Interview & Writing
金輪際セメ子
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小林 俊史

オリジナルのBAKI柄で知られるアーティストであり、住所非公開のアトリエ兼ギャラリー「十三光スタジオ」のオーナーでもあるBAKIBAKIさん。日本では数少ないミューラルアート(壁画)を軸に国内外で活躍してきたBAKIBAKIさんが、2021年新たに仕掛けたのが壁画アートプロジェクト『淀壁2021』でした。それは、スタジオのある淀川区の5つの壁面に、5組のアーティストが作品を描くというもの。パブリックな空間をキャンバスにしたこのプロジェクトはクラウドファンディングで支援を募り、見事に達成。淀川区には5つの巨大な壁画が誕生しました。なぜこのプロジェクトにチャレンジしたのか。その狙いや想いについて、お話を伺ってきました。

ナイチンゲールの作品を描いて、壁画でまちに何かできるんちゃうかなって思ったんです。

淀川通り沿いにあるナイチンゲールの壁画。淀川区のマスコットキャラクター・夢ちゃんの姿も。

『淀壁2021』のプロジェクトを始めたきっかけを教えてください。

今年(2021年)の3月、淀川区の職員さんに声を掛けてもらって、区役所の隣の建物に壁画を描かせてもらったんです。「淀川ウォールアートプロジェクト」として区内の企業から協賛や協力を得て、医療従事者の方への感謝を込めてナイチンゲールを描きました。これが淀壁の前身で、壁画でまちに何かできるんじゃないかと思ったきっかけですね。

ナイチンゲールの作品が最初なんですね。

描いた当初は別にそこまでまちのことを意識してたわけではないんですけど、壁画を描いてしばらくしたら、新聞やメディアに取り上げてもらったり、だんだん反響が大きくなって。あの作品は、絵描きの自分にできることとしてボランティアで制作したんですけど、これってまちのために何かできるんちゃうかなと思ったんです。

淀川区の人もびっくりしたでしょうね、区役所の横にナイチンゲールが出現したら。

描いてる最中も、「何ができるん?」って聞かれましたね。そうやって興味を持ってくれた人のなかに、今回の淀壁のキャンバスとなる壁を提供してくれた人がいたんですよ。「うちのマンションの壁にも描いてくれへんか?」って。

そんなつながりが!でも、絵を描ける壁を探すのって大変そうですよね…。

そうそう、外に描くのっていろいろ大変なんですよ。その辺りは、このプロジェクトを一緒に運営しているWALL SHARE株式会社が、建物の交渉とか契約とか、道路許可とかを担当してくれました。

どの壁にどのアーティストをマッチングするかは、どんな視点で決められたんですか?

場所との相性もあるし、自分との距離感もありますね。地元のLANPくんとかローカルなアーティストはもちろん、東京時代につながったボルちゃん(borutanext5)やカツマタくん(カツマタヒデユキ)とか。2人はたまたま大阪に拠点を移したタイミングもあったんですけど、でもそこまでガチガチに大阪だけで固めるつもりはなくて。外からの人にも関わってもらいたいなと。

整骨院の壁を担当したのは、人気キャラクター「おもちエイリアン」で知られるborutanext5氏。
唯一、地元の淀川区からの抜擢となったLANP氏。美しいグラデーションがひときわ目を引く。

何を描くかは、アーティストさんにお任せですか?

基本的にテーマは自由にしてもらいました。ボルちゃんは壁を提供してくれた整骨院を見せてもらって、あんまのマシーンとかに興味を持ったみたいで、整骨院の中とリンクした絵を描いてくれました。カツマタくんは、天満出身の大塩平八郎がモチーフでしたね。信頼できるアーティストにお願いしているので、相談は受けつつも、自由に描いてもらいました。

BAKIBAKIさんのユニット<DOPPEL>の作品は、岡本太郎がモチーフですね。

自分が吹田の出身で岡本太郎や太陽の塔には影響を受けていることと、2025年の大阪・関西万博に向けて何かやっていこうという意思表示でもあります。この壁面のオーナーさんがナイチンゲールを描いていたときにたまたま声を掛けてくれた人なんですけど、そのマンションの名前が「岡本マンション」で、もう運命やなと思いましたね。

淀川の河川敷沿いに出現する巨大な岡本太郎は、DOPPELによる作品。

淀川区って、昔のNYのブルックリンに似てるというか。変えていけそうな予感があった。

「十三光スタジオ」は住所非公開。イベントの際、参加者にのみ住所が公開される。

淀川区をプロジェクトの舞台に選んだのは、ご自身のスタジオがあるからですか?

