Interview & Writing
前出 明弘
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依藤 寛人

2022年4月5日、阪神甲子園球場のレフトスタンド1Fにラーメン屋さんがオープンしました。その名は、『ストライク軒 NOODLE STUDIO』。『ストライク軒』と言えば、関西はもとい全国各地にもファンがいる大人気のラーメン屋さんですが、野球の聖地・甲子園に出店するとなればまた話は別。簡単な話じゃないってことは、ラーメン通ならずとも理解できるんじゃないでしょうか。ってことで、代表の芦田雅俊さんことアッシーさんにいろいろ伺ってきたんですが、そこにはたくさんの縁と運命を感じる出来事があったんです。人生の歩み方はまさに魔球そのものだけど、貫いてきたことは1本筋の通ったど真ん中ストレート。『ストライク軒 NOODLE STUDIO』出店のエピソードも含めつつ、アッシーさんの人生をとくとご堪能ください。そして、これから甲子園の地から生まれてくるもの、発信されるものを、みんなもガッチリと受け止めてもらえれば!きっと、街はもっとおもしろくなるんじゃないかと思います!!

ラーメンとエロスが見事にシンクロした。そんな体験が僕の中にはある。

『ストライク軒 NOODLE STUDIO』って、スタイルや空間、立地も含めて普通のラーメン屋さんではないと思うんです。カルチャーにも深く関わるアッシーさんならではというか、そうした部分も紐解きつついろいろと伺っていければと。まずは、アッシーさんとラーメンの出会いのお話から聞かせてください!

初めてラーメンを食べたのは、確か小学1年生の頃。兵庫県豊岡市のおばあちゃんの家に行った時、偶然にも隣がラーメン屋だったので出前してもらったんですよ。ひと口食べて、「なんて食べもんや!」という衝撃を受けましたね。どんぶりのラップを外すとスープの香りが立ち上がり、真ん中にもやしが乗ってチャーシューが盛られて…というシチュエーションとフォルムは今でも鮮明に覚えてます。

そこまで鮮明に記憶が残ってるのは、相当な体験だったんですね。

完全に自分の中にラーメンという食べ物がインストールされた瞬間でした。愛媛県の宇和島出身なので、地元に戻ってからは事あるごとに「ラーメン食べたい!」って親父に言うてましたね。そして、1985年に伊丹十三さんの監督作品『タンポポ』が公開された後、テレビの金曜ロードショーでも観れる日がやって来たんです!

ラーメン映画の名作ですよね。しかも、いろんな刺激的な描写も…。

「ラーメンの映画やぞ!」と言われて家族みんなで観てたんですけど、大人のシーンがね(笑)。両親が「これ、子どもに観せていいんか?」と話し出して、「あかん!もう観るな!」ってなったものの、僕の中ではラーメンとエロスが見事にシンクロした体験になったんです。

アッシーさんが衝撃を受けた映画『タンポポ』のDVDは、いつでも観れるようにお店に置いているそう。

それはハイブリッドですね(笑)

でも、映画の最後の方でみんながどんぶりを持ってスープを飲み干すシーンがあるんですが、映像がスーッと明るくなっていくんです。そのシーンを観て「ラーメンは人を幸せにする!」と、幼いながらにも確信した記憶が今でも残ってますね。

クライマックスの名シーンですが、そこでそんな風に思えたのはラーメンが大好きだったからこそですよね。その後はどんな少年時代を?

ラーメン好きは変わらぬまま、小学5年生くらいからどんどん音楽カルチャーへと傾倒していくんです。ジュン・スカイ・ウォーカーズにRCサクセション、ポコチンロックのアンジーやレピッシュ、ユニコーン、岡村靖幸…、かっこいいと思ったのはジャンルレスで聴いてましたね。

日本のロックミュージックの黎明期的な時代ですよね。今と比べて得られる情報も限られてたと思いますが、どこでインプットしてたんですか?

