ファッション、ナイトカルチャー、農業にアート。南京町のギャラリー創設者は、いろんな界隈を活性化させてきたアイデアマンだった!田村圭介さんの「神戸をもっと面白く」の視点。

神戸は南京町。平日週末問わず賑わう観光地の最南端にそのギャラリーはある。『VILL | a small place』(以下『VILL』)だ。その名の通り小ぢんまりとした空間には、大小さまざまなZINEがずらりと並ぶ。ギャラリーを立ち上げたのはディレクター/プロデューサーの田村圭介さん。気鋭のクリエイターの表現をサポートするのがこのギャラリーの、そして田村さんの目的だが、これまでの彼の経歴は複雑にして濃密。現在も、遊休資産を活用したプロジェクトや、夜の神戸について真剣に語り合う大人の喋り場、そして新神戸で定期的に開催されるマーケットをプロデュースするなど、守備範囲の広さは尋常ではない!ジャンルや規模、さらに地域問わず「面白い」を形にしてきたアイデアマンの半生に迫るべく『VILL』の門を叩いた。

神戸という街の面白さは、実際に歩いてみて初めて出会う場所や人にあると思います。

神戸を拠点にいろいろと活動されている田村さんですが、まずはバックボーンからお聞かせいただければと思います。出身も神戸なんですか?

出身は徳島県の山奥にある東みよし町という住所的には“郡”になるくらいの超田舎で、そこで18歳まで住んでいました。高校生の時はファッションの仕事をやりたかったけど、親から「国公立の大学は出てくれ」と言われて一応国立大を受けたものの、ちゃんと落ちてしまって(笑)。それでも都市部にはいたいと思って、神戸のバカ大学に入りました。

(笑)。大学のキャンパスはどちらになるんでしょう?

それも田舎者すぎてはじめは気づいてなかったんですけど、明石の山の方なんですよね(笑)。神戸まで出てくるのもかなり時間かかるような。でも大学時代は昼間くらいに誰か友達を見つけて、三ノ宮に遊びに出てひたすら街を巡って飲み歩いて、最終的にゴミの上で寝てたこともよくありました。

ファッションの世界に進みたいと思ったきっかけはなんだったんですか?

行ってた高校が田舎にも関わらず不思議とおしゃれな学校だったんですよ。当時『Quanto(クアント)』っていうバイクとか服とかスニーカーを売買するための情報が詰まった、今でいうメルカリみたいな雑誌があったんですけど、そういうところで都市部の人たちとトッポくディールしてる子たちがいたんです。

高校生ディーラー!

僕はバスケをやっていたので、何足も買ったAIR JORDAN 1を色違いで履いて学校に通ったりしてたんですけど、しばらくするとそういうファッション好きの奴らに目をつけられるわけですね。そこで仲良くなって遊ぶようになりました。当時は裏原の勢いがすごかった頃なんですが、地元は田舎すぎて情報が取れないので、雑誌とかラジオを貪欲にチェックして吸収していました。ちなみに当時の友達もファッションの道に進むと思ってたんですけど、実際はみんな違う仕事して、ファッションの仕事に就いたのは僕だけでした(笑)

そして進学を機に神戸に出てこられたんですね。神戸の街の印象はいかがでしたか?

神戸は斜に構えてるというか、良い意味で変なことやってる人が多いですね。街のサイズが小さいから全部歩いて巡れるんですけど、隈なく路地を歩いてると誰にも知られてないような変な場所の2階とかに店を見つけたりするんですよ。そこにドキドキしながら入って店の人と話すという経験を経て、むしろそういう方面に興味が出てきました。だから僕にとって神戸という街の面白さは、実際に歩いてみて初めて出会う場所や人にあると思います。

メディアに映りにくい部分にこそ本当の神戸らしさがあるわけですね。

誰も神戸ビーフ食べないし、スイーツとかパンを買う頻度も別に人並みですからね(笑)

大学卒業後はファッションの道へ進まれたんでしょうか?

新卒でバイトで<BEAMS>に入りました。もともと学生時代に雑貨とアクセサリーを扱う会社でバイトしていたので、そのままそこで就職しようかなと思ってたんですけど、急に「服の方がいいな」と思い直して。卒業する2週間くらい前に<BEAMS>の面接を受けて、卒業式の次の日から働いていました(笑)。当時、移転増床で人員を増やすタイミングだったこともあって拾っていただきました。神戸で1年半、阿倍野で1年半働いたあと、アメ村の<BEAMS STREET>に移るんですが、そこは<BEAMS>のなかでもこだわったものを置くという特徴がありました。

確かに<BEAMS STREET>はセレクトがより色濃いイメージがあります。スタッフの方も個性的だった記憶が。

『IMA:ZINE』のTANYとかね(笑)。当時の<BEAMS>ってオタクの集まりだったんですよ。シャツだけ異常に持ってる奴とか、日本で3本の指に入ると言われるスウェットコレクターとか。でもそういう個性も生かせるような環境でしたし、自分らの同期は上と交渉して関西独自のバイングチームを作ったりいろいろやってましたね。

そういう意見も通るあたり、風通しが良いというか会社の懐の深さを感じますね。

それでも当時は「もっと自由にやりたいのに!」って思ってましたけどね(笑)。でも東京からリサーチに来る方がいたり、メディアの方にプレスリリースとかで来てもらったりもして、その結果いろんな方との繋がりが広がっていきました。

田村さん発信で企画を行うこともあったんですか?

