バンドマンで、教育者で、社会活動家で……いくつもの顔を持つ吉田田タカシさんの根底にある「憤り」とは。


結成25年にたどり着くバンドって、ほんの数%だと思うんですよ。だからほんま奇跡やなって、四半世紀も楽しく続けられて。

地元にいて息苦しさを感じていた時代に、ご自身がアートや音楽に携わることによって、解放されたりということはありましたか?

自分はこういうところに来るべき人間やったんやなっていうのは思いましたね。高3から大学入るくらいの時に、全部一致してきて。好きだった音楽とかファッションとか、ダダイズムとかモッズカルチャーとか、やりたかったデザインとかアートとかが、全部まとまってひとつに集約されていく感じ。その時のうれしい気持ちを覚えてるもんね。THE BOOMとかLÄ-PPISCHとかJITTERIN’JINNとか、当時僕が好きだと思ってた音楽が全部SKAをベースにしてて、「これSKAっていうの?!」みたいな。

自分の好きなものや興味のあることが実は繋がっていて、これもこっちだったんだ!とうれしくなる感覚は、すごくわかる気がします。

THE SPECIALSを先に知ってしまって、MADNESSとかもっとマニアックなSKAを漁りまくってて、途中からTHE BOOMとかLÄ-PPISCHもSKAだと知って、全部がもうハマっていく感じで。「じゃ、MR.BIGも?あ、それは違うんや」っていうのも時々あったけど(笑)。でもそうやって好きなもの全部がまとまってきて、めちゃくちゃ嬉しかった。奇跡やん!って。それで、絶対SKAやらなあかんし、アートもやらなあかんって思って。

そんなルーツだったんですね。DOBERMANは歌詞も独特の世界観で詩的な曲も多くて、日本の文化とか文学にも影響を受けてたりするのかなと思ったんですけど、そのあたりは?

最初は2TONEとかNEOSKAに憧れてたから英語の歌詞を書いたりしたけど、途中から、ジャンルとかはメディアが決めることやから、僕らは自分らの表現をやればいいんやというのがわかって。SKAはルーツとしてあるけど、好きな表現をやっていいよなって。
歌詞は、僕ずっと詩が好きで谷川俊太郎とかを読んでて、以前から書いてたんですよ。交換日記みたいに男5人で詩を書いて回したりして……。めちゃ怖いでしょ(笑)。これあんまり言いたくなかった(笑)。でも、好きでずっとやってたんよね。メンバーとも一緒にそういうことをやってたから、やっぱり日本語の詩が書きたいし、書いてもいいよなって。

僕もすごいSKAが好きなんですけど、当時DOBERMANの日本語歌詞を聴いた時けっこう衝撃的でした。

どうしても性分が、誰かが作ったものをなぞるのは楽しくない、自分が発明するから興奮するみたいなところがあって。歌詞も例えば花がきれいとか、もうみんな言ってるし知ってるし。みんながきれいと思ってないものもきれいだよっていうことが言いたくて、でもそれを表現するだけの技術がないからうまくいかなかったりとか。

言葉は難しくて、時に下品なアートやなと思って。言葉は全部、意味がついてくるんで。僕が歌詞をのせた瞬間に、みんなのイメージを限定してしまうから。僕が宇宙と言ったら宇宙、海と言ったら海。それってすごく下品というか嫌だなと思って、意味をなくしたいと思って。意味がつながらない歌詞を書いたりしてたらお客さんがどんどん理解できなくなっていって、いろんな人に「こんなことやってたら永久に売れへんで」って言われたりね。

売れないと言われつつ、国内のフェスにも出演されてますし、海外にもどんどん出て行っておられる印象があるんですけど。

それこそ、THE SPECIALSのカバーしようってなったことがあったんですけど、僕それ嫌で。もし奇跡が起きてTHE SPECIALSと一緒にやるってなった時に、カバーしてるって恥ずかしいから。いつか一緒にやれる日が来たらすごいなと思ってたら、それが数年後、実現するんですよ。THE SPECIALSと一緒にジャパンツアーまわるみたいな。あの時はうれしかったな。
あとは、ヨーロッパツアーが僕らにとってはめちゃくちゃデカくて。あれに行ったことが、25年続いた理由のひとつかなと。

乱暴な聞き方になっちゃうんですけど、単純に楽しかったなと?