ちょうどNHKが音楽番組を始めるようになってたので、ジャストポップアップやミュートマジャパンといった番組、後は雑誌の宝島とか先輩とかですね。たまたま入った塾が進学塾だったんですが、そこに坊主頭で耳に安全ピンを刺してた先輩がいて、その人が勝手に僕の手提げにCDを入れてたりもしてて(笑)

めちゃファンキーな先輩ですが、どんなCDを?

パンクのCDですね、小学生の僕に。ザ・スター・クラブとかが入ってて、聴いてみると疾走感があってめちゃいいなと。だから、ザ・セックスピストルズよりも先に日本のパンクロックを聴いてたんです。中学に入ってからはさらにロックを掘り下げていき、CDに付属してたライナーノーツを読み漁りながら好きなアーティストのことをどんどん深く知るようになっていきました。歳上のいとこの影響で洋楽にも目覚めたし、マンガとかも読みつつ複合的にカルチャーを吸収してた感じですね。

ライナーノーツを読むことで、アーティストの見えざる部分が見えてくるし、さらに好奇心も掻き立てられるというか、貴重過ぎる情報源でしたよね。ってことは、高校時代もどっぷりと音楽に浸かる感じですか?

さらにエスカレートしますね。高校の入学式で先輩に目をつけられて、なぜか応援団に勧誘されてしまって(笑)

応援団?いきなり硬派な道になってますが。

実は、屋上に連れて行かれて「高校野球の応援してる!」と聞かされたんですけど、それ以外はバンドしてるって言うので、僕も思わずテンション上がってしまって(笑)。そのまま先輩の家に行ったら、ガンズ・アンド・ローゼズとかモトリークルーのポスターが貼ってあり、「ヤバイ!ここには、すごい世界あるわ!」と思って入部することにしたんです。中学まではわりと優秀で神童と呼ばれることもあったのに、高校に入って大クラッシュしましたね。

より濃い時間を過ごすことになるわけですね(笑)。応援団とバンド、表現者としては同じだと思いますよ。応援団としてはどんな日々だったんですか?

練習はしつつ、先輩の命令で近所の商店街のお店にエールをきったりしてましたね。そのお礼でお店のおばちゃんにうまい棒をもらったり。でも、僕が1年の時に甲子園出場が決まって、春夏・春夏の4季連続で甲子園にも行けたんですよ。

『ストライク軒 NOODLE STUDIO』のエントランス。阪神甲子園球場のレフトスタンドの真下という、縁と運命を感じずにはいられないロケーション。

それは、めちゃくちゃスゴイ!そして、いきなり甲子園との縁が生まれるんですね!

そうなんですよ。しかも、僕らの前の試合がPL学園と神戸弘陵だったんですが、試合終了後に次のチームとエール交換するのが甲子園のお決まりとしてありましてね。僕が、PL学園に向けてエールをきったんです。

もちろんスゴイ貴重な経験なんですが、伏線の回収の仕方がドラマチックでマンガみたいですね。

当時はまさか自分が甲子園でラーメン屋をするなんて想像してなかったし、縁の結ばれ方が謎過ぎるなと。今でも不思議に思ってますよ(笑)

オーナーが残した200万円くらいの負債を肩代わりして返済し、出店資金を貯めて天満に居酒屋をオープン。ヤンチャな人や愚連隊みたい奴しか来なかったのに、急に医者とか社長とかが来るようになって…。

ラーメンと甲子園が繋がったわけですが、大阪にはいつ出て来たんですか?

高校では全く勉強してなかったので一浪して、大阪の大学に入学したんです。当時はバリバリ伝説を読み過ぎてたおかげでレーサーを目指してて、大学ではすぐに二輪同好会に入りました。バリバリ伝説の登場キャラである聖 秀吉と誕生日が同じだったことにも、妙な縁を感じてしまって。それで、翌週からはバイクに乗って膝擦り小僧状態です(笑)

のめり込むと、とことん派ですね。

とりあえず何でもやってみよう精神は昔からありましたね。ただ、バイクを買うためにお金を貯める必要もあったので、ミナミのパブでバイトを始めたら、次第にそっちの世界にのめり込んでしまって…。結局、大学は中退してしまったんです。

中退してもいいと思えるほど、楽しかったと。

部活の延長みたいな感じでしたし、バンドしてる人も多かったから楽しかったんです。それに今思うと飲食業のイロハを叩き込まれて、相当鍛えられたなと。接客方法は今でも思い出しますし、あの経験がなければ飲食業をしてなかったと断言できるほど。

お金じゃ買えない経験だったんですね。でも、両親は説得できたんですか?

