映画『ニワトリ☆フェニックス』のかなた狼監督に聞く、映画というひとつのジャンルを越えた人間や社会に対するメッセージ。
先日公開された『ニワトリ☆フェニックス』のキャストの皆さんへのインタビューに続き、原作者であり監督のかなた狼さんのインタビューをお届けします。今作の背景にあるもの、そして、この物語に散りばめられた人間や社会に対するメッセージについてのお話は、もっとずっと深く、人生や生き方に対する警告や啓示のように展開していきました。今作は、人間の強さばかりではなく、誰にでもある弱さとも折り合いをつけて、正面から受け入れてくれるような優しさに溢れた物語です。特異でありながらも心地いい、この世界観が創られた理由を語っていただきました。
自分のなかにある熱量を、フラストレーションや怒りじゃなくもっと違う方向へ。今までとは違うやり方で点火したい。
キャストの皆さんのインタビューでもお聞きしたことですが、コロナ自粛期間中にゲリラ配信された動画『ありがとう』がなければ、監督のなかでは前作『ニワトリ★スター』で、この物語は完結してたかもしれなかったのでしょうか。
あれがきっかけで始まったことやからね。コロナ禍が始まって一度目の緊急事態宣言が発令された時、世界中が止まってしまったわけなんやけど、新(井浦)も凌(成田)も例に漏れず、俳優業がすべてストップしていた状況で。世間に顔が知られている彼らは、ずっと家の中に籠っているしかなかったんやけど、そういう状況のなかに長くいると、人間ってどんどんアイデンティティが崩れていくよね。そんな時に「こういう状況だからこそ何かしたい」と新から電話があって。普段は、いわゆる人気商売で応援を受けて輝かせてもらっている立場だから、世の中が暗く沈んでいるこんな状況にこそ、今まで受けた光を返したいって。それで、俺らが3人集まるんだったら、やっぱり「ニワトリ」になるよねって。『ありがとう』はリモートで撮り合ったものを編集して、事前になんの予告もなく、それぞれのSNSで同じ時刻に一斉アップしたんやけど、これがきっかけになって、なんとなくみんな「もう一度やるか?」というテンションになったんやろうね。
やろうね(笑)
いや、俺が「やろうぜー!!」みたいなテンションで始めたことみたいに聞いてるかも知れんけど、厳密に言うと着火したのは新やからね(笑)
そうなんですか(笑)?
2人(井浦と成田)とは「もしお前らとやるんやったら、やっぱり草太と楽人でしかないよな」っていう話はずっとしてたよ。でも前作を終えてから、これをもう一度映画にするという発想がそれまで俺の中にはなかったから、予想せず「やりますか!」みたいなテンションに乗ることになったっていうか。だから俺、この件に関しては新のことを「放火魔」って呼んでるからね(笑)
(笑)。でも結果的には、コロナという一見ネガティブなきっかけからポジティブな展開に繋がりましたよね。
結果的にはそうやね。
前作『ニワトリ★スター』での監督のインタビューのことをよく覚えているんですけど、前作は物語自体もすごく人間の愛憎を感じるものでしたし、監督自身にも、怒りと愛とが複雑に混在していました。でも今作に関してはそれが一切なく、今作について監督が言っていた「怒りの方向が変わったんだ」と言っていた意味がわかりました。
コロナの自粛期間というものが自分にとってどういうものだったかっていうと、普段から屋内に籠って書き物や音楽作ったりが日常やったから、個人的な暮らしそのものについてはほとんど変化はなかったんよ。ただ、今まで自分が歩んできた道とか、一緒に歩んできてくれた仲間についてだったり、人生についての再確認がゆっくり出来た時間でもあったんよね。それで「ああ、これで良かったんや」って、自分自身に腑に落ちることができたし、自分の感覚をもう一度信頼できるようになったっていうか。
考察がより深められた時間だったんですね。
うん。それに「人間ってやっぱりこうなるねんな」って思った。目に見えないウイルスが及ぼす影響が……、それは経済的なことだけじゃなく、むしろ精神的な方にこそ、人間の無力さを思い知らされたうえで、俺はずっと「人間の生き方を考え直さないといけない時期がきたんじゃないか」と言ってて。これまで当たり前としていたことすべてについても、それは真実なのかどうかも考えるべきだと思ったし、自分のなかにあった「怒り」っていう感情の原点が、以前はそうやって“当たり前に稼働していた”世の中だったからこそ湧き出てくるものだったと思う。だったら俺は、そういう熱量をフラストレーションとか怒りじゃなく、もっと違う方向に、今までとは違うやり方で点火したいって思って。『ニワトリ★スター』は、いわば俺のゲロみたいなものやったから(笑)。自分の怒りをそのままぶちまけたっていうか。
