捨て身になったらひと筋の光が見えた。初の全国ツアー「ネタサボってんじゃねぇよ」を開催中のお笑いコンビ・黒帯のインディペンデントな戦い方。


コロナ明けの状況を打破するためにYouTube「黒帯会議」をスタート。当時は周りの芸人に受け入れてもらえてなくて、かなり不評でした。

動画「黒帯会議」をYouTubeで始めたきっかけは?

大西:「黒帯会議」を始めるまでYouTubeでラジオを7年くらいやってたんですが、コロナの自粛期間に芸人っておもしろくないなぁと思ってしまって。

それはどういうことですか?

大西:周りの芸人が嫌いやったんかもしれないです。YouTuberの方がおもろいっていう脳みそになってしまって、僕がYouTubeで動画やりたいって言ったのをきっかけに始まりました。その頃は仕事も週1あるかないかくらいで、時間はたっぷりあったんです。それが2020年の自粛明けくらいのタイミングでした。

どんなジャンルの動画を上げていこうっていうのは2人で話したんですか?

てらうち:もちろん話したっすけど、2人ともマジでお笑いなんてどうでもええわって感じでしたね。コロナ禍で舞台にも立ってなかったし、こんなん芸人ちゃうやろって思ってて。フリーターみたいな気持ちになって、金稼がれへんのやったらもう芸人を辞めようとまで考えてました。ほんま辞める1歩手前のギリギリの状態で、仕事ないのに続けられるかよって。

かなりキツい状態ですね。

てらうち:普通にしてるだけで仕事もらえる甘い世界でもないし、さらにコロナ禍でめちゃくちゃ厳しい状況に追い込まれて。僕ら周りの芸人に好かれてるわけでもなかったし、仲間もおらんかったから、ほんまにもうええわって思ってました。どうせ辞めんねやったらめちゃくちゃしたれって感じでしたね。

周りの芸人さんはあんまりYouTubeをやってなかったんですか?

大西:やってた芸人もいたけど、自分たちのファンに向けてやってる感じだったからあんまりおもしろくなかったですね。ファンが500人しかおらんとすると、500回しか再生されないじゃないですか。そのやり方じゃ興味持ってくれる人は増えへんから。僕らファンがいなかったのもあって、その母数を増やすための動画を作らな意味ないと思ったんです。

てらうち:テレビでよくある企画をやってる人も多くて、それやったらテレビ見た方が絶対おもしろいやろって感じでした。「黒帯会議」は2~3年続けてますけど、俺らほど力入れてやってるヤツは大阪にいないと思います。

大西:YouTuberの本は結構読んで、更新頻度やバズり方を研究してました。今は週に3回動画を、週に1回ラジオを更新していて。それは、キングコングのカジサックさんが「とにかく週3回上げろ」って言っていたのを参考にしました。

てらうち:どんなん上げていこうかっていうのもめっちゃ会議して、「ちょっとキワどいことをやろう」っていう方向性を決めました。代表的なのでいくと、ファン向けの「●●(芸人さんの名前)の近づき方講座」とか(笑)

あれめちゃくちゃおもしろいですよね。

大西:金属バットさんや当時のコウテイに出てもらって、そっちのファンを集めようとしてました。

てらうち:お笑いファンが喜ぶことをやろうっていうのでね。

確かに、黒帯さんの企画ってお笑いファンの「これ知りたい」を突くのがめちゃくちゃ上手です。

大西:僕がお笑いオタクっていうのはあるかもです。こういうの見たいっていう感覚が視聴者とマッチしたのかもですね。基本飽き性やけど、お笑いだけは中学くらいから変わらず好きですね。

動画は何本かまとめ撮りしてるんですか?

てらうち:毎週火曜と木曜に吉本本社の会議室で撮っています。その場で企画を考えて2本ずつくらい撮るっていうのが、ここ2年ほどのルーティーンです。

大西:思い付いたら3本撮る時もあるし、何もないってなったら会議だけしてそのまま帰る日もあります。

企画は当日に決めてるんですね。前々から決めて撮ってるんかと思いました。

大西:企画を持っていってた時代もあったけど、今は当日喋りたいことを喋ってます。

てらうち:その場のノリでやるのが1番喋りやすいんですよね。そうじゃないと続かないです。ネタを考えんでいいならもっと入れ込めるけど、漫才師と並行してYouTubeもやっていくなら、それくらいじゃないと続けられないっすね。

どんな企画が好評なんですか?

