ジーンズ離れのいまに聞く。<THE UNION>牧田耕平さんが思うデニムのエエとこ。
「若者のジーンズ離れ」というニュースが伝えられる昨今、ジーンズ(デニムと呼ぶべきか)の売り上げが不振にあえいでいる。 かつては、服好きにとってなくてはならない定番アイテムの一つだったデニムがどうしてなのか。「オジさんくさい」や「高い」など、その理由をなんとなくイメージしてみるが、どうも“浅い”気がする。
そんな疑問を持って、大阪を拠点にデニムを発信する<THE UNION>の長、牧田耕平さんにその理由を考えてもらいました。牧田さんのデニム愛も添えて。
デニムが好きになるタイミングが来る。それが“いつか”っていう。
デニムに興味を持ったきっかけはなんですか?
70、80年代の映画の影響がデカいですね。「アメリカングラフィティ」とか「バック トゥ ザ フューチャー」とか。登場人物がアメカジスタイルで、デニムを履いてたし。
ちなみに、はじめて買ったデニムは?
高校生のときアメ村で買った、リーバイスの501かな。別にヴィンテージでもなんでもなくレギュラーの。初めてヴィンテージを買ったのは19歳のときで、この<FOREMOST>ですね。自分はその頃、リーバイスやリーとかの定番じゃなくサードブランド、いわゆるストアブランドが好きで。たしかガリブル(東心斎橋にあったヴィンテージショップ)で買ったんかな。
で、元々デニムが好きというのもあって仕事にされて。
そう。同級生がすでに『フルカウント』にいたっていうのもあって、19歳のときに入社しました。最初はアメ村のショップで販売からスタートして、20歳のときに初めて岡山に生地見に行ったり、企画とかもさせてもらったし。社長の辻田さんにデニムのイロハを教えてもらいましたね。その後は、当時シュプリームとかの国内代理店や、オリジナルブランドを展開していた東京のアパレル会社に入って。その会社で、24歳の時に<MOTIVE>を立ち上げました。
<MOTIVE>でもデニムを展開していたんですか?
MOTIVEでもやってたけど、ブランド3年目に<MOTIVE TOUGH>っていうラインを立ち上げたんですよ。その理由が、MOTIVEはいわゆるストリートブランドやったから、っぽく見られるのがイヤで。
前からヴィンテージディテールをモチーフにした、ちゃんとしたデニムを作りたいと思っていたので、デニムだけ一人歩きというか独立させたいな、と思ってて。ちゃんとXXのディテールで、隠しリベットとか耳ももちろんそうやし、綿糸使って、生地も13.5オンス。岡山の生地屋さんでヴィンテージデニムマニアみたいな人がいて、その人と一緒に作ってました。<TOUGH>は当時めちゃくちゃ売れましたね(笑)
それから地元・大阪に戻って<THE UNION>をスタートして。
それが2009年かな。自分は<THE FABRIC>というブランドをやって、小物は<THE COLOR>、リメイクは<THE ONE SHOW>、ウィメンズは<THE MERMAID>といった、それぞれのプロフェッショナルが手がけて、ていうその集合体が<THE UNION>。基本的にデニムアイテムはいま、<THE BLUEST>(旧THE OVERALLS)としてリリースしています。
牧田 耕平
1975年、大阪・東住吉区出身。製菓専門学校中退後、大阪のデニムメーカー<フルカウント>に入社。その後、東京のアパレルメーカーに勤め、1999年に<MOTIVE>をスタート。2010年より大阪へ戻り<THE UNION>を始動。2020年春より監修している<アニエスベー ジーンズ>をはじめ、様々なデニムブランドのディレクションも手がけている。