映画『ニワトリ☆フェニックス』のかなた狼監督に聞く、映画というひとつのジャンルを越えた人間や社会に対するメッセージ。
3人の感覚が一致していればそれでいい。それ以外になにか特別なやりとりは必要ないって思ったから。
今作は井浦さんも成田さんも、お2人ともすごく解放されているように見えましたね。
そうやと思うよ。俺も彼らにはそうあってほしいって思ってたし。でも、いざ撮影に入るとなった時は2人とも心配していたみたいやけど。
どういう心配でしょうか?
凌が「俺はまた楽人に戻れるんですかね……?」と言っていたから、俺は「戻れるかどうかとか、そんなんどうでもいいよ」って。「俺と新と凌の3人の感覚が一致していればそれでいいやん」って。撮影が始まる直前に、3人であのインパラで伊勢の町を走ったんやけど、そこではこれといった会話もなかったし、ほんまにただドライブしてただけだった。その時の時間が俺にとって、撮影前の最後のチューニングで、それ以外に何か特別なやりとりは必要ないって思ったから。凌だけじゃなく自分自身の中にも、前作の時の人格はまったく存在していなかったから。
前作の楽人が、成田さんにとってかなりの存在感だったんでしょうね。
凌も、あの楽人には本当に自分を捧げてたと思う。
凌は楽人という役に対して、「僕しかいません」「何がなんでもこの役をやります」って真っ向から来てくれて。その当時はまだ役者経験も浅かった凌が、若手の勢いできてたんやと思うけど、最初の撮影のシーンがあれ(『ニワトリ★スター』でのLiLiCoさんとの過激な性描写)で。こちらとしても、まだ経験の浅かった凌が、楽人というあのフリーキーな役を本気で演じられるという確信が欲しかった。
撮影が始まればあの世界と描写が待っているわけで、それはもちろん凌だけでなく、相手方の役者さんやスタッフも覚悟を決めてそこにいるわけやから。そこでもし、凌の心が折れてしまったら?という不安があった。作品のためでもあるし、彼が、あの役を現場で体現する為の準備として。それに対して、凌は何の動揺も見せずにそれをやり切ってくれて、「お前のことを信じられる」と伝えたよ。監督は命じるだけの権力者ではなく、最後まで役者に寄り添うものやと俺は思ってるから。
自分が正気かどうか。それは自分にもわからない。善意や正義感からくる暴力というのは、本人にはわからないものなのかもしれない。
お互いの信頼関係の確認方法が「こういうやり方だ」と一致していることに、一般的な倫理や正義感は介入できないですよね。
うん。自分が日々、目にしたり耳にする情報……、例えば戦争だったり、世の中で起こるあらゆる凄惨なニュースに対して、その時は確かに傷付いたはずなのに、その数分後にはいつも通りに家族と談笑している。そういう状況を俯瞰した時に、ふと思うんよね。「こんな俺は正気か?」って。
……今この会話をしていてふと思ったんですけど、監督みたいな価値観や感受性を持った方って、世間からしたらいわゆる“キワ者”扱いをされてしまうのかもしれない。だけどその根底にあるものって、もしかしたら一周まわって正常なのかもしれない。
SNSをはじめとしたメディアは、事実や真相に触れさせずに、表層的な部分だけで大勢をコントロールできてしまうし、それで簡単にみんな手に石を持って、それを一斉に投げてくるという状況のほうが狂ってると思う。本当のところは何も知らないまま、善か悪かのジャッジをすごく軽はずみに、集団でやってしまう。その傷は相手に永遠に残ってしまうのに。善意や正義感からくる暴力というのは、やっている本人にはわからないものかもしれないね。人間の思念っていうものは、本当に残念な方向に向かっているような気がしているし、人間のフラストレーションはどんどん増殖されていってると感じる。
疫病や紛争という、人間が脅かされる事象は、逆の意味で言うと人間が繁栄と共に大切な事をどんどん置き去りにして構築した社会に対し、立ち止まり、人間の根底を見つめ直す機会としての側面もあるんやないかな。どこに向かっているかもわからない猛スピードの特急列車から、自分ひとりの意志では降りられないような状況になっているように感じるから。「お前らいいかげんにしろよ」ってアタマを殴られてるような気がしてる。
「生き方を考え直せ」というのは、『ニワトリ☆フェニックス』のなかにあるひとつのメッセージですよね。じゃあ人間は……、社会は、これからどうやって歩んでいけばいいと思いますか?たとえ今はまだ、理想論でも。
「人間が3人寄れば諍いが起こる」といわれているくらいやから、個人だろうが国家間だろうが、暴力を完全に世界から排除するのは圧倒的な現実として俺は不可能やと思ってる。「反戦」なんて当たり前のことを、ずっと言い続けないといけない歴史を見ても。でも、そんな世界やからこそ生きてくる気遣いとか思いやりがあると思う。世界や社会を変えるよりもまず、自分のなかにある、そういう感情や感覚を大事に育てていくことじゃないかな。せめて、自分の側に居てくれる人に対してくらいは。そういう感情や行動こそ増殖させていくべきやと思うよ。腹立つことがあってもさ、もう「自分以外は全員変人やから仕方がない」くらいに思ってたほうがラクやし(笑)
相手からしたら、自分も変人でしょうし(笑)。物語のなかで、草太と楽人がやっていたあの掛け合いの真似じゃないですけど、監督にお聞きしてみたいことがあります。
うん(笑)?
監督にとって「自由とは」。
そうやな……。「やりたいことと、やるべきことのバランスによって、初めて見えてくるもの」かな。
インタビューを終えて、外で煙草を吸っている監督と雑談をしている時に、もうひとつだけ質問をしてみました。「草太と楽人みたいに、あなたは都会から逃げたくはならないのか」。監督はこう答えてくれました。「自然もいいねんけどね。何日か居ると、すごい不安になってくるねん(笑)。俺はずっと大阪の街で生まれ育ったし、俺にとっての自然はやっぱり大阪の街なんやと思う。ほら、コンクリートジャングルって言うやん(笑)」。自然とは、本人が「自然体」で居られる場所なんだとしたら、きっとそれで間違いない、と思いました。
<かなた狼さんのお気に入りのエリア>
裏なんばエリア
個人商店で言えばいろいろあるけど、個人的に思い入れが強いのは裏なんばエリア。昔から馴染みがある場所ということもあるけれど、あの独特の空気感やあそこに集まっているお店はどれも主張があるし、自分にとっては場所というよりも、もはや「概念」。
かなた狼/たなか雄一郎
大阪出身&在住。大阪は黒門市場にある異色コミュニティ『道草アパートメント』の大家であり、『ハブと拳骨』『スカタン』など、映像作家としても活動。小説家、音楽家、実業家など多彩なカルチャーシーンで活躍する。