ヴィンテージの武骨さと色気を両立した最高にクールなスタイル。<A PUZZLING HOME>のデザイナー・松久保翔太さんの服作り。

カラフルなウエスタン刺繍が映える70年代風のジャケットがアイコンアイテム!東大阪出身のデザイナーが1人で運営するアパレルブランド<A PUZZLING HOME>をご存知ですか?九条ジョー×イーグル野村のファッションシューティングでもご協力いただき、第1弾のメインビジュアルにも使わせていただいたブランドです。デザイナーの松久保翔太さんが生み出すアイテムは、ヴィンテージのディテールを盛り込んだ武骨さがありながらも、どこかセンシュアルなムードをまとった個性的なデザインが魅力。フリーで縫製の仕事をしていた経験もあり、自身で生産できることも強みの1つです。今回は、東大阪にある松久保さんのアトリエにお邪魔して、ブランドを立ち上げたきっかけや服作りへのこだわり、今後の展望などをお伺いしました。年々取扱店の幅を広げ、少しずつ規模が大きくなっている注目のブランド。ぜひチェックしてください!

フリーランスの縫製からアパレルブランドを立ち上げ。自分自身で生産できる強みを生かしたもの作りをしています。

松久保さんのこれまでの経歴を教えてください。

大阪にあるバンタンデザイン研究所のファッションデザイン学科を卒業後、特に就職したい会社が見つからなかったのでフリーターになりました。今考えたらちゃんと就職しとけよって思うけど、あんまりイケてない会社に適当に就職するのも嫌やって。そしたら当時仲良しだったバイトの先輩が<THEモンゴリアンチョップス>のヤマケンさんと友達で、僕にヤマケンさんを紹介してくれたんです。その時ヤマケンさんはフリーで縫製をしていて、古着屋や関西ブランドのリメイクを手伝ったりとかしてたんです。僕も専門時代に縫製やデザインを学んでたから、その真似ごとをしようかなっていうので古着屋さんへ営業に行きました。それからちょこちょこリメイクの仕事をもらうようになりました。

具体的にどんなお店の仕事をもらってたんですか?

最初にやってたのは堀江の『ジャイアントベイビー』ですね。パンクやスケーターのカルチャーに強くて、今もめちゃくちゃ好きなお店です。僕がそういう話をしたら、アメリカで80年代のスケートブランドのデッドストック生地を買い付けてきてくれて、それを使ったウエストポーチやショーツを作らせてもらいました。その後、中崎町のヴィンテージショップ『ボウアンドアロー』のリメイクをやらせてもらうようになって、色んなお店でやらせてもらえるようになりました。20歳から今もずっとやらせていただいてるので、もう13年ほどになりますね。

フリーで縫製をしていたと。そういう方ってたくさんいらっしゃるものなんですか?

どうやろ、当時は自分以外にヤマケンさんしか会ったことないです。古着ってタグで年代を判断することが多いと思うんですが、ワーク系のものだと糸の種類や縫い方で年代がわかったりもして。この年代やとこの縫い方で、この年代やとミシンのピッチがこうなっててみたいな。『ボウアンドアロー』のリメイクは、そういう細かいディテールまでこだわっている商品が多くて、僕は古着屋で働いた経験はないけど、仕事をする中でヴィンテージにすごく詳しくなりました。

古着自体はずっとお好きやったんですか?

もともと好きで着てました。当時の古着屋って店ごとにしっかりカラーがあって、僕は今挙げた2店舗以外の仕事も受けていたので、色んなジャンルのカッコよさを知れたのは大きかったです。例えば、『ボウアンドアロー』は渋くて男臭い王道のアメカジの魅力を、『ジャイアントベイビー』にはテイストを織り交ぜたチープなカッコよさを教えてもらいました。昭和町にある『PERK』の<ink>っていうブランドを手伝っていた時期もあって、幅広く服を知れたのが良かったです。

たくさんのお店と関わりがあるんですね。知らなかったです。

1つの店やブランドに所属したことはないけど、尊敬している師匠みたいな人は色んなところいます。

いつ頃からファッションが好きになったんですか?

中学生くらいの頃です。中3の時にギャル男ブームがきて、カッコいい先輩とかもみんなギャル男やったんです。まぁ、東大阪っていう地域柄もあるかもしれないけど。僕も金髪にして日サロに行って、ギャル男向けのファッション誌を読んでいました。やけど、当時もライダースにブーツカットのパンツ穿いて、エンジニアブーツ合わせたりしてたんで、意外と服装は変わってないかもしれない。当時「Men's egg」がめっちゃ流行ってて、モデルの中に何人かマジでおしゃれな人が2人くらいいたんです。タトゥー入れて、古着のデニムのつなぎを着てバンダナ巻いて、ハーレー乗ってるみたいな人。それに気付いた「Men's egg」読者がめっちゃおしゃれになっていくっていう現象が起きて、ギャル男全体の5%くらいがほんとの服好きになってました。それを『ボウアンドアロー』の遠藤さんに話したら、「一時期ギャル男がむっちゃ来るって古着屋界隈で話題になってたわ」って言われました(笑)

「Men's egg」にそんなイメージなかったです。おもしろいですね。

当時は「カジカジ」もギャル男っぽい感じではあったんです。当時70年代っぽい古着が流行ってて、ギャル男もその流れに乗ってたんで、周りの友達や先輩もベルボトム買ったりとかしてました。

縫製の仕事からスタートして、自分のもの作りをするようになったのはいつ頃ですか?

