25歳のさすらい系フリーシェフ・浦口司さん。日本食を世界に広めるために突っ走ってきた型破りな道と、その次なるステージとは。


25歳までには絶対に海外を拠点にして働く!自分の人生の年次表には、そう書いてあるんです。

『ザ・ガーデンオリエンタル・大阪』での3年間は料理人としてだけではなく、いろんな経験ができてかなり濃い時間が過ごせたんですね。その後は、どんな動きをしてフリーシェフへとなっていったんですか?

『ザ・ガーデンオリエンタル・大阪』では多彩なイベントがあり、たくさんの料理人の方と出会うことができました。その中の一人に、北新地で割烹料理店『野口太郎』を営む野口さんという方がいたんです。野口さんは元々外車メーカーの広報をされていて、修行経験なしで北新地にお店を構えた方。料理の素晴らしさはもちろん、<フランク・ミュラー>などの一流ブランドともコラボされていて、「料理ってこんなことまでできるんだ!」と僕の中で衝撃を走らせてくれた方で、「野口さんと一緒に働きたい!」と直感的に思ったんです。

浦口さんの中にある料理の世界よりも、野口さんはさらに先の次元で活動されてる方なんですね。

そうですね。それに、人柄やカリスマ性にもすごく惹かれました。いろいろとお話もさせていただき、ニューヨークにお店を出すという目標も聞かせてもらえて、自分もその目標を共有させてもらえたら幸せだなと。実は、自分の人生の年次表で、25歳までには絶対に海外を拠点にして働くという目標があるんです。そして、心や素材、おもてなし、わびさびといったものをふまえた日本食を世界に広めていきたいんです。だからこそ、野口さんの元で働く時間は自分の目標ともリンクするし、たくさん学ばせてもらいながら少しでもお役に立てればと思って。

それで次は、野口さんの元で働くことになったんですね。これまでとは違う、和食の世界での日々はどうでしたか?

カウンターだけのお店で、しかも北新地。目の前にいるお客様は料理やワインにも精通した方々ばかりなので、その方々と料理人として対等に接しなければいけません。そのためには自分がどう見られるか、どう立ち振る舞えば心地よく過ごしていただけるか、料理の勉強以外でもたくさんのことを吸収できる日々でした。

若いから可愛がってもらうこともあるでしょうが、それだけではダメですもんね。料理人としての意識や品格なども、一段と磨かれる環境だったと。

もちろん若さは自分の特権だったので、そこは生かしつつも勉強を怠ることはなかったですね。環境においても経験においても、本当に貴重な時間でした。ニューヨークや香港でのポップアップイベントにも同行させてもらえましたし、定休日にはお店を借りて若手料理人を集めたイベントも開催させてもらいました。特にニューヨークや香港に行った時は、海外の人から見た和食の印象をダイレクトに知ることができ、自分の中で「日本食をもっと広めたい!」という想いがさらに強くなったのを覚えてます。

浦口さんがイベントや出張料理などで作ってきた料理の一部がこちら。食欲をそそる美しい盛り付けも見どころです。

野口さんにもまた、たくさんのステージを用意してもらえたんですね。野口さんの元ではどれくらい働いてたんですか?

約2年間お世話になりました。その次は、東京のフレンチレストラン『SUGALABO』です。

次もまた名店ですね。しかも、フレンチ!

僕としては料理ジャンルは特に意識してないんです。それよりも、誰と働くかの方が重要。『野口太郎』の野口さんも、『SUGALABO』の須賀さんも、自分の名前を冠にしてるお店です。料理に自信がないとできないことだし、自分自身の存在がお店の証なので、他の人では成り立たない。料理そのものに自分の表現したいことがないと、絶対にできないことだなと。料理の上手な人はたくさんいるけど、食べたお客様を惹きつける“何か”を持ってる人は限られてるだろうし、そんな人に近づきたくて。

確かに、調理はあくまでも手法。もちろん、そこには奥深さも当然あるけど、作るのは人だし、人からは思考やスタイルなども学べますもんね。ちなみに『SUGALABO』からは、どんな風に声をかけられたんですか?

