大阪のインディーズお笑いライブが観てみたい!大阪・ミナミで『舞台袖』&『楽屋A』を営む加藤進之介さんにその実態を聞きました。

“笑いの本場”と称されることも多い大阪ですが、吉本興業の『なんばグランド花月』や『よしもと漫才劇場』、松竹芸能の『心斎橋角座』以外にも、多くの芸人さんがしのぎを削り合っている劇場があることをご存知ですか?今回紹介するのは、大阪・ミナミにて『舞台袖』、『楽屋A』というお笑いライブに特化した劇場を運営している加藤進之介さん。フリー、社会人、学生……など、さまざまな芸人さんが垣根を超えてライブを行っています。一度は芸人を志すもその道に見切りをつけ、彼らが“売れる”ことを後押しする立場に回った加藤さんに、『舞台袖』&『楽屋A』の実態と大阪のインディーズライブ事情について聞きました。昨今のライブシーンを見つめる冷静な視点と芸人さんを思いやる温かさ、そして大阪のお笑いをもっと盛り上げたいという熱い気持ちが溢れたインタビュー。どちらも1人で入るには緊張するかもですが、勇気を出して扉を開ければ楽しい時間が待っています!少しでも興味が湧いた人は、ぜひ劇場に足を運んでみてください!!

M-1の敗者復活戦を毎年正座で観ていた少年時代。劇場運営のノウハウと人脈を最速で会得して、芸人さんがタダで飲めるライブハウス兼バー『舞台袖』を始めました。

もともと加藤さん自身も芸人を志していたそうですね。

大学4年生の頃、休学して吉本の養成所に入りました。チェリー大作戦の鎌田や生ファラオ、9番街レトロの京極がいるNSC37期になります。在学中は、現在たくろうというコンビで活動している赤木と組んでいました。

たくろうさんよく劇場でもお見かけします。加藤さんはもともとお笑いが好きだったんですか?

M-1グランプリはスタートした当初からめっちゃ観てました。その頃は敗者復活戦の出場コンビが60組くらいいて、ケーブルテレビで昼から5時間くらいぶっ続けでやってたんです。それを毎年正座で観ていました。

大学に行きながら並行してNSCに通う人も多いと聞きますが、加藤さんは休学を選んだんですね。

大学に通いながらでも全然大丈夫なんですが、国公立だったので休学中は学費もかからないですし、僕としてはNSCに入ることを親に承諾してもらうために休学しました。毎年4月から翌年の3月までの1年間がNSCの在学期間で、僕が入った次の年の就活の解禁日が3月だったんです。それならみっちりNSCに行っても、海外に留学していた人と横並びで就活できるっていうのを親への交渉材料にできたらいいなと。

実際、NSCに通いたいと言った時の反応はどうでした?

めちゃくちゃ反対されました。学生時代は実家に住んでいて、おとんとおかんと一緒に飯を食ってる時に土下座して、「芸人になりたいからNSCに通わせてほしい」と伝えたんです。そしたらおかんに「今なんかおもろいことやってみいや」って言われて、「あんたのことおもろいと思ったこと一回もないし、なんの芸もないのに芸人になりたいなんて言うヤツなんて応援できへん。出て行ってくれ」と。親との関係性はかなり悪くなっちゃいました。

芸人になることを周りに反対されていたんですね。

そうなんです。えっと……、これ激キモやから正直あんまり言いたくないんですけど、NSCには最後に卒業公演があって、そこで1位になると主席っていう称号がもらえるんです。まぁ主席になったからといって何かあるわけではないんですが、“その期で一番おもしろい”っていうお墨付きをもらえるような感じですかね。当時2年くらい付き合ってた彼女がいたんですが、芸人になるなら別れましょうって言われていて。阪大に行ってたから学歴も割としっかりあったんです。大袈裟やけど、家族と彼女と学歴を捨ててまでやるんだったら絶対売れたいし、NSCごときで1位にもなれんヤツは芸人やらん方がいいと思っちゃって。今考えるとめっちゃ間違えてたし、気にせず好きなことをやれば良かったんですけど、当時の僕にとってはその3つがすべてやったんです。卒業公演は結構運ゲーみたいなところもあるんですが、主席になれるくらい運が向いてたらやる、向いてなかったら辞めるっていうのを決めていて。4位という結果やったので辞めることにしました。

それくらい青かった、ということですね。その後は就職されたんですか?