<ink>を手伝ってた23、24歳くらいの時に帽子を作って、<A PUZZLING HOME>というブランドが生まれました。

ちなみにどんな帽子を作ってたんですか?

チープなナイロン生地を使った70年代のバイカースタイルが好きやったんで、そのノリでポップなカラーのあご紐が付いた黒いバゲットハットを作りました。やっぱり自分のブランドを持つと、もっとアイテムの幅を広げていきたいという思いが強くなって、服作りに派生していきました。

<A PUZZLING HOME>というブランド名の由来は?

僕、ヤマケンさんに色んな人を紹介してもらってめっちゃお世話になったんですけど、紹介する時に毎回「コイツ家がちょっとややこしいヤツで」みたいなイジリをされてて。「自分でブランドやれよ」っていう話をしながら2人で飯を食ってる時、たまたまブランド名の話になったんです。「あんまり意味がない名前がいいです」って僕が言ったら、「いつも“家がややこしいヤツ”って紹介してるからそれを英語にしてみたら?」って言われて、調べてみると<A PUZZLING HOME>が出てきたからそれにしました。ちょっとバンドっぽくていいなと思って。本当は全然ややこしくないんですけどね(笑)

<A PUZZLING HOME>は癖のあるデザインのアイテムが多い印象があります。

「売れそうなヤツ作って売れてもおもんないやん」って思ってて。僕もスタートしたての頃は結構トガってて、トリッキーで変わったデザインの服ばかり作っていました。当時は年に数型しか作ってなかったので、その分濃くてパンチのあるものが多かったです。

印象に残っているアイテムってありますか?

ヤマンバギャルのTシャツかな。今でこそギャルはおしゃれっていうイメージに変わってきたけど、それが浸透する2年くらい前に作りました。ウッドストックっていうアメリカのヒッピー系フェスとヤマンバギャルって、見た目もノリも似てんなと思って。ヤマンバギャルの写真を70年代のフリーペーパーっぽいデザインに落とし込んで、ウッドストック調にアレンジしてみました。古着っぽさが出る染み込みプリントと、“VERY GOOD CULTURE(チョベリグ)”というロゴがポイントです。

わ、めっちゃいいですね!

そういうギャグっぽいのも好きなんですけど、絶対ヴィンテージの要素は入れるようにしています。僕のルーツや服の知識は古着がベースなので、ヴィンテージのエッセンスは必ず入ってきますね。

松久保さんが作る服って女の子も着たいと思えるものが多いように思います。ギャルTもただのギャグじゃなく、ちゃんとファッション的に落とし込まれていて、そのバランス感覚がすごいです。

取扱店によっては女性のお客さんも多くて。僕が今着ているジャンプスーツも、ポケットの形やボタンの仕様はヴィンテージっぽいけど、花柄で少し色気のある雰囲気を出しているところがポイントです。僕は花柄やレース、ラメを結構使うんですが、そこにミリタリーやワークの武骨なディテールを加えて全体のバランスを取っています。そうすると自然な色っぽさが出るんですよね。

それは何か意図があってのことですか?

ブランドのオリジナリティを出したいなと。僕みたいなヴィンテージ畑の人間が普通にカッコいい服を作っても、上の世代の人たちには説得力で勝てない。なので自分の好きな不良っぽいロックなテイストと、ベロアやヒョウ柄などの少しキワどい素材使い、インパクトのある配色で、今まで先輩たちがやってこなかったヴィンテージベースの服作りに挑戦しました。

ご自身で縫製されることも多いとお聞きしました。

展示会のサンプルは100%自分で作っています。作ってる時にめっちゃ悩むタイプなので、展示会が始まるギリギリまでポケットの位置とか悩めるのがいいですね。あとは縫製を外注に出す場合、生産枚数の少ない商品だとコストがかなりかかって、値段が合わなくなってしまうんです。それがドロップ(販売されない)アイテムが生まれる理由の1つなんですが、僕は自分で縫製できるので、1着でもオーダーをいただければ生産できます。それがあるから、カッコいいけど数は売れなさそうな攻めた配色のアイテムをリリースすることができるんです。

なるほど。それは縫製もできる松久保さんならではですね。

今は受注会で全国の取扱店を回ることも多いのですが、オーダーをもらう際、パンツの丈をお客さんの身長に合わせることもあります。裾に刺繍やジップが付いているデザインだと、作ってから裾上げができないので。これが可能になることが、僕が一緒に回るメリットですね。お客さんがみんなウォレットチェーンを付けてる取扱店があって、そのお店に合わせて、ジャージパンツやイージーパンツにもベルトループを付けてプチ別注をしたこともあります。これらは自分で縫製している小さいブランドだからこその強みなのかなと思います。

ルックを撮影するようになってブランドを知ってもらえる機会が増えました。ヴィンテージの要素を年代問わず織り交ぜつつ、どこか色気のある服を作っています。
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Profile

松久保 翔太

東大阪市出身、1990年生まれ。ファッションデザイナー。バンタンデザイン研究所を卒業後、バイトをしながらフリーの縫製の仕事をするようになり、2014年に自身のブランド<A PUZZLING HOME>を立ち上げ。現在は大阪、富山、香川など全国10店舗以上で取扱いあり。代表作の刺繍ジャケットは、九条ジョー×イーグル野村のファッションシューティングでも着用。

ブランドIG:@apuzzlinghome

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