「私の原点はアメリカ村!」。<モマパッチワーク>のモマさんに聞く、地球に優しいモノ作りとご自身のファッションのこと。
以前はみんなもっと前のめりに生きてました(笑)。「この人いいな」と思ったら、同じ目線になろうと自分を磨いてすぐ友達になってましたね。
モマさん自身のファッションは20代の頃と変わりましたか?
かなり変わったと思いますよ。ただ、好きなシルエットは変わっていないことに最近気付きました。いろいろ着るけど、ヒッピー系のシルエットに結局戻ってくるんです。ダボっとしたパンツ×エプロントップスの組み合わせは、昔から変わらず好きですね。
フリフリのエプロンにボーダーのタイツを合わせるアンちゃんのファッションも好きで、甘そうに見えて甘すぎないところがツボなんです。アンちゃんって甘くてカントリーなイメージだけど、実はそれだけじゃないんですよ。昔アメ村に『スイミー』と『エルカミーノ』というガーリーな古着とリメイクのお店があったんですが、そこがめちゃくちゃかわいくて。コーデュロイのパッチワークを使ったヒッピー系のファッションとアンちゃんのスタイルが、自分のルーツかなと思います。
モマさんが20代の頃のアメ村ってどんな街だったんですか?
多種多様な人がいる混沌とした街でした。個人個人がだいぶヤバくて、インパクトのあるファッションを楽しんでいる人が多かったですね。当時の『カジカジ』の「街の眼」からも察する部分があるかもですが、ファッションのスタイルでそれぞれの主張をぶつけているような場所でした。だってインディアンもいましたもん。私はインディアンと毎日ごはんを食べてました(笑)
え、そんな方がおられたんですか?
新町のシルバーショップ『パインリッジ』のアリくんです。今はインディアンじゃなくて、ただただ怖そうなおじさんやけど(笑)。顔に赤いペイントとかして歩いてました。
とっても個性的ですね。昔はアメ村の古着屋って怖いところだったと聞いたことあって。若いと全然相手にしてくれないし、値段聞いても無視されてたという話だったんですが、実際はどうでしたか?
私の周りではそんなことなかったけど、もしかするとあったかもしれないです。女子にはみんな優しかったけど、若い男性で生意気やったらシバかれてたから。むちゃくちゃ怖い先輩とかもいて、今考えるとめっちゃ縦社会やったなぁ。アメ村にはすぐ血が流れてました。
血ですか???!!
気がついたらみんなバーで殴り合ってるような時代でしたから。ヤンキーが学生時代におった世代の人らやから仕方ないかもですね。
すごい時代ですね。今もアメ村にはよく行かれるんですか?
最近は古くからある店しか行ってないけど、たまに行きますよ!私たちの世代からはすごくみんな優しくなってるから、もう血が流れるようなことはないでしょうね。
あの頃はアメ村を歩けば友達に会うって感じで、仕事の休憩時間もほとんど友達の店で買い物をしてました。ほんまにいい古着屋さんがいっぱいあったし、店もギュッと集まってたから、みんな休憩時間も休みの日も買い物ばっかりしてたんちゃうかな。
ちなみに血を流してる現場は見たことありますか?
一度先輩が血流してるのを見ました(笑)。みんな尖ってたんで、お店同士のオーナーがケンカしてたっていう話は結構ありましたね。
今ってインフルエンサーがいたり、SNSを見て「この人みたいになりたい!」っていう“憧れの文化”があるのかなと思っていて。モマさんが憧れてたカリスマ的な人はいたんですか?
うーん、ヒッピー系の人に憧れはあったけど、アメ村にいる人に対して憧れはなかったかも。当時は人に憧れるとかじゃなくて、「ワシや!」みたいなグイグイ感があって。みんな自分が自分がって前のめりな感じ。いいなと思ったら、すぐ友達になっていました。だって憧れてる時点で上下関係が決まってしまうから、その人と仲良くなれないじゃないですか。同じ目線で喋れるよう、自分をもっと磨こうと考えてましたね。
モマ
大阪出身。高校卒業後、アメリカ村の古着店やアパレルで働いたのち、結婚してさまざまな国を転々としながら過ごす。その間アメリカのヒッピーカルチャーに影響を受け、US古着やファブリックを用いたブランド<モマパッチワーク>をスタート。帰国後は大阪市内にアトリエ兼ショップをオープンし、現在はポップアップオンリーにシフト。
MOMA PATCHWORK
「地球に優しく・自然と仲良く」をモットーに、古着や古布、国内外のさまざまな素材を用いた洋服やターバン、帽子などを展開。色や柄をふんだんに散りばめたパッチワークには、独自のセンスと感性、そしてモマさんがこれまで見てきたさまざまなカルチャーが詰め込まれている。