って感じになってましたね。

BIOMAN:俺がステージにいて、キーボードの正式メンバーの人が客席から観てるっていう変な光景も何度かあったし。

:その人も別に辞めてはないんですよ。でも、外から見てるっていう(笑)

流動的な感じとか、ゆるさとか、それもneco眠るらしさなのかもしれませんね(笑)

:BIOMANは家も近所だったし、元の職場の同僚でもあったんです。一緒に飲んで遊んでDJもしてて、気が合うんですよね。それでセンスも抜群だから、正式にメンバーとして入ってもらうことになりました。すると、今度は2010年に結成メンバーだったドラムが抜けることになり、そこで一回活動休止することになるんです。

音楽活動を続ける中ではメンバーの脱退はつきものですけど、なかなか大変ですよね。

:ドラム探しは急ぎだったんですが、全く動かずにサボってました。休止中に変名で大人数編成のライブを一回だけすることになって、砂十島NANI(BOGULTA / AMT)君と和田晋侍(DMBQ)君のツインドラムと、栗原君のギターにサポートで入ってもらってやりました。栗原君はEXEDEXEXというジャンクバンドをDODDODOや鈴木裕之君、ヨシカワショウゴ君たちとやっていて、そこに僕がサポートギターで入ったりしていたこともあって。

栗原:ハードコアジャンクを森君とツインギターでやるっていう。それが、neco眠るに入るきっかけだったかもです。

:栗原君のギターめちゃ好きだったしEXEDEXEXの時のツインギターの感覚が本当に良かったので、活動再開する時には絶対に栗原君に⼊ってほしいと思ってて、そのまま吸収させてもらいました(笑)。それで、いよいよ本腰⼊れてneco眠るとしてのドラムを探すためにメンバーを募集することにしたんです。いろんな⼈が応募してくれたのですが、めちゃくちゃバカテクな⼈だったり、事務所に所属しているプロドラマーだったり、感覚が合いそうな人がいない上に、元々人見知りなのもあり…。

じゃ、その募集がきっかけで三木さんがメンバー入りしたんですね。

:応募してくれてましたし、知り合いの知り合いでもあったので、とりあえず連絡して十三で飲むことにしたんです。

栗原:俺と三木君と森君とBIOMANの4人でね。

:ベロベロになるまで飲んで、ドラムの演奏も聞いてないのに「もうええやろ?」って感じで誘いました。

三木:めちゃくちゃ酔ってたので、「じゃ、よろしくー!」って(笑)。前に組んでたバンドの動画とかは送ってて、実は高校生の時にneco眠るとは対バンもしてたんですよ。

:まあそんな感じで勢いで加入してもらったんですけど、そこから半年くらい特に活動もしないという(笑)

(笑)。活動再開まではどれくらいかかったんですか?

:1年くらいですね。2011年にシングルを出して、そこから活動はしてましたけど、なんとなく煮詰まってるというか、バンドとしてもあんまり⾵通しが良くない気がしてたんですよ。

栗原:確かに煮詰まってた部分はあったかもね。

:ライブはよくしてたけど、こなしてた感じもあったし。

BIOMAN:そんな頑張らない感じではあったかもね。

:気づけば結成15周年も控えてたから、アルバム出したりするならそろそろちゃんとしないとなって!計画⽴ててやろうって。それで、さいりちゃんに⼊ってもらうのがベストじゃないかなという話になったんです。

おじま:私は今もCASIOトルコ温泉というバンドをしてるんですけど、neco眠るに誘われたのはあんまり覚えてないんです(笑)

マジですか!?(笑)。neco眠る的には、なぜおじまさんがベストだと思ったんですか?

:共演する機会も多くて近い存在だったし、性格的にもセンス的にも合うし、キーボードも弾けるしって。

おじま:でも、なぜ私だったのかはシンプルに疑問でした。別にキーボードが弾けるわけでもなかったし…。

:ドクロズでも弾いてたから弾けると思ってました(笑)

おじま:別にキーボードのパートはないけど、ちょっと弾いてただけで…。

栗原:なんで弾けるん?(笑)

おじま:そんなに弾けないけど、押してるだけでもいいですか?的な(笑)。いつもそんな感じでやってたから。

:ラブリースヌーピーラブではギター弾いてたもんね。

おじま:弾いてましたね。「やります!」と言ってからやるタイプなんで(笑)。だから、neco眠るにも軽いノリで入ったんです。

BIOMAN:これでよく成り立ってるなー、neco眠るも(笑)

neco眠るの音楽って、「先輩にカッコいいバンドがたくさんいて、どうしたら違うことができるか考えてるうちに訳が分からんくなって、力抜けた時に出た屁」みたいな感じ。
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Profile

neco眠る

2002年、大阪にて結成。幾多のメンバーチェンジを経て、現在は森雄大(Gt)、伊藤コーポレーション(株)(Ba)、BIOMAN(SYNTH)、栗原ペダル(Gt)、三木章弘(Dr)、おじまさいり(Key)の6人編成。青春ビザールディスコバンドと標榜する独自の音楽性と世界観は、まさに唯一無二な存在。11月にはNEWシングルの『準無職』を発売。結成20周年を迎え、現在は来年の発売を目指してアルバムも制作中。

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