悪ノリだけどCOOL!トリッキーなビールを造り続ける『ディレイラブリューワークス』山﨑さんの、トラブルを飲み込むスタイルとは。


おじいちゃんたちにうまいこと担がれて会社を立ち上げましたけど、良くも悪くも人生を変えてもらったなと。

高校生の頃は作家を目指し、大学生では減量とヒモ生活を送ってたわけですが、卒業後の進路は?

実は一浪したのは、障害者福祉の大学に行き直そうと思ったからなんです。阪神淡路大震災をきっかけに気持ちが変化して、こっちの道を目指したくなりましてね。だから、卒業後は障害者福祉の施設で働いてました。3年ほど働いてたんですが、リハビリテーションの先生が来た時に、カラダを触って痛みを緩和させる姿を見て、やっぱり手に職が必要だと思ったんです。それで退職して夜間の学校に行き、昼間は介護福祉の企業に転職しました。

大学の時点で福祉の道に進んでたんですね!脱線トークが気になってしまって、すみません。転職後の業務はどんな内容だったんですか?

最初はお年寄りの家に手すりを付けたりしてて、最終的にはケアマネージャーをまとめるスーパーバイザーをしてました。そこそこ稼ぎもありましたし、結婚もしてたので骨をうずめるつもりだったんですが、その会社が脱税で倒産…。これからどうするか考えないといけないけど、その前におじいちゃんやおばあちゃんたちを他の施設に引き継いでもらう準備をしてると、「勝手に引き継ぐな!」って言われたんです。

山﨑さんとしても放ってはいけないけど、おじいちゃんたちも不安になりますよね。

でも、引き継ぎは必要なことだったんですが、おじいちゃんたちが「お前が独立したらええねん!ワシらが患者でいる限りはお前を養っていけるから、とりあえず会社を立ち上げろ!そうなればワシらの生活も変わらんで済む!」と言われましてね。それで立ち上げたのが、株式会社シクロ。このおじいちゃんたちを最後まで面倒みようと思ったから、独立することを決心したんです。

めちゃいい話じゃないですか!

美談に聞こえるんですけどね…。独立して1年目で利益も出て、このまま進めば軌道に乗っていくなと思った時に、おじいちゃんたちから言われたんですよ。「ワシらがお前を儲けさしたから、売上の1割をバックしろ!」って(笑)。最初からそれが目的やったんかって思いましたね…。渡された手書きの紙にはひらがなで“こんきょ”と記されていて、1割もらう権利があるって書かれてました。多分、いろいろ調べたんでしょうね。本当にどうしよかなと思いましたもん。

おじいちゃんたちに働かされていたと(笑)。策士ですね…。それでどうしたんですか?

さすがに1割バックは法にも触れるので無理だから、ポケットマネーでおじいちゃんやおばあちゃん15人くらいを連れて温泉に行きました。僕が引き継いだ人たちが亡くなるまでの5年間は、バスをチャーターして毎年行ってましたね。

腑に落ちない部分はあるかもですが、聞いてる分にはハートフルな気がします。おじいちゃんやおばあちゃんたちはいい思い出もできたでしょうし。そのおかげで、今もあるわけですし…。

それはそうなんですけどね。会社が倒産してなかったら気楽に働けてたのになと…。おじいちゃんたちにうまいこと担がれたって、今でもそう思うことはありますね。創業時は奥さんが社長で、僕は現場を担当してたんですが、奥さんが体調とメンタル崩して結局は離婚することにもなりましたし。別に計画的に起業して社長になるつもりもなかったから、良くも悪くも人生を変えてもらったなと。

確かに、これまでのお話を総じて考えると人生も大きく変わってますし、その局面、その局面に向き合う強さが本当にあるんだなと実感します。

そんなに友だちが多い人生でもなかったので、頼まれたらOKするタイプやったんです。お前が断れる義理かと。せっかく声をかけてもらったなら、なんでもやるべきちゃうんかと。僕の根底にある部分は、今も変わってないかと思いますね。

世界で勝負もするし、宇宙でビール酵母も造ってるんです。これから5年は、さらにおもしろいことができるはず!

山﨑さん自身、この西成という街にどんな想いを持っていますか?

