箭内道彦さんと小杉幸一さんに聞く「大阪ってどんな街ですか?」
今月オープンする心斎橋PARCOの広告ビジュアルを手掛けた、クリエイティブディレクターの箭内道彦さんとアートディレクターの小杉幸一さん。「広告とは応援すること」と常々語る箭内さんと、「息をするようにデザインをする(箭内さん評)」小杉さんは、卒業と入社がちょうどすれ違っているものの、某広告代理店の先輩後輩にあたります。気心の知れた二人の広告ディレクターに聞いた「大阪ってどんな街ですか?」。「大阪出身じゃない僕たちが、大阪をどう思うかなんて、大阪の人は聞きたくもないんじゃないかなと思います(笑)」と話す二人に、(無理を言って)大阪の街、人、文化について語り合ってもらいました。
“大阪”ってどんな街だと思いますか?
お二人は大阪にどんな関わりがありますか?
小杉幸一:もちろん何度か訪れたことはあるし親戚も住んでいるのですが、僕はあまり大阪には馴染みがなくて、今回、心斎橋PARCOのオープン広告に携わらせていただいて、初めて大阪と深く関わることになりました。
箭内道彦:大阪はいろいろと仕事で関わりのある街ですが、それよりも子供の頃からずっと阪神タイガースのファンで。小学4年生のとき、読売ジャイアンツが阪神タイガースに秋のデイゲームで9対0で勝って、V9を達成しました。そのときに、ひとつのチームが9年も連続して優勝するなんて、強烈に不健全だと感じたんです。その日からずっと阪神ファンで、最近ではタイガースの仕事をやらせていただいて、当時の自分に見せたいなと思ってるんでけど。そんなこともあって、僕にとって、大阪と聞くと真っ先にタイガースが思い浮かびます。
特に子供だったら、強い者にこそ魅力を感じていてもおかしくないですよね。
箭内:思い返すと、いつも僕は“ナンバー1を倒すナンバー2”という存在が好きなんですね。ナンバー1を倒すためには、真似ではなくて独自の道を行かざるを得ないし、だからこそナンバー2でいられるものだと思います。ずっと巨人を倒す、挑戦する存在として、タイガースを応援してきたので。こんなことを言うと大阪の人には怒られちゃうかもしれないけど、大阪という街そのものがタイガースと重なる部分があって、東に対するカウンターとして存在する街。カッコつけてる奴を否定してくれたり、いい気になってる奴を懲らしめたりするような、胸のすく存在ですね。
逆に小杉さんはあまり馴染みがないとのことですが、大阪の街にどんな印象を持っていますか?
小杉:大阪出身の友達は周りにたくさんいるので、彼らのことを思い出したり、「商業の街」と呼ばれていることを考えたりすると、日本のどの地域よりもコミュニケーションに長けてる人が集まっているの街なのかな、と思ったりします。語尾の「知らんけど」ってよく聞くんですが、考えると、それで場が和んだりちょっと客観的な目線に戻れたりするんですよね。
箭内:大阪という街が背負ってしまっているいろいろなイメージ、例えば東のカウンターやコテコテ、あるいはコミュニケーション能力の高さとか、これらは決して画一的なものじゃないですよね。シンプルな黒のTシャツを着ている人も、話し下手な人もたくさんいる。大阪の人は、生まれたときからそういう先入観を背負って生きているところがあって、でもその外からの思い込みがただ嫌なわけじゃなくて、一方でそういう文化を大切にしているし誇りを持っている部分もある。いわゆる僕たちのイメージに括れない大阪というものがちゃんとあるんだぞ、ということを心のどこかに持っている人が多いように見えます。 と、散々、大阪についてあれこれ話してるけど、そもそも出身じゃない二人が大阪をどう思うかなんて、大阪の人は聞きたくもないんじゃないかなと思います(笑)。でも、そんなふうに思わせる強さを感じてしまうんですよね。「わてらどう思われてるんやろ」なんていう発想がまったくないカッコよさがある。
アートディレクターが考える“大阪”のビジュアルイメージは?
大阪の街を、ビジュアルで表現するとどんなふうになりますか?