てらうち:ゲスト回はやっぱりいいです。結構人を深掘りするんで、観てくれる人は増えます。

大西:僕らがいいと思っても回らんやつ多いですけどね。漫才劇場のシステムが変わった時、公式発表の翌日に考察動画を上げたら再生数が伸びたんで、スピード感は大事かもしれないです。手の込んだ企画をやっても伸びない場合があるから難しいんですよね。観る人は観てくれるんかもしれんけど。

てらうち:ただ、ほんまに誰やねんみたいなヤツを取り上げるのは得意ですね。最近だと先輩のアーネストさんの解散を追っかける企画とか。僕ら以上にまだ知名度がない人を取り上げるのは、僕らしかできへんことかもなぁとは思います。お笑いファンでも知らん人、例えばドンマイ高橋さんとかね。

そういう話を聞くの楽しいんです。黒帯さんが取り上げてらっしゃるから知れた人も何人かいますもん。

大西:僕ら気質的にいじめっ子なんで。いじめっ子って自分より弱い人をいじめるじゃないですか。それがあるから賞レースもがんばらなあかんと思います。上に行けた分だけ、僕らがいじめることができるヤツが増えるんで。そのためにもがんばらなあかんっすね。

てらうち:性格悪いっすからねぇ、2人とも。

私は「鍋に入れたい芸人」が好きでした。

大西:ほんますか。しっくりきました?

豪快キャプテンの山下ギャンブルゴリラさん、確かにおいしそうやなぁって思いました(笑)

大西:ゆうらん飛行のかのことかね。

てらうち:かのこか、今聞いてもウマそうやもんな。

大西:コラーゲン多そうやから、肌ツヤツヤになりそう。

てらうち:ほんまお笑いやから許されてる話よな。

アーネストさんの解散動画とか結構シビアなこともやりつつ、「劇場のお菓子食べてみた」や「本社のジュース全部飲んでみた」があって、企画の振り幅がすごいなと思います。

大西:お菓子やジュースの企画をしてた時はやることがなさすぎて。その頃芸人にあんま好かれてなくて、「もう名前出さんといて」って言われてたから、自分らだけで完結するしかなかったんです。

当時のお話って色んなところでされてますよね。

大西:そうですね、嫌われ者でした。

てらうち:敵は作りますねぇ。まぁしゃーない、人間性が良くないから。

動画を始めた時、周りの芸人さんはどんな反応でしたか?

大西:不評でしたね。僕らネタをがんばってるイメージあったんで、そこでの戦いはもう降りたんやみたいな。

てらうち:東京やったらニューヨークや鬼越トマホークがおったけど、大阪ではYouTubeがそこまで受け入れられてなくて、とにかくネタをちゃんとやれっていう空気があったんです。俺はそれに対して「黙れお前ら」って感じやったから、その態度がより嫌われる要因になったんかもしれません。僕気ぃ強いんで、平気でそういうの言っちゃうんすよ。

大西:ただ、ネタを1番がんばってる人らが1番人気も実力もあったんで、ぐうの音も出なかったです。

てらうち:俺はムカついてましたけどね。ただネタもちゃんとやってたんで、それならええかっていう風に少しずつなっていきました。

大西:ネタは絶対ちゃんとやらなあかんなっていう話は2人でしてました。

どの辺りから周りの芸人さんに受け入れてもらえたんですか?

大西:やっぱりM-1の結果ですね。毎年準々決勝くらいまで行けば、コイツらネタをサボってない、がんばってるって思ってもらえるんです。僕ら2018年から毎年準々決勝までは行ってるんで、そこでなんとか体裁を保っていました。

やっぱり実力主義なんですね。

大西:僕らは賞を取ってないんで、次はそっちを目指していかなあかんと思いますね。

賞を取ったらやっぱり見られ方も変わるんですか?

てらうち:大人たちを納得させて1つ先のステージに行くには、賞を取るのが1番ええんかなと。わかりやすい指標になるんで。

大西:逆に使う立場になったら賞を取ったヤツがええなと思いますし。お前らがんばったからこの仕事やるわって言いますもん。

「黒帯会議」は忙しくなっても続けていきますか?

てらうち:今は何も考えてないです。

大西:「黒帯会議」でいきたいですけどね。今のテレビ番組って、ややこしい女性遊びしたら呼ばれなくなるじゃないですか。「黒帯会議」は自分たちでやるから関係ないし、こういう自由にできるプラットフォームは持っておきたいです。

てらうち:まぁ叩かれるんだけ我慢すりゃええもんな。吉本の芸人って受け身の人が多くて、アピール上手な人が上がっていくんですけど、そこはちょっと考え方が違ってて。俺らもともと松竹芸能にいて、さらば青春の光さんの背中を見て育ってきたから、仕事は自分らで作るもんっていう意識がむっちゃ強いんですよ。さらばさんは全部自分らで仕事取ってやってはるんで。今は自分らで色々やってる姿勢が評価されて、舞台にもたくさん呼んでもらえてるんかなと思いますね。

もともと松竹芸能に所属していて、吉本興業にはオーディションで入ったんですよね。もう何度も話をしてると思いますが、事務所を移籍したのはどうしてですか?

