歌舞伎界のプリンスが、上方の愛すべきダメ男に挑戦!「三月花形歌舞伎」に出演する尾上右近さんに聞く、歌舞伎の魅力と味わい方。
『鏡獅子』が歌舞伎の演目というのもよくわかってなくて、仮面ライダーみたいな感じで、鏡獅子!あれになりたい!って。
右近さんが歌舞伎俳優を志したのは、小さい頃に曾祖父の六世尾上菊五郎さんの『鏡獅子』の映像をご覧になったことがきっかけとお聞きしています。どんなところに一番心惹かれたか、覚えていらっしゃいますか?
前半は女方でやわらかくしなやかに踊っていて、それが後半は獅子という性別どころか人間をも超えた聖獣に変貌して出てくる、それを一人の俳優が演じていて、しかもそれが自分のひいおじいちゃんだというのは、驚きでもあり不思議でもありました。それと同時に、毛を振ったりとかそういうアクション一つひとつに迫力や気迫、生命の光みたいなものを感じましたね、感性豊かな3歳の右近少年は(笑)
わずか3歳で!それはもうすごい感性ですね。
釘付けとはまさにこのことで。それぐらい変わった子でした。『鏡獅子』が歌舞伎の演目というのもよくわかってなくて、仮面ライダーみたいな感じで、鏡獅子!あれになりたい!って。鏡獅子になるには踊りのお稽古がいるって言われて踊りを始めて、でもあなたのお父さんは歌を歌う仕事だからって言われて清元のお稽古も始めました。
清元のお家のお生まれですが、歌舞伎俳優になりたいというお気持ちが幼い頃からお有りだったんですね。
それは僕が決めたと言うより、流れがそうさせたっていうのが大きいんですけど。踊りと清元のお稽古を一生懸命やっていたら、7歳のときに舞台に出ないかってお誘いをいただいたんです。それが初舞台なんですが、お稽古とは違って、本番でお客さんの前に立って、自分の憧れのプロの方々と歌舞伎の公演に出られるっていうのは、もう本当に嬉しかったわけです。毎日が宝物で、かけがえのない日々で、マリオのスター状態ぐらいキラキラした時間を過ごさせてもらって。それを知ってしまうと、役者をやりたいっていう気持ちに大きく傾きましたね。
7歳にして、歌舞伎の舞台に立つ喜びを知ってしまったと。
小さい頃は、役者も清元も、どちらもできると思っていたんです。どちらか選ぶというルールを知らなくて。でもだんだん大きくなるにつれて、僕の歌舞伎好きを面白がっていたまわりの大人たちの顔色が曇ってくるんです(笑)。清元の跡取りはどうするんだ?って。僕としたら、そんな後出しじゃんけんある!?って。
でも、どちらしか選べないと知って、右近さんは歌舞伎俳優の道を選ばれた?
そうですね、家業の清元ではなく、やっぱり役者をやりたいってことで、12歳で二代目尾上右近を襲名させてもらいました。そのときに、清元のプレイヤーとしての選択肢はある意味なくなって。でも子どもですから血縁者として、役者の仕事を通じて家業にもなにか寄与していくことを考えようと思いました。
12歳でその決断するっていうのは、ちょっと想像もつかないというか、すごいことだと思います。
でも、それしか選択肢がなかったですからね。そこに怖気づくより、前のめりに役者やりたいっていう気持ちでした。子役の頃は本名の岡村研佑でやっていて、どこに所属しているわけでもないから、フリーランスなんです。歌舞伎の家の生まれなら、何歳になったらこの役を、みたいなのがあるんですけど、そうじゃない自分には、どこで出るタイミングがあるんだろうって不安だったんです。みんなは回数券を持っているのに、僕だけ毎回切符を買っているみたいな。だから千穐楽はすごく寂しかったです、当時フリーランス状態の僕は次はいつ舞台に出られるかわからないので。大人たちが来月の公演の話をしているのを聞いて、いいなあ大人たちはって思ってました。でもまさに今の僕は、そうなってるんですけどね。先月が『曽根崎心中』で、今月は『河庄』ですから。
次はいつ出られるか不安だった当時の右近さんからすると、今はすごく幸せな状況ですよね。
そうですね、思いますよ。初舞台は7歳ですけど、4~5歳の頃に新橋演舞場で尾上紫さんが『道成寺』を踊られたとき、お坊さんの役で出させてもらったことがあったんです。まだ小さかったですが三味線の音や白粉の匂いがすごく好きで魅力を感じていたので、自分が歌舞伎座で『道成寺』を踊ることが決まったときは、当時の自分に報告したい気持ちになりましたね。「31歳で、歌舞伎座で『道成寺』踊っちゃってるよ、夢はかなってるよ」って。
しかも、今は清元の名跡である七代目清元栄寿太夫も継いでいらっしゃいますよね。
祖父の追善のタイミングで名前を継がないかという話になって。こういうのはすごく慎重に進めなくちゃいけないし、いろいろ先輩にも相談しました。役者は絶対やめたくないので、そのうえで清元の名前を継がせてもらえるんだったらということをお伝えして、まわりの方にもとりあえずやってみたらどうだと言っていただいたので。僕はちょっと特殊な環境で育ちましたが、でも選択肢や道筋はいろいろあるのがいいのかなと思います。 ただ、清元は家業なので、責任はすごく大きいですね。自分の意思以上に関わる人が多くて、その方たちの人生を預かっているところもありますから。
二代目 尾上 右近(おのえ うこん)
1992年5月28日生まれ。清元宗家七代目 清元延寿太夫の次男。曾祖父は六世尾上菊五郎、母方の祖父には俳優 鶴田浩二。7歳で歌舞伎座『舞鶴雪月花』の松虫で本名の岡村研佑で初舞台。12歳で新橋演舞場『人情噺文七元結』の長兵衛娘お久役ほかで、二代目尾上右近を襲名。2018年1月七代目清元栄寿太夫を襲名。