新卒で就職して、一般企業でサラリーマンをして今って感じです。

サラリーマンを辞めて今の活動を始めたきっかけは?

サラリーマンをやってたんですが全然おもしろくなくて、2年目の時にお笑いライブができる劇場を作ろうと思ったんです。やけどいきなり始めるのは無理やから、勉強と人脈作りのためにアルバイトを3つ掛け持ちしていました。インディーズのハコってドリンク制のところが多いから、酒のことを学べるようにと味園ビルのバーで働いて。あとは、アルバイトでもイベントのブッキングができる宗右衛門町のサブカルトークハウス『ロフトプラスワン WEST』。同期のコネで吉本の劇場スタッフもやらせてもらいました。全部ギュッと詰め込んだら自分でもできへんかなって思って、昼は普通に仕事して、夜はバーテン、土日はライブや劇場のスタッフって感じの生活を2年ほど続けました。

めっちゃキツそう……。

そうですね。しんどすぎて昼を切るっていう選択をしました。まだハコも見つかってない状態やったんですけど、ほんまにしんどすぎたので。有休消化中のタイミングで運良く箱が見つかって、2019年大阪・日本橋(現在はアメリカ村に移転)に『舞台袖』をオープンしました。

ライブハウスってすぐに軌道に乗るものなんですか?

最初に「芸人がタダで飲めるバーをやります!」っていうTwitterを始めて、それが結構バズってくれたので、やりやすかったっていうのもあります。最初は、築80年くらいの古民家を改装してこぢんまりした空間でやっていました。

芸人さんは初期の頃からたくさん来てくれました?

ありがたいことにめっちゃ来てくれました。「タダやと逆に行きづらいからお金はもらってほしい」と知り合いの芸人に言われたので、結果的にタダにはならなかったんですけどね。折衷案として「なんぼでもいいです」っていう店にしました。芸人さんであればなんぼ飲んでも、誰がなんぼ払ってもいいっていうお店。今もその制度は継続しているのと、ライブをしてもらった芸人の打ち上げであれば何人いようがタダにしています。

めっちゃ太っ腹。芸人さんに優しいお店ですね。

そのおかげか、始めて1年くらいは毎日芸人が飲みに来てくれてました。業界のスタッフとして下積みするとなると途方もなく時間がかかるけど、僕は下積みするの嫌やなぁと思ってたんで、芸人と知り合う最速の方法を考えて。それが上手くいった感じです。

アルバイトをする中で、ライブの打ち方や集客の仕方は学べましたか?

どちらかというと、そこで得られたのはノウハウより人脈の方がでかいですね。吉本の劇場スタッフをしていると、芸人さんはもちろんマネージャーさんとも知り合えるし、仲良くなった芸人さんに「こんなことやろうと思ってるんです」って伝えることもできました。『ロフトプラスワン WEST』では、ブレイク寸前だったかが屋さんやラランドさんの初大阪ライブも企画できて。普通にやってたら到底呼べないメンツですし、ロフトさんの名前を借りて一緒にライブをさせてもらえたのはすごく大きかったです。

フリーや兼業芸人さんの本拠地を作りたくて『楽屋A』をスタート。“がんばる意味”を見出してもらえるよう、さまざまな形でサポートしています。
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Profile

加藤 進之介

1992年生まれ、大阪府出身。大学4回生の時に37期生としてNSC大阪校に入り、一度は芸人を志すも一般企業に就職。3年ほど働いたのち、アルバイトで芸人の人脈と企画・運営のノウハウを身につけて2019年に『舞台袖』をスタート。22年にはライブに特化した『楽屋A』をスタートし、日々たくさんのインディーズライブを行なっている。

Shop Data

楽屋A

住所: 大阪市西区新町1-6-23 四ツ橋大川ビル B1F
電話: 080-6176-0467
営業時間: 公演に準ずる
休日: 不定休

Youtube:@gakuya_a
ライブ予約:https://tiget.net/users/441684

Shop Data

舞台袖

住所: 大阪市中央区西心斎橋2-14-16 D.T.2ビル 3F
電話: 080-6176-0467
営業時間: 公演に準ずる
休日: 不定休

Youtube:@gakuya_a
ライブ予約:https://tiget.net/users/1011091

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