Interview & Writing
前出 明弘
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小林 俊史

三重→東京→ニューヨーク→東京→静岡。これは、現代アーティストとして常に挑戦を続けている中西伶さんを知る上では外せないキーワードとなる場所。彼は、ニューヨークを拠点に活動する現代アーティスト・山口歴さんのアシスタント経験を持ち、2019年に帰国してからもその圧倒的な熱量と作品に対する真摯な姿勢で、見る者を独自の世界に引き込む作品を生み出し続けてます。そんな彼の新作展示となる『VESICA PISCIS(ヴェシカパイシース)』が、開業1周年を迎えた心斎橋PARCOで開催中ということで、新作についてはもちろん、これまで辿ってきた道や作品制作にかける想いなど、いろいろ聞いてきました。日本のアートシーンには目もくれず、ただ淡々と作品を制作し続ける中西さんの過去と現在を繋ぎ合わせ、今この場所だからこそ生み出せた『VESICA PISCIS』という作品をみんなで楽しんでもらえたらと思います。会期は11月30日(火)までなので、ぜひ!

歴さんの作品を最初に見た時、すごく衝撃的で自分の中にとてつもないインパクトが残った。

中西さんのアーティストとしての活動もじっくり伺いたいんですが、これまで歩んできた道もすごく気になるので、過去を振り返りながらお話を聞かせてください!20歳で上京されますが、それまでは何を?

三重県出身なんですが、何もない街だなっていうのはずっと思っていて(笑)。でも、グラフィックデザインには興味があったので県内で唯一デザイン科のある高校に進学したんです。実家から片道2時間かけて通っていましたね。

往復4時間は大変ですね…。デザインに興味は持ったキッカケは?

ものづくりができる仕事は楽しそうだなっていうのと、他の職種で興味があるものは手当たり次第調べてみたんですが、結局グラフィックデザインに辿り着いたって感じですね。

高校生のうちからいろいろデザインの勉強をして、実際に上京するのは20歳。空白の2年間があるわけですが、そこでは何をしていたんですか?

高校を卒業して工事現場やコンビニのアルバイトなどをしていました。毎日ネットで外の世界の情報を集めつつ、「このままじゃヤバいな」って焦りだけが溜まっていく毎日。勉強していたデザインも活かせてないし、相当くすぶっていた感じですね。

それで満を持して上京するわけですね。上京されてからはグラフィックデザインの仕事をしていたそうですが。

デザイン会社に入って、ようやくグラフィックデザインを仕事としてできるようになりました。でも、蓋を開けてみると天井が見えてしまったというか、自分自身とデザインの相性が良くなかったのかもしれないですが、閉塞感を感じてしまって…。お題やテーマに沿ってデザインを仕上げていくので、いつの間にか既存のものをなぞってるようにしか思えなくなったんです。「表現にもっと広がりがほしいな、自分で作ったものを自分で更新していきたいな」と、理想と現実がどんどん乖離していく状態でした。

ずっと興味を持っていた職業だったのに、実際体感してみると違っていたと。理想と現実のギャップは誰もが感じるかもしれませんが、その時の欲求はどうやって満たしていたんですか?

自分で作ったものを自分で更新していけるという点で、アートやペインティングに興味を持ち始めていろんな本やネットを見ていました。そんな時に『+81 Magazine』という雑誌で歴さんの記事を見つけたんです。最初に誌面で作品を見た時はすごく衝撃的で、自分の中にとてつもないインパクトが残りました。そこから歴さんのインスタグラムをチェックし続けるうちに、「これはもう、会いに行くしかないな」となりまして(笑)

「かっこいいな」「すごいな」と思うだけじゃなくて、会いに行きたくなるなんて相当な衝撃だったんですね。1人の人間をそこまで行動させる作品の力って、改めて考えてもエグいです。

僕って自分を客観的に見れなくて、完全に主観でしか判断できない人間なんです。だから、こうと決めたことにはとことん没頭して、そこだけしか見れないタイプで(笑)。だから、歴さんの作品を見て思いきりカウンターパンチ食らってしまい、「ニューヨークに行って本人に会うしかない」と思ったら、そのことしか考えられなかったんです。

ニューヨークでの日々は、本当に刺激的で大切なもの。あの時のモチベーションが作品を生み出す燃料になって、今も燃やし続けてる感じ。

山口さんに会いたい一心で会社も辞め、ニューヨークに行くわけですが、すんなりと会うことはできたんですか?