親父には思いっきりぶん殴られましたね。しかも、車の運転中に…。まぁ仕方ないと思います。もう学生じゃないし、自立して稼がないといけなくなったので夜のパブは続けつつ、昼間はリッツカールトンホテルの洗い場でバイトを始めました。料理の鉄人にも出てたシェフのお店だったんですが、「洗い場が的確だ!」と褒められて、スゴイ気に入ってもらえたんです。そのシェフとは今でも仲良くさせてもらってますね。

昼夜掛け持ちでバイトして、どんどん飲食業にシフトしてますね。

でも、ここから人生のドン底が始まるんですよ…。

順風満帆そうですか、何かあったんですか?

先ほど話したパブの下のお店のオーナーと偶然知り合い、新店を出すので店長をしないかと誘われたんです。いい話だと思ったんですが、実際に働き出すと給料も払ってもらえず、挙げ句の果てにはオーナーが飛んでしまって…。家賃も滞納してるし、ツケで飲みまくってた請求がお店に届いて取り立てに来たりで、完全にハメられたなと。

それは笑えないですね…。

僕自身もお金がないから家も引き払い、Tシャツとパンツの着替えをナイキのシューズボックスに入れて持ち歩きながら、知り合いの家を転々とするようになってましたね。体重も46キロくらいまで落ちてたし、精神的にもボロボロな状態。債権者側としては、オーナーが飛んでて僕からしか回収できないので、図書館で法律の本を借りて何とか対応してる感じでしたね。

マジですか…。そんなドン底の状態から浮上するきっかけは何かあったんですか?

親から仕送りもらって大学にも行かせてもらい、それでも中退してこんな事になってしまった。親のスネはもうかじれないし、自分で何とかしないといけないと思ったんです。それで、自分でケジメをつけるために天満に『マッシュアップ』という居酒屋を2003年にオープンさせました。あのオーナーが残した200万円くらいの負債は肩代わりしてきっちりと返済し、出店資金を貯めてようやく再スタートできたんです。

肩代わりした負債を完済したのもスゴイですし、腹をくくって大勝負に出たと。

調理師免許も取って、本気で始めましたね。もちろん、すぐに軌道に乗るわけないんですが、お店のすぐ近くにストリップ劇場があったんですよ。そこには伝説のセクシー女優さんがたくさんいてて、ショーの後にみんなが来てくれるようになってね。最初は本物かどうかも分からんし、偽者かと思ったくらい。だって、青春時代のエロスが突然舞い戻ってくるみたいな感覚なので、「え、何で?」状態になりますよ。みんなほんとにいい人ばっかりで、その中の1人、吉野サリーちゃんが料理人を紹介してくれたんです。その人が、僕の人生を大きく変えてくれた料理人の松本シェフでした。

エピソードの振り幅がめちゃくちゃ広いですね(笑)

松本シェフと仲良くしてもらう中で、料理のこともたくさん指導してもらえました。そこからさらに料理にのめり込み、スペインの三つ星レストラン『エル・ブジ』のビデオを貸してもらい、オーナーシェフのフェランが日本で訪れたお店も全て行きました。料理に対する気づきもたくさん生まれたし、それ以降も『マッシュアップ』でお世話になってる仲買の魚屋さんにいろんな名店を紹介してもらい、食べ歩いて自分の料理をどんどん磨き上げていったんです。

昔の音楽の話もそうですけど、好きなものや自身が熱量を注ぐものへの探究心は相当ですよね。

そうやってどんどん料理に打ち込んでいると、またまた人生の転機がやって来ましてね(笑)。今で言うインフルエンサーやブロガー的な人が来店し、料理の批評を自身のサイトに公開してくれたんです。そのサイトには名だたる高級店が載ってたんですが、『マッシュアップ』の料理の点数がめちゃくちゃ高くて…。次の日から、電話がじゃんじゃん鳴り出したんですよ。

スゴイ影響力!