その“違うやり方”が、今作のあの世界観に繋がっていったんですね。
そうやね。『ありがとう』を撮ったことで、よりそういう思いが固まったっていうか。これは「ニワトリ」としての続きのように見えて、前作とはまったく違う物語になっているし、「映画やからエエやん」「映画やから何でもアリやろ」って、そういう振り切り方をした(笑)。もしかすると、今作をいわゆる続編として考えている人を混乱させてしまうかも知れないけどね。自分が小説から映画まで手掛けたこの世界観を、また自分の手でぶっ壊したっていうか。それもひとつのエネルギーの発散方法だったのかも。
ちょっとネタばれになるかも知れませんが、今作のエンドロールの途中にある、あの短いシーンが、私にとってはこの映画のもっとも重要なメッセージだと思うんです。それこそ、怒りのエネルギーの向かうべき、正しい方向として。
うん、そうやね。ある意味登場人物には全員「人生をやり直してもらった」みたいな。「みなさん、生き方を改めてくださいね」って(笑)。人間にも社会にも、相変わらず憎悪とか嫌悪を抱くようないろんなことが存在してるけどさ、怒りのエネルギーをそのままわかりやすい憎悪として表現するのか、優しさをもってもっと明るい方向に向かって動かすのかっていう。
「自分たちは一体いつまでこんなことをやっているんだ?」っていう気付きを促される。草太と楽人が探し求めて行くフェニックスは、監督は何の象徴として置いていたのでしょうか。
フェニックスそのものはね、それが本当に存在しているのかいないのか、2人が見つけられるのかどうかなんてどうでも良かったんやと思う。2人が一緒に持つことのできるひとつの目的としてあっただけで。今回の物語の軸には「何かから少しだけ逃げたかった」っていうキーワードがあるんやけど、彼らが追い求めているフェニックスっていうのは、そのまま彼らの人生だったっていうことやと思う。今作にはもうひとつ「終わっていたはずのものが、終わっていなかった」っていう土台があるんやけど、これって人の人生にも当てはまるのかもと思って。それぞれの人生が世代ごとに受け継がれて、継続されていく。そうやって終わることなく続いていくことが、フェニックス(不死鳥)という象徴に繋がっていく気がして。
確かに。今回のロケ地は伊勢志摩ですが、土地に何かご縁があったんでしょうか?
うちの事務所で毎年1月9日に必ずお伊勢さん詣りに行くんやけど、5、6年前かな?今回の物語に登場する車(シボレー・インパラ)の所有者である友人がやっている飲食店に偶然行く機会があって。それを機に毎年、お詣りの際に彼のお店に立ち寄っていて。今作の制作に入る時に、伊勢志摩という土地の景色や空気感がロケ地のイメ−ジとして真っ先に挙がってたんやけど、コロナ禍でしかも大阪や東京から大人数が来るっていうことが果たして受け入れてもらえるのかっていうことが一番の問題で。一人でも反対があったらいけないし、撮影には行政にも協力を要請しないといけないし。そんななか、その飲食店のオーナーである友人から現地のフィルムコミッションの方たちに繋げてもらえて、「蔓延防止期間を避けていただき、感染対策をしていただければ」と快諾していただけて。コロナ禍で時間もあまりなかった状況にも関わらず、すぐに体制を整えていただけたのが本当にありがたかった。驚くくらいスムーズに話が進んで、すごく縁を感じたことでもあったね。自分のなかでは、伊勢志摩以外のロケ地って正直考えてなかったから。
自然のなかで、というシチュエーションのイメ−ジが最初からあったんですか?
前作の『ニワトリ★スター』は都会という世界で起こった出来事で、すごく鬱屈とした空気感を纏っているものだったんやけど、今作はロードムービーやから、やっぱり自然の中が一番似合うって思ってね。
かなた狼/たなか雄一郎
大阪出身&在住。大阪は黒門市場にある異色コミュニティ『道草アパートメント』の大家であり、『ハブと拳骨』『スカタン』など、映像作家としても活動。小説家、音楽家、実業家など多彩なカルチャーシーンで活躍する。