小杉:今日、箭内さんが着ている服みたいに、大阪には “調和しない美学”とも呼べるような、互いがぶつかり合ってエネルギーを発している印象があります。色も形も違う、個性と個性がぶつかり合っているイメージですね。大阪に馴染みの薄い人間が勝手に思ってることですが、「自分を見てくれ!」というコミュニケーション意識が強いような気がしていて。それが個々の強さや周りとの差異につながるし、バラバラなんだけど全体で見るとどこかバランスが取れていたりする。編集能力に長けた街であり文化。あれもこれも取り込んで、すべて自分のものにしてしまうような力を感じます。
心斎橋PARCOのオープン広告をつくるにあたって、そういう大阪の街独特の文化は意識しましたか?
小杉:箭内さんの話にも通じますが、先入観で決めつけちゃうとつまらない予定調和が生まれてしまいそうだったので、むしろそこは視野を広げて考えて、一切意識しませんでした。
箭内:広告でも実際のお店でも、「大阪印」を外からつくるんじゃなくて、「2020年印」というか、もっとフラットな考えを持った方が、人間と人間のコミュニケーションにつながると思うし、パルコらしさというのはそこにあるんじゃないですかね。 だから、パルコが東京から何を持っていって、「大阪」というフィルターを通すと、どんな反応があるのか、とても面白いし、 それがまた東京にフィードバックされたときに、地域を超えた本当の“現在”の姿、ローカルを超えたワールドワイドというものに結実していくんだと思います。東京があるから大阪があるし、大阪があるから東京がある。そんなことを言うと東北人が何を言ってるんだと、両方に叱られちゃいそうですけど(笑)。
お二人に聞いた「もし“大阪”を広告するとしたら?」
「大阪の魅力を伝える広告を」という依頼が来たら、どんな広告、ビジュアルをつくりますか?
小杉:さっきの話と被っちゃうんですけど、「まとめない」表現にすると思います。いろいろな個性がぶつかり合っているということを肯定したうえで、何ができるか。変に編集したり括ったりするのではなくて、今あるそのものをどう伝えていくかということを考えたいですね。今、箭内さんのジャケットを見ながら、先日、インタビュー記事でコム デ ギャルソンの川久保玲さんが「不協和音がエネルギーを生む」と語っていたことを思い出しました。もうこれで完成している気がするし、大阪の地ほど「不協和音」を体現している土地はないんじゃないかなと思います。
箭内:「先入観や既成概念に捉われた大阪」を改めて味わえるのも大阪、そうじゃない大阪を発見できるのも大阪。みんなが思ってる通りの大阪があるぞ、ということだったり、みんなが思っている大阪じゃない大阪がきっとあるぞ、ということだったり。それは実際に見て体験しないことには、決してわからないと思うんです。だから、大阪に行きましょうよって、そういう広告になると思います。
箭内さんは地元・福島を応援するプロジェクトを長年続けてらっしゃいますが、土地とそこに根付く文化は、どうつながっていると思いますか?
箭内:いつも「人が名産品」と言ってるんですが、食べ物や風景、歴史だけじゃなくて、文化はやっぱり今そこで暮らしている人がつくっているんだと思います。外に出て人と人が出会って、さっきの小杉くんの話で言えば、そこに「不協和音」ができてエネルギーが生まれる。だから不要不急の外出自粛とか、人と人との触れ合いが制限されているコロナ禍では、なかなか文化は生まれにくいんじゃないかと思います。ただ、文化というものを上手に生んだり育てたり壊したりし続けてきたのが大阪で、人づくり街づくり、文化づくりの大先輩だと思いますね。自然発生的に生まれたというものだけじゃなくて、すごく自覚的に文化をつくろうとしてきた街なんじゃないかなと思います。
箭内道彦
タワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」など、数々の話題の広告をディレクション。「SPECIAL IN YOU.」、「Last Dance_」、「50周年のキービジュアル・記念ムービー」など、パルコの宣伝クリエイティブを長く手がけている。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。
小杉幸一
1980年神奈川生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科。2019年株式会社博報堂を経て、2019年株式会社「onehappy」を設立。企業、商品のブランディングのために、デザイン思考をベースに、クリエイティブディレクション、アートディレクションを行う。CIデザイン、VIデザイン、広告デザイン、空間デザイン、プロダクトデザイン、エディトリアルデザイン、パッケージデザイン、ウェブデザインなど。