歴さんのインスタグラムの投稿に度々いいねを付けていたこともあり、「遊びに行ってもいいですか?」とDMしたら快く受け入れてくれました。ただ、内心は「さぁ会いに行くぞ!」っていうポジティブな感じではなく、めちゃくちゃびびり散らかしてましたし、緊張と不安で怖気づきそうな状態だったんです。

ずっと憧れだった人に会えるからこそですね。その気持ち、分かるような気がします。で、実際に会ってみてどうでした?

ニューヨークに到着した日に歴さんの自宅に伺って、いろいろ話すことができてすごく興奮していたのを覚えています。歴さんもその時の話を今でもしてくれるんですが、ハンパなく緊張していた自分の姿を思い出すのでめちゃくちゃ照れますね。

それもいい思い出ですよね。そこから会いに来た本当の目的は、どうやって打ち明けたんですか?

そもそも会いたいということしか伝えてなくて、アシスタントになりたい想いは隠してました。会う前に伝えて断られるのも悲しいし、やっぱ直接伝えたかったので。それで、お酒を飲みながら話している時に「アシスタントにさせてください!」ってお願いしたんです。「やれることは何でもします!何でもいいからお願いします!」と。そしたら快諾していただいて、一旦帰国して準備を整え、2016年8月から歴さんのアシスタントとして働き始めました。

山口さんも突然でビックリしたでしょうね(笑)。でも、憧れの人の元でアシスタントに付き、しかもニューヨークのアートシーンのど真ん中で過ごす。この言葉を並べただけでも、すごく刺激的だと思います。

その通り、本当に刺激的な毎日でした。今同じことをしろって言われても、きっとできないと思いますね。自分にとって全てが新しい経験だし、チャレンジングなことだからこそ前のめりでいられた。そこを想像できていたとしたら、あの時みたいな深い時間は過ごせていないでしょうね。現地に行ってみないと出会えないような瞬間ばかりでしたから。五感全てを使って刺激を受けていたというか、現地の空気だったり、どんな人がいてどんな関係性を築いているかとか、やっぱりそこにしかないものと出会えていたんです。スマホ越しで見るネットの情報では分からないリアルを感じ取れたことで、ようやく現実が一致したような感覚。その本質の部分を確認できるかできないかの差は、すごく大きいと思います。

ニューヨークでの経験全てが骨身に染みてる感じですね。アシスタント業務としてはどんなことを?

掃除したり、筆を洗ったり、雑務的なことは何でもしてました。でも、作品のアイデアも少しずつ出させてもらえたり、作業をサポートしたり、作品づくりにも徐々に参加させてもらっていました。

数年前は想像もできなかったような日々ですね。ちなみにニューヨークって家賃がすごく高いじゃないですか。アシスタント業務以外の日々はどんな風に過ごしていたんですか?

ずっとアルバイトしてました。日本料理店で働いてたんですけど、まかない料理が出たので食いっぱぐれることはなかったです。家では具ナシのパスタとかも食べてたっすね。アシスタントしてバイトもして働き詰めでギリギリ住めてた感じですが、好きなことにのめり込んでる日々は楽しさしかなかったし、生きてる実感もすごくありましたね。

まさに夢中のど真ん中。自然とストイックさやハングリーさも研ぎ澄まされていったんでしょうね。そんな忙しい日々ですが、自身の作品づくりは?