『SUGALABO』の須賀さんやスーシェフのリクさんは、『ザ・ガーデンオリエンタル・大阪』時代に出会っていました。それで「今度、大阪で<ルイ・ヴィトン>とコラボしたレストランを出店するから、興味があれば一緒に働かない?」と誘われて。『SUGALABO』で働きながら、立ち上げメンバーとしても参加させてもらったんです。

心斎橋の『SUGALABO V』の立ち上げってことですよね?

はい!イスやグラスも<ルイ・ヴィトン>だし、「マジでエグい!」って感じのお店です。

世界初となる<ルイ・ヴィトン>のレストランですもんね。そりゃ、エグいです。

空間や演出といったありとあらゆるものが想像以上でした。僕らも料理人としてだけじゃなく、<ルイ・ヴィトン>のブランドを背負って働かなければいけない。その分、プレッシャーもハンパなかったですが、あんな空間で働けたのは料理人としても誇りに思えますね。東京の『SUGALABO』でも働くことができましたし、立ち上げに関わらせてもらった半年間で、また一つ成長できたかなと。

なかなかできない経験ですからね。じゃ、フリーシェフになったのはその後って感じですか?

まだ、ちょっと先ですね(笑)。『SUGALABO V』の立ち上げのサポートを終えた時が、24歳。次は、寿司屋さんで働きました。

その理由は?

立ち上げに参加してる途中に香港のレストランから誘われたんです。でも、ビザの取得に半年間くらいはかかるだろうなと思って、立ち上げを終えてから香港に行くまでの時間を有効に活用するため。日本人として海外のレストランで働くなら、やっぱり寿司の技術も習得する必要があるなと。

なるほど。でも、たった半年間の腰掛け状態なのに、働かせてもらえるお店をよく見つけられましたね。

いや、めちゃ大変でした。ちょうど2020年6月くらいからだったので、時期的には思いっきりコロナ禍。しかも初心者だし、働けるのは半年間ですからね。片っ端から電話をかけまくって何度も断られましたけど、本町にある『鮨 慎之介』は快く受け入れてくれたんです。半年間しか働けない理由や自分の目標をお話ししたら、「おもろいやん!協力するで!」って言っていただいて。

めちゃイイ人やったんですね。自分が行動してるからこそだけど、人との出会いに恵まれてますよね。

本当に感謝しかないです。だって、半年間しか働けないのに、「寿司を握らしてほしい」とか言うてましたから。図々しいにも程がありますね(笑)

まぁ、普通はそんなこと言えないけど、その図々しさがおもろかったんかもですね。

握り方やネタの切り方、寿司のフォルムなど、毎日つきっきりで教えてもらいました。それで、2ヶ月くらいしたら実際に握らせてもらえて、お客様の前にも立たせてもらえましたから。一般的には「はぁ、ふざけんな!」って状態ですけど、目標のためにステージを用意してもらえて、本当にありがたかったですね。

浦口さんの熱意や料理に向き合う姿勢に、本気度を感じたからでしょうね。で、次は香港ってことですか?

実は香港の話はコロナの影響で、少し先延ばしになってしまって。お店側にも半年間って伝えていたのでやめさせていただき、2020年11月からフリーシェフとしての活動を始めたんです。

ついに、フリーシェフの話ですね!どんな活動をしてるんですか?

個人宅への出張料理をはじめ、メーカーさんの商品のコンサルや個人店さんのメニュー監修、第一次産業である農家さんの食材を広めるために料理人の方々とコラボイベントしたり、ウーバーやレトルト系メニューの監修など、食にまつわることなら何でもやってますね。

活動においても、食を軸にジャンルレスで活動してるってことですね。

そうですね。食の可能性って無限だと思ってるので、活動のジャンルは定めずに探究し続けてる状況です。昨年はブルガリアのとある方の元で、専属料理人としても働いてましたから。

ブルガリアで専属料理人?その話、じっくり聞かせてください!

ぜひぜひ!!

ブルガリアの資産家の元で、3ヶ月間専属料理人に。料理人としてだけじゃなく、人間としても成長できたと思う。
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Profile

浦口 司

1996年生まれ、徳島県出身。元甲子園球児で、強肩を買われて外野手からピッチャーとなって活躍する。部活引退後から料理の道を志し、現在はフリーシェフとして日本各地で料理を振る舞う。2022年3月頃には香港に渡り、二つ星レストラン『Arbor』のスーシェフとして活動する予定。

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