いや、楽しかったっていうか。まずイタリアで、フジロックに出演したこともあるBanda Bassottiっていうスカバンドとまわったんだけど、彼らは労働者階級のことをずっと歌ってて、政治的なこともガンガン発信してるし、お客さんたちもファンでもあるけど支持者って感じで。誰でも来られるようにチケット代も安くしてるから、ローマでライブしたら1万人とかすぐ集まるようなバンドなのに、メンバー全員が仕事してるんですよ。自分たちの食い扶持を他で稼ぐことで、ライブの値段を下げてる。それ見て、めちゃくちゃかっこいいなと思って。ライブ終わって1万人のお客さんのところにボーカルが降りていっても、お客さんみんな肩叩くだけ、今日もよかったよ!って感じで。ワーキャーじゃなくて、みんな同士みたいで、それが僕らの思ってたサクセスとは全然違っててめっちゃかっこいい、こういうのありやなって思ったんですよ。それがあったから、僕ら全員働きながら音楽を続けてこられたし、雲の上の人みたいになるのがかっこよさじゃないと感じたんですよね。

いわゆる売れてワーキャー言われるみたいなこととは違う成功があると。すごい良いエピソードですね。25年といえば、いよいよ7月には25周年のワンマンが控えていますが、そこにかける思いというか、意気込みみたいなものを。

25年にたどり着くバンドって、ほんの数%だと思うんですよ。ほとんどのバンドは5年、なんなら1年以内に解散してると思う。だからほんま奇跡やなって、四半世紀も楽しく続けられて。
今まで「ライブ来てください」は言ったけど、「お祝いだから来て」は言ったことないんですよね。でも25年に一回だから、マジでお祝いに来てほしい。40代になって家庭もある人が、仕事でもない音楽をずっとやるって、けっこう奇跡やと思うんですよ。それがすごいうれしいと思うから、ちょっとこの日だけは、みんな予定空けくれへんかな。

ここは、ちょっと赤字で書くくらい?

そうですね。みんなお祝いに来てほしいですね。


<INFORMATION>

DOBERMAN 25周年記念ワンマンライブ
愛と感謝のビッグパーティー

日時: 7月20日(土) 16:00~
会場: 大阪・服部緑地野外音楽堂
料金: 一般 4,400円 / 20歳未満 2,200円

チケット詳細は清水音泉から
https://shimizuonsen.com/schedule/detail/3883/

Instagram: @doberman25th

酒飲んで20代くらいで死ぬ設定で生きてたのに、のうのうと40代まで生きてきて何のアクションも起こしてなかったら、恥ずかしくて死ねへん。というか生きれへん。
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Profile

吉田田タカシ

1977年生まれ、兵庫県多可郡出身。教育者・ミュージシャン・ファシリテーター・デザイナー・芸術家など多彩な分野で活躍。大阪芸術大学在学中の1998年、アートスクール<アトリエe.f.t.>を設立。受験や技術ではなく、生きる力や想像する力を育む教育を目指す。2017年奈良県生駒市への転居を機に、生駒市にも<アトリエe.f.t.>を開業。2021年にこども食堂の仕組みをリデザインした<まほうのだがしや チロル堂>でグッドデザイン賞を受賞。22年には不登校の問題の本質を考える<トーキョーコーヒー>を立ち上げ、全国へ活動の輪を広げている。アトリエと同じく1998年に結成したスカバンド DOBERMANの活動ではボーカル、歌詞を担当し、現在までにアルバム7枚をリリース。フジロック、釜山ロックフェス、韓国ツアー、ヨーロッパツアーなど世界で高い評価を受ける。

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