『⼗四才』塩⾒さんみたいな初期衝動、みんな今も感じてる?
あの⾳楽をはじめて聞いたとき、あのブランドをはじめて知ったとき、あのコとはじめて出会ったときとかの、ココロをワシヅカミされて、いてもたってもいられなくなるような初期衝動。誰しもが経験したことがあると思うけど、そんな衝動を追い求めて、王道からキレ〜イに逸れつづけている⼈がいる。それが、『⼗四才』オーナーの塩⾒⼤地さん。アメ村のコッテリ濃いめのSHOPが集結するショウザンビルで、めっぽう変わった⽇本の古着をセレクトしているゴーイングマイウェイなお⽅です。街には個性的な⼈がたくさんいる中で、 「ファッションには、そんなに興味がない」と⾔ってのけちゃうそのスタイル、気になりますよね?ということで、塩⾒さんのマイウェイなスタイルをインタビュー。
近鉄バファローズのキャップを愛⽤して19年。
もともと⽇本の古着を集めていたんですか?
⽗親が古着好きで、⼩学⽣の頃からアメ村を連れ回されていて。⾼校の頃までは、アメカジの古着やヴィンテージを買い集めるだけで、普通に満⾜していたんです。
では、いつ⽬覚めたんですか?
ちょうど⾼校3年のときですね。当時、アメ村にソウルサイドという店があって、そこで近鉄バファローズのキャップと出会ってから。スタッフさんに「このキャップは、マーシーや清志郎さんもライブで使っているんだよー」と教えてもらい、「あ、こんなのもアリなんだ!」って⽬覚めちゃいました(笑)。ハイロウズも好きだったし、ロゴのデザインも岡本太郎さんだし、⼈ともかぶらないし。
アメカジ以外の道が⾒えたと。
アメカジだけじゃないなって。その瞬間に、いろんな道が⾒えましたね。近鉄バフォローズのキャップはそれ以来、ほぼ毎⽇かぶっています。今のが2代⽬で、家にはストックもしっかり⽤意。たまに店にも⼊荷するんですが、問い合わせもかなりありますね。でも、当時はまだまだアメカジを着こなしつつ、このキャップをアクセントにする程度だったんですが、だんだん満⾜できず、スタイルの振り幅が狭いなぁと思うようになったんです。
そこからが、ゴーイングマイウェイですね。
そうですね(笑)。まずは浮世絵や漢字Tシャツを集めていたんですが、浮世絵がファッション的市⺠権を得てくると、なんだか違うなって思ってきて。そこから⽇本のタレントTシャツを集めはじめて、Jリーグ系アイテム、商品やTV番組のノベルティアイテムとか、⽇本の古着という⾃分の道がどんどん⾒えて広がってきた感じですね。昔のタレントTシャツとかも、プリント部分は硬くてバキバキだったりするけど、それもアジだし、往年感がたまらない。⾒つけたときは、めちゃくちゃテンション上がっちゃいます。
誰かと同じはイヤってことですか?
もともと天邪⻤な性格というか、⼈の通らない道を⾏きたいというか。昔、船が沈没しちゃうラブストーリー映画がありましたけど、流⾏っていたから絶対観ないって決めていたし、⽇本の⼤⼈気アニメスタジオの映画も今まで観たことない(笑)。⼈が通っていない道で、 ⾃分が⾏きたいと思うような抜け道を⾒つけて進む、そんなひねくれた奴なんですよ。
今気になるのはエプロン。いなたいけど、オモシロイなって。
⼗四才をはじめるまでは、何してたんですか?
⼤学を卒業して、普通にスーパーマーケットに就職(笑)。8年間みっちり会社員として働いていました。
そこは、道から逸れずなんですね。
いろいろ挫折もあって…。⾼校3年から⼤学4年まで、古着にアンティーク家具、ミリタリー、中古レコードなどを扱う店で働いていたんです。ゆくゆくは⾃分で店をやりたいなぁっていう⻘写真は描いていたんですが、アメリカの買い付けに同⾏したときにポキッと挫折しました。「買い付けしてみるか?」とオーナーに軍資⾦を渡され、⾃分の眼でいろいろセレクトしたんですが、「こんなもの店で出せるか!」ってバチクソ怒られちゃって。⾃信もなくして、買い付けや店の経営って⽢くないなと実感したんです。それで、潔く就職しちゃいました。
でも、諦めてはいなかったと。
就職しても休⽇はアメ村をブラブラしていて、⽇本の古着はブレずに集めていましたよ。⽇本の古着を扱っている店はなかったし、「イケるかなー?」とぼんやりと考えてはいたんですけどね。そんなときに、ショウザンビルに空きが出ることを教えてもらい、「すぐに埋まるよ」という⾔葉にも後押しされて、完全に勢いで契約。少年の初期衝動を歌ったハイロウズの⼗四才が⼤好きだったので、その想いとリスペクトも込めて、店名も『⼗四才』にしたんです。
オープン当初の商品ラインナップはどんな感じでした?