大西:M-1に通るためっていうのが1番デカい理由ですかね。

てらうち:当時吉本の人たちとインディーズライブをしていて、そこでは僕らもウケてたんですけど、いざM-1の予選に出ると吉本のお客さんばっかり観に来てるんですよ。やっぱり“この人知ってる”っていう安心感ってデカいから、知名度のない僕らは全然ウケなくて。M-1の1回戦って2分しか持ち時間がなくて、導入だけで自分らを知ってもらって笑いを取るのが難しかったんです。その状況を変えたかった感じですね。

大西:その時は1回戦もなかなかクリアできなかったです。

移籍したばかりの頃はすんなり馴染めましたか?

大西:松竹時代も吉本の同期と仲が良かったんで、「来たらええやん」くらいの感じで言われてました。

てらうち:ありがたかったですね。

大西:吉田たちさんとかは怖かったですけど。当時は嫌いでしたね。

(笑)

大西:そういう人らの悪口言って自分たちを鼓舞してました。インディーズ特有のやっかみがあって、吉本で活躍してる人たちの悪口を言ってがんばるとかはありました。

てらうち:最初は仲良くやってたけど、僕らのネタが弱くてどうしても馴染めない時期もあって。その後に金属バットさんとかと一緒にやるようになって、鍛えてもらった部分はあります。ほんまアニキって感じです。

大西:当時の僕らを知ってる人たちからは、「お前らは腐ってた」って言われますね。

「腐ってた」というのは?

てらうち:ネタの評価とか自分たちを取り巻く環境とか、色んなことに対して拗ねてた。今の僕らの周りにもそういうヤツがおって、こんな感じに見えてたんか、良くなかったなぁと思います。

大西:僕らもそいつらに良くなってほしくて冗談混じりに嫌味を言うんすけど、腐ってる時ってそれが冗談に聞こえないんです。僕も当時は同じように嫌味を言われて、「なんでそんなこと言うねん」って思ってました。冗談にできないくらい卑屈になってたんでしょうね。

そこからもう1度モチベーションを上げることができたきっかけは?

てらうち:俺は正直もう芸人を辞めよう、金稼がれへんならしゃあないわって何回も思ってました。今も慕っている金属バットさんとかにちょいちょい褒められて、なんとか続けられてたんです。

大西:三浦マイルドさんの軍団にもずっと入れてもらってて、「お前らおもろいぞ」って言ってくれてて。それやったらまぁいいか、と思ってやってました。

そんな状況の中でもネタはずっと作ってたんですか?

てらうち:今考えるとめちゃくちゃやってました。

大西:根詰めてやりすぎてたんかもな。毎日ネタ合わせして、インディーズライブにも月25本くらい出て、がんばりゃなんとかなるって思ってやったんですけど、なんか楽しくなくなってきて。てらうちが「楽しくない。バイトもっとしてお金使いたい」って言ってきたんです。そこから25日バイトして、残りの5日でライブに出る生活にガラッと変えました。お金があるとだんだん楽しくなってきて、心に余裕が出てきたように思います。

てらうち:仕事じゃないライブを月25本やるなんて無理っすよ。ほんまに好きじゃないと。

大西:なんならマイナスですからね。場代を払って出てたんで。

てらうち:大西さんは好きやからやれるかもやけど、俺は金にもならんお笑いができるくらい好きじゃない。異常者です、大西さんは。

大西:ほんま頭おかしかったかもしれないですね。8年目くらいまではお笑いに対する探究心がすごくて、周りもそういう人が多かったんで、むっちゃ突き詰めてやってました。

てらうち:適当にやってええ女抱けるっていうのを聞いてたのにむっちゃしんどいんすよ。話ちゃうやんってなりました。俺ももちろんお笑いは好きですけど、好きすぎるヤツが周りにおるんで、そこと比べると普通の人間なんです。そこまでお笑いに生活をベットできない。

大西:最初はコンビ間ですごい温度差があって。やけど、てらうちにもっと好きになってくれって言うのが無理な話で、僕がわざとお笑いをちょっと嫌いになりました。それでちょうど温度感が合ってきて、あまりにも感度を落としすぎててらうちを下回った時は、「最近お笑いの話せえへんな。今俺の方がお笑い好きやねんけど」って怒られましたね。コンビの難しさをそこで初めて知りました。

てらうち:俺より好きでいてくれへんとわけわからんからな。

アルバイト25日にして舞台5日にして、具体的にどんな生活をしてたんですか?