今まで毎日数えるくらいの人しか来てなかったから、こっちも「えー!!!」みたいな。しかも、医者とか社長とか、地位のある人ばっかりで、「ちょっと待って!客層ちゃうやん!」状態ですよ。ヤンチャな人や愚連隊みたいな奴しかおらんお店だったのに(笑)。テレビや雑誌にも出てる有名な料理人の方も来たりして、正直、お店としては正解なのか不正解なのか分かりませんでしたね。

その変貌ぶりには戸惑いしかないですよね(笑)

気づいたら『あまから手帖』の居酒屋の星という企画でフィーチャーされたり、料理の業界誌などからもたくさん取材を受けたりするようになってました(笑)

でも、アッシーさんが本気で料理に取り組み、おいしい味を生み出してたからこその結果だと思います。やっぱり、おいしいお店は人が人を呼びますし。

ほんと感謝しかないですね。

「CREW」をもじって「CRUE(狂え)」の文字をプリントしたスタッフTは、牧田耕平氏が率いる<THE>によるもの。

じゃ、その頃からさらに人との繋がりが広がっていく感じですか?

そうかもしれませんね。正道会館が近いので元K-1ファイターの中迫さんもよく来ていただいてて、ある日「ジュンスカのライブ行く?」って誘われたんです。そのライブの打ち上げで宮田さんとお会いして意気投合し、今では家族ぐるみで仲良くさせてもらってます。小学生の頃から大好きなバンドの方とそんな関係が築けるなんて、幸せなことですよね。僕が昔から大好きなブランド『ギャラリー1950』の北さんは「宮田さんが来たんでしょ?」と言って足を運んでもらえましたし、北さんの飲み友だちがジュンスカの元マネージャーだったソニーミュージックの方で、そこから音楽関係の方がたくさん来るようになったり。ジュンスカの純太さんが「民生君が2回来たらこの店は本物だよ」と言ってたんですが、奥田民生さんも2回来ていただきました。

憧れの人たちが続々と…。

自分のお店に自分の大好きなバンドの人たちがわんさか来るなんて、「何これ?」「どうなってんの?」状態で、考えられないことですからね。シャンプーハットのてつじさんも、芸人さんをたくさん連れて来てくれますし、音楽とお笑いの“宮田さん”にはスゴイ縁があるんだなと。

それだけの人が集まるって、おいしさだけじゃなく、アッシーさんの人柄と人徳もあるからなんでしょうね。

これまでの人生で、人と人との繋がりはほんとに大切にしてるんです。ドン底も経験しましたけど、そこを切り抜けられたのも、やっぱり人との出会い、繋がりがあったからこそなので。人ってスゴイな、人の力ってスゴイなと、日々思ってます。

僕にとってラーメンって、親父と一緒に食べた味でもあるし、大切な思い出の食べ物だからこそ、にわかじゃできないんですよ。

ドン底時代を越えて『マッシュアップ』を立ち上げ、人と人の繋がりで支えられて来た中で、ラーメン屋さんを始めたのはいつ頃になるんですか?

『マッシュアップ』の場所で昼間の時間帯を利用して、『ぬんぽこ』という店名で始めたのが最初ですね。ラーメン屋さんをしたい想いはあったんですが、単一商材で開業するのもリスクがあるなと。昼間だけ別の顔を見せるようなスタンスで、トライアルも兼ねて始めました。『マッシュアップ』とは別人格になるので、僕自身もメガネをかけて全くの別キャラクターでしてたんです。

今で言う、間借り営業的なスタイルですね。

自分のお店なんですけどね。でも、店名も『ぬんぽこ』という別名にして、『マッシュアップ』のことを聞かれても、「夜のことはよく分かんないです」とか言ってましたね。

そこから『ストライク軒』をオープンするのは、どんな経緯で?