そうですね。例えば関西だと、奈良の『light』の内装とかもやっている絵描きのレイジロウ君とか。彼が日本中を周りながら絵を描いていくという旅をしていた時にたまたま神戸で出会って、面白いから上に提案してみたら通ったんですよ。その展示が僕企画でやったアートショーとしては初でした。<BEAMS>を辞める直前はPALM GRAPHICSの豊田 弘治さんとかともやらせてもらったり。あとはデトロイトのURは、CDのリリースとアート展示とマーチャンダイズを掛け合わせて、原宿のBEAMS RECORDSも巻き込んだ形で展開しました。

本当に多岐にわたる方とのコラボレーションを企画されてきたんですね。アンテナの広さが凄まじいです。

まあ提案して無理だった企画もたくさんありますけどね。でもできなかった方とは、辞めた後も繋がりがあって、リベンジみたいな感じで一緒に仕事できたりもしたので嬉しかったです。

ボツ案もとても気になります(笑)。でもそういったユニークなアーティストとの企画も、少なくとも一度提案できるという意味では<BEAMS STREET>の尖り具合が分かりますね。

企画を提案する時ってドキドキするもんなんですけど、あの時はみんなバカになってて、とりあえず提案しまくるマインドになってました。

そして<BEAMS>の最前線で活躍された後、転機があったとうかがいました。

実は父親が徳島でイチゴの農業生産法人をしていたんですが、ある年に体調を悪くしてしまったので、僕がそこを引き継いだんです。それが僕が34歳くらいの頃で、それ以来、学生時代からずっと住んでいた神戸と、地元である徳島を行き来する2拠点生活が5年ほど続きました。基本は徳島にいて、週末は神戸に帰るという生活でした。

それにしても世界がガラッと変わりましたね。ファッションからの農業。

でも販売や企画に関しては服屋の感覚を活かすと面白いんじゃないかなと思って。例えば三ノ宮のとあるカフェの中を全部イチゴ畑にして、摘み取ってもらったイチゴをその場でカフェメニューとして提供する企画とか。

店内でイチゴ狩りですか!面白い。

鉢をいっぱい並べて、囲いも作ってかわいくレイアウトすると、ぽく見えるんですよ。当時「地面に植えてるイチゴ以外は良くない」という高設栽培へのネガティブなイメージが強かったんですが、高いところになってるイキイキとしたイチゴを見てもらって、そういうイメージを払拭してもらうという狙いもありました。

体験型にすることでイチゴの良さもダイレクトに伝わりそうですね。

割と反応は良かったです。神戸のお菓子屋さんとかカフェも何軒か取引が決まったり。あとは伊勢丹新宿店でもポップアップショップをやらせてもらったんですが、それもお客さんの感情にどう訴えかけるかを考える意味では基本的に洋服と一緒なので、ビジュアルも含めいろいろとチャレンジしてみました。

ご自身のルーツとファッションの道に進んでからの経験が繋がった感じがしますね。イチゴということはシーズンも関係してくるんでしょうか?

実はうちは1年中できたんですよ。イチゴって12月から始まって4月くらいまで作るのが普通なんですけど、僕たちの地元は田舎すぎたのもあって標高500mくらいの場所まで割とすぐなんですよ。だから夏でもイチゴを切らさないので「年中デリバリーします」っていうのが強みで、季節問わずやってましたね。

1年中ずっと忙しいわけですね。

イチゴを育てて販売するだけじゃなく、農家さん10軒くらいを束ねてまとめてイチゴを取引したり、資材を販売したりハウスを作って提供したりと、イチゴの総合商社みたいなことをやってました。良い経験でしたね。毎日ちゃんと畑にも出て、暑いなか1日に水を5リットルくらい飲みながら作業したり。父から引き継いだ当初は1年くらいやってから潰そうかなと思ってたんですが、一緒にやる方が増えて事業としても大きくなっていたので、最終的には別の会社さんに事業承継という形で任せることにしました。そこで少し肩の荷が降りたかなと。

南京町に作ったZINEのギャラリー。面白い人を、目に見える形にしたかったんです。
123
Profile

田村 圭介

徳島出身、神戸在住のディレクター/プロデューサー。20年以上に渡ってアパレル、農業、アートといったさまざまな方面で活躍してきた経験を持つ。現在は南京町のギャラリー[VILL | a small place]の運営を軸に、ものづくりのサポートや遊休資産の利活用などを通して地域活性化に多角的にアプローチしている。株式会社ヴィレッジズ代表。

Instagram:@villasmallplace

CATEGORY
MONTHLY
RANKING
MONTHLY RANKING

MARZELでは関西の様々な情報や
プレスリリースを受け付けています。
情報のご提供はこちら

TWITTER
FACEBOOK
LINE