大西:週5回バイトに入って20万円くらい稼いでました。で、服とか買いまくってた。生活にゆとりは出てきました。

てらうち:かといってそれがしたかったわけでもないんすよ。今の状況に耐えられないから処理してるだけで、そりゃあお笑いで稼げるのが1番いいから。ちょうどその頃、インディーズライブで同じようにやってた人たちで、俺らより先に結果出る人が増えてきたんです。それは結構焦りましたね。当時は心に余裕がなくて、結果が出ないのを大西さんのせいにしていた時期もありました。

劇場の舞台が急に増えたタイミングはありましたか?

大西:YouTubeを始めたくらいからじわじわ増えてきた感じっすかね。

てらうち:月収がどっかのタイミングで15万円を超えたんすよ。そっからほとんどそのラインを切ってなくて、お笑いでちゃんと金を稼ぎたかったんでほんまに嬉しかったです。月収15万円が続いた3ヶ月目はめっちゃ覚えてますね。俺らいけるかもって思いました。

大西:森ノ宮で単独ライブをやった時、1回の単独でこんなにもらえるんやっていうのを知って、それで稼ぎ方を覚えました。配信がちょうど始まりたての頃やって、バイト10日分くらいの金額がいきなり入ってきたんすよ。金持ってる人らはみんなこうやって稼いでんねやと思いました。

てらうち:その時はお笑いで15万円、バイトでも10万円くらい稼いでて、毎月25万円くらいあったから最高でしたね。

大西:僕はめっちゃ楽なバイトしてたんですけど、いつからかバイトよりお笑いの方が楽になってバイトを辞めました。

てらうち:そうそう、こっちのほうが効率ええなっていう。言うても大西さんがバイトを辞めたの最近ですけどね。一応月1くらいはずっとバイトに行ってたんで。

大西:籍はまだ残してて、一応今度面談もあります。大丈夫なんやったらまだ残しとこうかなと。

てらうち:もうええやろ(笑)

大西:いや、何があるかわからんからね。ちょうどさっき、今も週5でバイトしてたらどうなってたんやろって計算したんですよ。そしたらこんなけしか稼がれへんのかって思う額やって。バイトをしてる人を卑下するわけじゃないけど、お笑いって楽やなぁと思いました。

てらうち:今そんなに稼いでるわけじゃないけど、ちょっとやって合間2時間くらい休憩して、「吉本働かせすぎやろ。むっちゃブラックやんけ」とか軽口叩きながら芸人仲間とランチ行って、また舞台に出て。よく考えるとご褒美みたいな生活ですね。それに関してはがんばって良かったです。

大西:今日6本出番あるとか言っても、ギュッとしたら30分くらいなんでね。

1日何本も舞台がある時の6本目とかってしんどくないんですか?

てらうち:うーん、しんどいけどできてしまいますね。嫌やなぁって思って出ていったことは1回もないです。

大西:あとスベるっていうストレスからも解放されました。こっちが100点のパフォーマンスをしてたとしても、なぜかスベってしまう時があって。僕らが悪いんかなって思ったら別の人もスベってて、今日はそういう日なんや、それは仕方ないって思えるようになったら一気に気が楽になりました。

きっといっぱい出てるからこそわかったことですね。

てらうち:1時間ずっと出っぱなしのライブとかは疲弊しますけどね。

大西:しんどいな。でも終わったらむっちゃスッキリする。サウナみたいな感じ。

めっちゃ爆笑をとった時とかも気持ちいいですか?

大西:最高ですね。

てらうち:俺は良かったって安心します。

大西:全然良くない日もむっちゃいい日もあるんで、やってて全然飽きないです。

ダークな部分をさらけ出すようになって、周りの芸人やお客さんに受け入れてもらえるようになりました。これからも自分に正直な生き方をしたい。
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Profile

黒帯

共に大阪・東大阪市出身、高校の柔道部で出会い結成した同級生コンビ。松竹芸能の養成所を経て活動するも2014年に退所し、翌2015年にオーディションライブに合格して吉本興業に所属。大阪NSC 32期と同期扱い。昨年、なんばグランド花月とルミネtheよしもとで開催した単独ライブ「黒帯って何がおもろいの?」のチケットは即完売。2020年にスタートしたYouTube「黒帯会議」も好評。今年は初となる全国ツアーを実施するなど、ますます勢いに乗っている。

YouTube:@kuroobikaigi

Profile

大西 進

1988年生まれ、ボケ担当。さらさらの黒髪ヘアが特徴。これと決めたらとことん突き詰める性格で、現在は古着にハマっており、ビンテージのスウェットを30枚ほど所有する。36歳になった今でも、母親と一緒に実家暮らしを続けているそう。

Profile

てらうち

1987年生まれ、ツッコミ担当。スーツにピアスとシルバーアクセを身に付けて舞台に立っている。無類の女性好きだが、年始にYouTube内で「女性断ち」を公言していた。爬虫類が好きでトカゲの多田さんを飼っている。

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