ヴィンテージとか⽇本の古着とか、すべて私物でしたね。とは⾔え、全然⾜りなくて、商品棚もスッカスカ(笑)。量販店で買ったスリッポンにイラストを描いて販売したりとか、今考えると、めちゃくちゃやったと思います。でも、オープン翌年の2016年に、⾃分にとっても店にとっても⼤きな転機がいきなり訪れたんです。東京の古着屋『BOY』の奥富さんがSNSで発⾒してくれて、わざわざ店にまで遊びに来てくれて。「おもしろいねー、⼀緒にPOP UPやろうよ!」と声をかけてくれたんです。しかも、出会って2⽇後には東京で出店していましたからね。
めちゃくちゃ速攻ですね(笑)。
極度の⼈⾒知りなんですけど、このときは速攻でした(笑)。POP UPの経験なんかないし、とりあえず店の精鋭アイテムを選抜していたらダンボール9箱になってて…。規模感も分からないのでそのまま持って⾏ったんですが、うちの店よりも狭い場所で、商品が多すぎて逆 にお客さんたちがザワついちゃうという。奥富さんも知り合いをたくさん呼んでくれていて、みんなおもしろがってくれたし、いろんな繋がりもできたし、結果オーライだったんですけ どね。
店の商品をほぼ持って⾏ったんですか?
ほぼですね。無知で良かったなと(笑)。おかげで他のPOP UPにも声をかけてもらえるようになり、繋がりがどんどん広がっていきました。あのPOP UPがなければ、とっくの昔に店は潰れていたかもしれない…。いろんなバイヤーさんとも出会えて、商品ラインナップが充実していくキッカケにもなりましたから。
なるほど。ちなみに、今気になるアイテムは?
今は、TV番組やノベルティのエプロンですね。アメリカのワーク系エプロンは浸透しているけど、ひと昔前のこの⼿のエプロンもかなりオモシロイんですよ。意外とディテールもしっかり作られていて、⾒た⽬もカラーも可愛い。⾃分では、ネオワークって呼んでいます。家にもいろいろストックしていて、いつか⽇の⽬を当ててやりたいと思っているんですけどね。⽣活雑貨メーカーさんなどとコラボしてもオモシロイだろうなぁと、⽬論んでいます。まぁ、あくまで勝⼿にですが。
これからも、ニッチな愉快犯みたいなことをしていきたいなと。
エプロンも、また新しい道ですね。
まぁ、なかなか理解はされませんけどね。⾃分のセレクトしているものは、いわゆるファッションではないし、トータルコーデできるものではない。でも、おもしろさだったり、ギリギリの攻めている感だったり、インパクトだったり、そういう⾯では使えるアイテム。サブカル好きの⼈やヒップホップ系の⼈とか、ファッションにも独⾃の抜け道を持っている⼈がお客さんに多いのも、⾃分としてはうれしいなと。
じゃ、これからも⽇本の古着を?
いや、それは分からないです(笑)。もし、⾃分の集めている⽇本の古着がブームになったら、アメカジの道に戻るかもしれない。ただ、そのとき、そのときの抜け道を⾒つけて、⽣き延びていきたい(笑)。⾃分でも次にどんな道を⾒つけるか分からないし、それを考えているときが⼀番楽しいんですよ。いくつになっても初期衝動を求めているというか、⾃分的にグッとくる感覚は、何回味わっても最⾼ですもん。だから、ニッチな愉快犯みたいなことを、服を通じて永遠にやっていきたいと思っていますね。それが、⾃分の純度を薄めない唯⼀の⽅法じゃないかなと。教室のすみっこで、いつもオモシロイことを⾔っている奴みたいなスタイルで(笑)。
塩⾒ ⼤地
どんなジャンルにも属さないアメ村の⼈気古着店『⼗四才』のオーナー。アイテムと出会う前に、“ディグる“楽しさが尽きないのも、この店&塩⾒さんのセレクトならでは。
⼤阪府⼤阪市中央区⻄⼼斎橋2-13-13 ショウザンビル1F
問い合わせはDMにて
営業時間/13:00〜20:00、⽉・⽔・⾦ 14:30〜20:00
定休⽇/不定休
https://jyuyonsai.thebase.in/