そうですね。「十三光スタジオ」は祖父の鉄工所跡なんですよ。6年前に東京から帰って来た時に、祖父が残してくれたものを生かしたいって気持ちがあったのと、もうひとつはミナミとかキタはもうできあがってるけど、ここは今からでも何かやりたいことできるんかなって予感があったんです。自分たちで、ちょっとずつ変えていけそうな感じがあるんかなと。淀川区ってお年寄りが多いまちで、橋を渡ったら梅田や中津があるから若者のカルチャーもあんまりない。でもNYのブルックリンがイケてるまちになる前と似てるというか。若いアーティストとか面白い人が、住みたいと思えるようなまちにしていけるんちゃうかと思ったんです。

海外や東京を見て来たからこそ、淀川区のポテンシャルに気付けたのかもしれないですね。

そうですね。それと、コロナ禍で海外に行けなくなったじゃないですか。前はほんまにフットワーク軽々でどこでも行ってたんですけどそれができなくなったのと、あとは子供が生まれたのもあって、このエリアを受け皿にしていろんなアーティストを呼んで、ここで壁画プロジェクトをできたらええなっていう構想が生まれたんです。

コロナやお子さんの誕生があって、拠点である淀川区に関心が向いたと。

こっちで知り合いも増えたし、行政の人ともつながれたし。この6年で十三光スタジオもたくさんのアーティストといろんなイベントをやってきたんですけど、スタジオのプライベートな感じと、壁画プロジェクトみたいなパブリックな感じを両立できたら面白いんちゃうかなと。

アスリートみたいな気分ですよ。決められた日数で、この壁をどう攻略するか!みたいな。

学生時代、初めて「自分の絵をコントロールできた」と感じたBAKI柄。「この柄に関しては、僕より上手な人はいないんですよ」

BAKIBAKIさんはなぜ壁画を描くようになったんですか?

もともと壁画から始めたわけでなくて、大学時代は彫刻専攻やったんです。2001年からライブペイントデュオ<DOPPEL>の活動でライブペイントをするようになったんですけど、2人で描くから大きさが必要やし、ある程度大きくないと見映えもしないんですよ。そのうち野外フェスとかで、だんだん大きい作品を描くようになっていった感じですね。

スタートはライブペインティングなんですね

20代から30代はライブペイントがクラブカルチャーから派生してきた時期で、自分たちでイベントを主催したりしてたんですけど、でもライブペイントってドメスティックな文化で、日本だけにとどまってしまう部分があったんです。海外では壁画フェスとかで、みんなガンガンでかいのを描いてるんですよ。それを見て、海外とリンクしていくには壁画っていうフォーマットが通用するんやなと思って。それで壁画のほうに移行していきました。

ギャラリーやスタジオでの展示と、壁画の違いはどんなところですか?

壁画は美術館みたいにわざわざ観に行くものではなくて勝手に目に入るものやし、アートに興味がない人の目にも入るものですよね。そこが一番の違いで、外に出す(描く)ことでまわりの反応もぜんぜん違う。壁画はストリートアートというより、自分の中ではパブリックアートという感覚なんです。

たしかに、公共の風景の一部になるわけですもんね。

それと、まちに残るというのも大きい。ナイチンゲールはコロナ禍の最前線にいる医療従事者の方への感謝という意味を込めましたけど、あれがアマビエやったら多分もう飽きられてると思うんですよ。新聞のように日々更新されていくものなら時事性があってもいいけど、壁は残るものやから。時事性を持たせることで古くなってしまう場合もある。バンクシーみたいに社会的なメッセージを発信するアーティストならそれも面白いけど、そういうわけではないから。

「日本は公共空間に対して、みんなのもので誰のものでもないって意識がある。装飾も襖絵とか内側には凝るけど、建造物を装飾したりは歴史的にもあまりないですよね」

ちなみに、BAKIBAKIさんが最初に手掛けた壁画は?

<DOPPEL>の活動を始めた頃に、北海道の牛舎に描かせてもらったことがあったんです。相方は塔みたいなところに描いて、僕は牛舎の屋根に描いたんですけど、その時に外で描くことの洗礼を受けました。屋根の上に当時のBAKI柄を描いたんですけど、翌朝見たら、霜で塗料が流れてるんですよ。うわーっ!てなりました。当時はそれが耐えられなかったですけど、やっぱりあるんですよ、外で描くと。野外でライブペイントしてたら雨で絵が流されたりするんですけど、経験を積むうちにポジティブになって、なんなら「地球と一緒に描いてます」みたいな(笑)。雨のテクスチャーも生かすぐらいの感じで。

そういうの、まさに外ならではですね。

台湾の高雄って港町で壁画を描いたときは、基本スコール、やんだら灼熱。そんな環境で描くってもう、アスリートみたいな気分ですよ。決められた日数で、この壁をどう攻略するか!みたいな。だいたい海外に行くと、自分で描こうと思っていたことの半分もできずに終わりますからね。言葉の問題もあるし、日本人ほど几帳面じゃないから、画材が届かないとか普通にあるんですよ。でもそれを乗り越えて完成させる達成感があるというか(笑)。

アトリエにこもって描くのとはぜんぜん違う!