会社を創業したのは実家のある住之江でしたが、先ほど話したおじいちゃんたちは西成在住だったので、2年目に移転してそこからはずっとこの街に腰を据えてビジネスをしてきました。人生を狂わされた街ではありますけど、その分いろんな経験もさせてもらったなと。ディレイラの話で言えば、西成の街でビールを造ることが逆張り的にいいという打算がないわけじゃないですが、やっぱり思い入れは強いですよ。<西成ライオットエール>で賞を獲った時も「西成の水でうまいビールが造れるわけない!」って、大阪のビアバーでかなり言われましたから。だったら西成の水でうまいビール造り続けたるわって思ってますし、西成から離れるつもりはないですね。

この街で全てが始まってますもんね。

でもね、総務と経理だけは四ツ橋に事務所があるんです。その理由は、西成よりも四ツ橋で事務スタッフを募集した方が、10倍くらいの差で応募があるから(笑)。この差には驚きましたけど、やっぱり分かりやすいなと。

まぁ、それはそれでリアルですね。では最後に、これからもトリッキーなビールが生まれてくるとは思いますが、『ディレイラブリューワークス』としての野望を聞かせてください!

やっぱり世界で勝負したいですね。業界ではファンもアンチもいるくらいに認知度はありますが、その中で評価を上げていくとか、少ないパイを奪い合っても微々たる差にしかならないので、そろそろ世界に出て行きます。

世界に進出する具体的な話があるんですか?

今動いてるのは、ベルギーのサッカークラブであるシントトロイデンのオリジナルビールを造ること。ベルギーの醸造所で僕らのレシピを使ってビールを造り、ベルギーで流通させて逆輸入的に日本へも持ってくる感じです。そのパターンで、香港版と台湾版も考えてます。かつて自前の醸造所を有してなかった『ミッケラー』が同じようなことをしてるので、僕らも実現させたいんですよ。これは今年か来年の目標です。

ここ数年の話かと思いましたが、一気に世界に出るんですね。

「また調子に乗ってる」とか「まだ日本ですることあるやろ!」とか言われそうですけどね。もちろん国内でも動くので、全てが同時展開なので何を言われても大丈夫です。もう気にもしてませんし。

さすがですね(笑)。他にも何かあるんですか!?

宇宙ステーションでビール酵母を培養させるプロジェクトがあって、今はそこにも参画してます。世界初の試みで3年後にはその酵母が帰ってくるので、その時は宇宙ビールを造りたいなと。僕らだけで独占するんじゃなく、国内のブルワリーみんなに酵母を配りたいとも思ってます。

そんなこともしてたんですね!しかも、オープンソースにするっていうのが素敵です。

僕も最近知ったんですが、秋田の新政酒造さんが造ってる<No.6>は、6号酵母という日本最古の清酒酵母なんだそうです。その酵母を誕生させたのはもちろん新政酒造さんで、国内メーカーが使えるように流通させたことで日本の吟醸酒製法の確立に大きな功績を残したと言われています。僕らもそんなカタチで酵母をシェアできれば、これから5年はおもしろいことができるはずだし、業界もさらに盛り上がるはず。国内で流通していろんなブルワリーが宇宙ビールを造れば、世界に誇れる日本のビールスタイルにもなるかもしれない。そんな果てしない野望をおぼろげに抱いてるので、思いっきり期待しておいてください!!


<山﨑さんのお気に入りのお店>

マルフク(大阪市西成区太子)
ホルモンの立ち飲み屋です。株式会社シクロを創業した時に、認知症のおじいちゃんを探しに行ったらマルフクで飲んでました(笑)。家にいてないという連絡が来たら「とりあえずマルフク見てきて!」と伝えてましたが、2回に1回の確率で発見できましたね。

横目(大阪市西区新町)
ディレイラでオリジナルビールを造ってる人気の立ち飲み屋で、新町の事務所に顔を出すついでにちょくちょく行ってます。1人でもフラッと入れるからお気に入りのお店ですね。

三本木商店(京都市上京区真町)
よく通っているナチュールワインのお店。秋鹿酒造の方もここが大好きで、実は10年寝かした秋鹿の古酒を三本木商店だけに卸しているんです。「山﨑さんのために仕入れておきましたよ」と言われるほど、僕はその古酒ばかり飲んでます。

バルカン(京都市上京区出水町)
餃子とスパイスのお店です。現在は京都に住んでいるんですが、ここに行くと大阪っぽい空気を感じられるので重宝させてもらってます。

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Profile

山﨑 昌宣

大阪市出身。『ディレイラブリューワークス』の母体となる株式会社シクロの代表。介護支援専門員や相談支援専門員、理学療法士、社会福祉士の資格も持つ。自転車の実業団にも所属していた過去があり、現在はトレイルランに没頭している。

https://derailleurbrewworks.com/
https://cyclo-inc.jp/

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