『ぬんぽこ』として昼間にラーメン屋さんを始めて1年くらい経った時に、知り合いがお店を閉店することになったんです。場所も近所だし、お客さんも少しずつ増えていてスタッフもたくさんいたので、これは神の思し召しかなと。ラーメン屋さんとして律するタイミングかもしれないと思い、スタッフたちに「本気でラーメンにシフトするから後は頼んだ!」と伝えて、『ストライク軒』をオープンしました。これも不思議な話で、別に狙ってたわけじゃないんですが、オープンした日が偶然にも甲子園の開幕の日だったんですよ(笑)

※『ぬんぽこ』は2017年にラーメン屋さんとしてグランドオープンした後、現在はアッシーさんから代替りして、居酒屋として元気に営業中です!

マジですか!?偶然にしても話が出来過ぎですね(笑)

昭和時代が大好きで、オープン日も昭和で換算してたんです。昭和88年8月8日で、西暦にすると2013年8月8日。8が揃っておもしろいと思ってただけなんですけど、友だちから「甲子園の開幕の日やん!」と言われてね。しかも、お店の住所も大阪市北区天神橋5-8-8で、これまた8に縁があったんです。

もう、アッシーさんとラーメンと甲子園は、運命の赤い糸で結ばれてたんでしょうね。そうとしか言いようがないです(笑)。ちなみに、店名の『ストライク軒』の由来も教えてください!

東京の千駄ヶ谷に『ホープ軒』という老舗があって、そこは店名の最後に「(旧ホームラン軒)」と書いてあるんです。味も好きだし、ホームランという響きはいいなと思ってたんですが、ホープ軒と比べると僕はホームランを打てる人じゃないし、何がいいかなとずっと考えてました。その時に思いついたのが、ストライク。たまにレビューで、「ボール!」とか「ど真ん中ではない」とか書かれたりすることもあるので、ハズすという野球的な側面も含めて、未完成で成熟しきってないのもいいし、それも含めてのストライクならありかなと(笑)。ただ、僕自身は野球にはそんなに興味はなかったんですけどね。

店名が『ストライク軒』となったのも、もはや必然としか思えません(笑)。ラーメンの味のコンセプトは、やっぱり映画『タンポポ』がルーツにあるんですか?

ちょっと話が戻ってしまいますが、高校の修学旅行が東京だったんです。みんなは渋谷とか原宿で遊んでたけど、僕の目指した行き先は『荻窪中華そば春木屋』。『タンポポ』のラーメンを監修してたお店なんです。

『ストライク軒 NOODLE STUDIO』で提供してるストレート(900円)は、鶏ガラをベースにした懐かしい昭和スタイルの中華そば。マイルドなカエシで旨みが深く、ややウェーブのある特注麺の咀嚼感も抜群です。

ちゃんと監修してるお店まで調べてたんですね!

友だち3人を誘って、学ランで荻窪まで行きました(笑)。しかも、ラーメン屋さんを3軒もハシゴしたから、友だちは今でも「修学旅行の思い出はラーメンしかない…」って言うてます。でも、『タンポポ』も含めて当時の体験や影響をずっと引きずってるので、ラーメンに対しては一貫性がありますね。『ストライク軒』で提供してるのも、ノスタルジックかつ昭和的で、思い出の味のようなラーメンです。新進気鋭のラーメン屋さんからは「昭和っぽいラーメンを作るんですね」みたいなイメージで話されることも多いけど、そこが自分のルーツでありベースですから。もちろん新しいラーメンも作ってますが、骨組みの部分があってこそだと思うのでね。

こちらは生揚げ醤油でより風味と醤油感が際立つ、ど真ん中節(1000円)。鰹の削り節をプラスすることで、スープの厚みがさらに増す逸品。ちなみに、麺線をテボで美しく整える手法はアッシーさんが考案したもので、ラーメン業界における大きな功績なのです。