そんな状況でもなんとか作品を完成させられるのは、ライブペイントでやってきた経験値が生きてるのは確かですね。外的な要因を受け入れて取り込むっていう感じ。

すごい、めっちゃ面白いですね。

ほんまに、壁画ってポピュラーじゃないだけで、めっちゃ魅力的なアートのひとつやと思うんです。

2025年の万博に向けて、個人のアーティストが何か起こせそうなタイミングやムードを感じるんですよ。

巨大な壁画が描ける「十三光スタジオ」は、若手アーティストの習作の場にも。

『淀壁2021』を振り返っていかがですか?

淀壁というアクションを起こして、スタジオの中で描いていたものを外に出したことで、社会との接点がもろに身に沁みました。でもそのおかげで、メディアやまちの人から反響をもらえた。勇気を出して、労力をかけて、外に出て良かったっていう実感はありますね。クラファンでもたくさん応援をいただいたんですけど、それって関わってくれる人が増えたってことやから、それもありがたいなと思いますね。作品についても、僕ら絵描きは、描いたものでしか評価されないじゃないですか。クオリティの低いものを出しても、次にはつながらない。その点で淀壁は、アーティストみんながお金じゃないところの熱量で、これだけクオリティの高いものを残してくれたことに本当に感謝しています。

次の仕掛けは何か考えておられますか?

2025年の大阪・関西万博に向けて淀壁を増やしていきたいですね。これまで国内外で出会ったアーティストを、自分のエリアに呼んで作品を残してもらいたいなと思ってます。それこそ淀壁が20とか30になったら、ひとつのまちが変わりかねない状況になると思うんです。『淀壁2021』のあとに、すべての壁画を見てまわるバスツアーをやったんですけど、これ、すごくいいなと思って。海外で美術館のツアーとかあるじゃないですか。あれのまち版みたいな。淀川区全体が美術館みたいな感じになって、壁画を見て回れるまちになったら最高ですね。

淀壁を巡るバスツアーの様子。上はカツマタヒデユキ氏、下はNAZE氏の作品。(画像はBAKIBAKIさんのInstagramから)

2025年の大阪・関西万博がひとつの目標なんですね。

個人のアーティストが何か起こせそうなタイミングやムードを感じるんですよ。だから、ここ5年はがんばりたいですね。メイン会場の夢洲とか舞洲に寄せてやるんじゃなくて、手の届く範囲で、自分たちで万博に向けて盛り上げていくっていうのが大事にしたいところです。5年後にピークを持ってこれるように、少しずつ丁寧に積み上げていきたいですね。

淀壁プロジェクトは万博に向けて続いていくと。

そうそう、続けていくことがテーマ。一回バーンとやって終わりではダメなんです。このエリアがヒップなまちというか、アーティストが住みたいまちになるまでは、続けていきたいと思ってます。壁画は目で見えるし残せるから、直接的で効果的にまちを変化させられると思うんです。

BAIBAKIさんのような人が現れて、淀川区の未来は明るいですね。

いやいや、そんなことはないですけど。コロナがあったり自分の子供ができたりして、いろいろ人生設計にも変化があって。死ぬときにお金が残るより、壁画が残るほうが意味のある人生ちゃうかなって思ったんです。自分が死んだあとも自分の作品が文化を生み出していく、そっちのほうがこれからの人生魅力的なんちゃうかなと思うようになりました。しっかり向き合って、残るものを作っていきたいなっていう感じになりましたね。

心境の変化を経て、これから挑戦していきたいことはありますか?

このスタジオをアーティストが滞在制作できるレジデンスにしたり、若いアーティストが実験できるような環境をつくっていきたいなっていうのはありますね。個人の作家としては、鉄のBAKI柄とか立体の作品もやってみたいですね。僕が作った立体作品が、パブリックアートとして駅前の彫刻とかになったら面白いなと思ってます。

Profile

BAKIBAKI

1978年生まれ。オリジナルデザインのを武器に、世界各国の壁画フェスティバルに参加。また、ショップやホテルなどの壁画を手掛ける。2015年より大阪・十三に「十三光スタジオ」を開設、巨大壁画を制作のほか、イベントやワークショップ等も開催。

http://bakibaking.com/
https://www.yodokabe.net/

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