何もない人間でも、ガマンして努力してがんばれば、舞台に立てる。会社員から喜劇役者になった曽我廼家桃太郎さんが描く、松竹新喜劇の未来。
大阪で新喜劇といえば、松竹新喜劇と吉本新喜劇。吉本新喜劇が多彩なギャグを散りばめたドタバタコント風なのに対し、松竹新喜劇は話の筋で笑わせたり、時には泣かせたり、物語性のある人情喜劇が持ち味です。そんな松竹新喜劇は、2023年に長年代表を務めた渋谷天外さんが勇退し、若手5名を中心とした新体制に移行。2024年1月2日からは、新体制になって初の京都・南座公演「初笑い! 松竹新喜劇 新春お年玉公演」が始まります。今回は松竹新喜劇の未来を担う若手の中から、曽我廼家桃太郎さんにインタビュー! 意外すぎる前職(元サラリーマン)から公演への意気込み、喜劇役者としての矜持など、あれこれお話を伺いました。
最初は、芸人とかになりたかったんです。でも芸人さんって自分でネタ考えて、常に面白いことを期待されて生きていくって、めっちゃしんどいんじゃないかなって思ったんです。
まずは、桃太郎さんが喜劇役者になったきっかけを教えていただけますでしょうか。
岡山の出身なんですけど、岡山も吉本新喜劇が放送されててよく見てたんです。だから、喜劇に興味を持ったきっかけはやっぱり吉本新喜劇ですかね。
小学生の頃からお調子者で、クラスのお楽しみ会とかでも、みんなの前でワーワーやってたんです。それを見てクラスの人たちが笑ってくれる、遊んでくれるのがしあわせやったんですよね。人前で何かするのがおもろいなって思って、ずっとその流れで。
人を笑わせるっていいなと、子供心に思われたんですね。
だから最初は、芸人とかになりたかったんです。でも芸人さんって、自分でネタ考えて、常に面白いことを期待されて生きていくって、めっちゃしんどいんじゃないかなって思ったんです。
そう言われるとたしかに。
中高生の頃もずっとこういう世界には入りたかったんですけど、どうやってなろうかと考えてた時に、映画とかテレビを見て、自分が動いて喋ることで人の心が動くっていうことに魅力を感じて。じゃあ、役者のほうに進もうかなと。
芸人ではなく、役者を目指すことにされたんですね。
けど、就職して初めてもらったお給料で親に何かを買うとか、そういう普通の流れもやりたかったんです。だから一度働いて、世の中のことをわかった上でこの世界に飛び込もうと思って、3年間だけはきっちり働きました。
高校を卒業してすぐお勤めをされたんですか?
岡山の高校を卒業して、都会に出てみたかったんで近場の大阪に。専門学校に2年いきました。子供の頃から生き物が好きやったんで、生き物とか地球の環境とか、生物系の専門学校でしたね。
生物系の専門学校というのは、生き物のお世話について学んだり、ですか?
そうですね、お世話というか、地球の環境を考える専門学校でした。かなり壮大なテーマですね(笑)
その壮大なテーマの専門学校を卒業されて、どんなお仕事をされてたんですか?
害虫駆除の会社です。
生き物が好きなのに、駆除しちゃうんですか!?
好きすぎて、愛の行き着く先がそこやった(笑)。いや実際、生き物を仕事にするのは難しくて。水族館の職員さんとか、頭のいい人なら生物の研究職とかに就いたりすると思うんですけど、なかなかそっちのほうには行けなくて。
ただね、子供の頃に、将来何になりたいかを書く時に、芸人とかは恥ずかしくて書けなくて「害虫駆除の社長」って書いてたんですよ。
えー!まさかですね。
それもあったんで、これは一回、夢を叶えとこかなと思って。それで、白アリを駆除したり、ムカデやらゴキブリやらを駆除してたんですけど、楽しいんですね。
楽しいんですか!?
最初はびっくりしましたけどね。人の家の床下に入って、チェックするんです。慣れない頃は大変でしたけど、慣れたらもう床下グングン進んで、ガンガン消毒してました。虫も好きやったから、大体の特性とかもわかるじゃないですか。だから自分としては、天職やなとそのとき思いましたもんね。
でも、その天職をお辞めになられるんですよね?
はい。心のなかにずっとあったんです、役者の道に行きたいっていうのは。でもすぐ辞めるのは嫌だったんで、丸3年勤めて。
もう害虫駆除の仕事をやりきって、次の夢を叶えようと。
そうですね、やっとそっちに行ける!っていう感じで。
曽我廼家桃太郎(そがのや・ももたろう)
岡山県出身。松竹芸能養成所にて演劇を勉強したのち、劇団代表であった三代目渋谷天外の付き人となる。その後2017年に松竹新喜劇に入団。竹本真之として活動後、2021年大阪松竹座「松竹新喜劇 錦秋公演」にて曽我廼家桃太郎に改名。松竹新喜劇以外にも、2023年に南座をはじめ全国三都市で上演された舞台『歌うシャイロック』では歌やダンスにも挑戦し、芸の幅を広げている。