自分のルーツがブレることなく具現化できるのって、想いの強さがあるからこそですし、それ故にハードルも高いなと。ただただおいしいじゃなくて、そこには歩んできた人生も乗っかってますもんね。

オープンしてから6年くらいの間は、店舗でも営業しつつ全国のイベントにも出店しまくってましたね。全国の有名ラーメン屋さんの店主と交流を重ね、イベントで出会う度に食べ比べしたりして、常に味をアップデートさせてきました。僕にとってラーメンって、親父と一緒に食べた味でもあるし、大切な思い出の食べ物だからこそ、にわかじゃできないんですよね。

甲子園に出店するなら、普通のラーメン屋さんをするつもりはない。カルチャーが生まれる場所にしたいし、発信基地にしていきたいと思って。

アッシーさんの人生の中にあるいろんなものが結実して『ストライク軒』が生まれたわけですが、甲子園への出店にはどんなきっかけがあったんですか?

ラーメンウォーカーさんから「アッシーさん、甲子園に出店しませんか?」って連絡があったんです。でも、まさか甲子園でお店をするなんて想像もしてなかったから、最初は「へー、おもしろそうですね」くらいの感じで軽く答えてました。正直、何が起ころうとしてるのかも分かってませんでしたし、球場に隣接する商業施設の『甲子園プラス』もオープンするタイミングだったので、出店もそっちだと思ってましたし(笑)

それがまさかの、甲子園球場本体だった!

実際に視察で来てみたら、ガチでレフトスタンドの真下だったので衝撃でした。その衝撃と同時に、「ちょっと待って!一体いくらかかるん!?」と…。

思いっきり夢も膨らみますが、そりゃ現実的な話にもなりますよね。

ただ、すぐに腹くくりました。高校の時に甲子園でPL学園にエールをきった自分が、この運命を辿ることになってたのかなと。心の中に落とし所を作って、今やれることをするしかないと思ったんです。そこから甲子園側の担当者さんと本音で話し合いました。「僕は、ここでは普通のラーメン屋さんをするつもりはない。お金もかかるし、それならもっといい立地でする。でも、この場所でするならカルチャーが生まれる場所にしたい。発信基地にしていきたい!」そんなビジョンを伝えると、甲子園側も同じことを考えていたんです。2年後の2024年に甲子園球場が100周年を迎えるので、このエリア全体が盛り上がることをしましょうって。その言葉に僕も共鳴するカタチで、『ストライク軒 NOODLE STUDIO』の出店に向けて動き出していきました。

DJブースにサウンドシステム、ネオン管など、普通のラーメン屋さんじゃない空間に。アッシーさんの背景に飾られたアート作品は、普段から交友のあるアーティスト・JUN INAGAWA氏によるもの。ラーメンを味わうだけじゃなく、店内にあるいろんなアートピースを眺めるのも楽しみです。

動き出す決め手もやっぱり人であり、そこにあるお互いの想いが繋がったからなんですね。

「ここでイベントしよう!ここで巻き起こしていこう!」と、出店準備はもちろん、これから仕掛けていくことも含めてたくさんの人が協力してくれてます。人の力は、ほんとにスゴイです。自分1人で何かできるとは思ってなくて、いろんな人と人の縁が繋がって、おもしろいことができる。4月5日にオープンしてから2ヶ月半ほど経ちましたが、甲子園側の担当者さんも含めて、みんなが同じ方向を向いて進んでますね。

これからの動向がめちゃくちゃ楽しみです!オープンして2ヶ月半ほどが経ち、甲子園の一部にお店がある現状をどう思ってますか?

やっぱり感慨深いですし、スゴイことになったなと。オープン当初は振り返ったらダメだと思って突っ走っていたので、心身ともにようやく落ち着いてきた今は、改めてそう思います。

普通じゃないことだらけですもんね。これから『ストライク軒 NOODLE STUDIO』を通じていろんなカルチャーが生まれ、発信されていくことになりますが、アッシーさん自身はどんなマインド、スタンスで続けていきたいと思ってますか?

今、世の中と向き合って自分のスタイルを確立してる若者たちがたくさんいます。そんな可能性を持った若者たちにフォーカスし、どんどん活躍できる場を広げてあげたい。僕らが前に出るのではなく、そういった場を創出することこそ大人がやるべきだし、やらないといけないと思ってます。いろんなアンテナを張ってる大人たちと協力しながら踏み台となり、若者たちが上がっていけるようなシーンをお手伝いしていきたいですね。

このナイキ製の非売品のユニフォームは、OKAMOTO’Sのオカモトレイジ氏の私物で、『ストライク軒 NOODLE STUDIO』のオープン祝いにプレゼントされたそう。「メジャーデビューする前の13〜14年前から仲良しで、レイジ君とも人と人との関係が深まって今がある感じですね」とアッシーさん。

自分たちが若者たちの踏み台になる…、ラーメン屋さんの枠を超えて新しいいろんな景色が見えてきそうです。

僕自身、今一緒に遊んでる子は10代も多いですし、大阪に出てきた頃と同じくらいかそれ以上にいつもワクワクしてます。有名無名に関係なく付き合いが始まるし、みんな最初は「Who are you ?」の状態からスタート。普通にメシ食って遊んで、風呂入って裸の付き合いして、インスタ交換したら「え!めちゃフォロワーいるやん!何者なん?」みたいな。

変な尺度で人を見てないですし、友だちとしての日常の延長でいろんなものが生まれてきてるんですね。

日常が先行してるから付き合いも深くなり、結果的に非日常になっていくみたいな。このスタンスは昔もこれから変わらないので、僕自身のワクワクもどんどん大きくなっていくと思います。『ストライク軒 NOODLE STUDIO』と甲子園という場所から生まれるさらなる展開を、楽しみにしていてください!!


<アッシーさんのお気に入りのお店>

rroomm(大阪市北区鶴野町)
オーナー・南君のセレクトが大好きで、<フィンガリン>や<エンダースキーマ>を愛用してます。南君が見てきた、感じてきたフィルターを僕自身も楽しめる、そんなセレクトショップです。

Raycoal(大阪市西区靱本町)
多彩なアパレル経験を持つオーナー・土岐さんの現在地を着るような感覚が楽しくて、いつもお世話になってます。土岐さんは元STUSSYで、僕はSTUSSYコレクターというのもポイント。

Candyrim(大阪市西区南堀江)
オーナーの2☆SHANとは同世代で、かれこれ20年くらいの付き合い。僕自身、その人のこれまで見てきたものを身にまとうのが好きで、2☆SHANのセレクトには全幅の信頼を置いてます。

エルメス(大阪市北区梅田)
コモノ系アイテムは、ほとんどエルメス。その時にしかないものがあるから、出会いを買いに行ってるような感覚です。

焼肉たつみ(大阪市大正区南恩加島)
焼肉のおすすめ店は10軒ほどありますが、その中でもたつみは僕の一押しです。生センマイはマジでヤバいので、絶対に食べてほしい逸品!

Profile

アッシー/芦田雅俊

愛媛県宇和島市出身。グルメな居酒屋『マッシュアップ』やオールドスクールなラーメンスタイルを貫く『ストライク軒』を展開する株式会社無線飲食の代表。趣味は温泉&サウナで、『ストライク軒』は和歌山県湯浅町の二ノ丸温泉にも出店しており、公私に渡って風呂ライフも進行中。スニーカー好きで、STUSSYコレクターという一面も。

https://www.museninsyoku.com/

Shop Data

ストライク軒 NOODLE STUDIO

兵庫県西宮市甲子園町1-82 阪神甲子園球場レフトスタンド1F
営業時間/11:00〜21:30(LO21:00)、日曜11:00〜18:00(LO17:30)※ナイターゲームの場合は除く
定休日/月曜

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