約3年いましたが、実は3つしか作れませんでした(笑)。疲れて帰ってきてちょっと制作して、寝る。そんな毎日でしたから。当時は自分のスタイルも模索してるような時期でしたけど、そんな時間が良かったのかもしれません。歴さんとも当時のことは未だによく話すんですが、「最初に作ってた作品の良さを、今も超えられてない部分がある。その時の方が良さがあった」と、言ってくれていて。当時は何も考えていなかったけど、あの時だからこそ残せていたものがあったんです。歴さんがそこを指摘してくれるので、今も制作する時は当時の気持ちを思い出しながら作品づくりをしていますね。

他の誰かの作品ではなく、比較するのはあの時の自分であると。

そうですね。そこを見た方が良いと思ってるし、それくらい大切で刺激的な日々だったので。経験や環境だったり、ストイックさやハングリーさだったり、あの時のモチベーションを今も燃やし続けてる感じです。まだまだ作品を生み出せるくらいの燃料はあるから、自分にとっては本当にかけがえのない時間でした。

中西さんにとって、アーティストの原点となる時間だったんですね。ニューヨークで約3年の濃密な時間を過ごしたわけですが、日本に戻ろうと思ったキッカケは?

歴さんのアシスタントも増えてきて、そろそろ僕は出るタイミングかなと思って。僕がずっとアシスタントでいると、下の子にとっては僕が天井になってしまう。卒業することで下の子も育っていくだろうし、僕がアーティストとして活動すれば新たな道筋もできると思ったんです。アシスタントを卒業してアーティストになった者がどんどんヤバい作品を生み出していく、おこがましいですがそんな流れを僕が筆頭になって作れたらいいなと。現在は、歴さんが主宰する『GOLD WOOD ART WORKS』というチームに僕も所属しているので、これからもいい流れを作れるような存在を目指していきたいですね。

作品のクオリティを上げることだけに集中して、自分と戦わなければ良い作品は生まれないと思ってる。

帰国後は『CHARI&CO』×<le coq sportif>とのスペシャルコラボコレクションをはじめ、日本のアートシーンの新星として高い注目を集めてると思います。中西さんの作品はデジタルとアナログが共存し、奥行きのない世界に生まれる立体感がとても印象的なんですが、ご自身の作品スタイルについてどう捉えていますか?

自分の人生の伏線を回収した感覚というか、グラフィックデザインをしていた過去が活きてるなと思ってます。当時は自分に合わないと思ってたし、そこまで深く考えてなかったけど、過去を振り返った時に意味がないと思ってたことに意味がつく瞬間があって。プリンティングとペインティングという、相反するデジタルとアナログが共存する今のスタイルに辿り着いた時、やっと自分のストーリーが出来上がったなと思ったんです。あの過去は、無駄じゃなかったなと。実は、デザイナーを辞めたというキャリアが自分の中では恥ずかしかったんです。でも、それは挫折や失敗ではなくて、今この絵を描くためのチャンスだった。

なるほど。そうやって聞くと、やっぱり作品というのはアーティストの人生を投影するものだなと思いました。“相反する”という言葉も出てきましたが、それも作品のテーマなんですよね?

そうですね。デジタルとアナログ、プリンティングとペインティング、そして描き続けてるスカルとフラワー。スカルとフラワーは生と死という部分で相反するものだと考えていて、僕の場合、物事を常に広く捉えた状態で作品を完成させたいと思っているんです。そうやって広い捉え方の中にいろんな技法を落とし込むことで、いろんな視点や角度が生まれていく。その広さが作品の器になるし、より広い入口から作品を表現できた時は、自分としても納得のいく作品が生み出せたと感じることができます。

相反するものって両極端だからこそ、見る側にとっては分かりやすいもの。でも、その分かりやすいものでいかに人を惹きつけるか。そこの表現は、本当に難しいことだと思います。

プリントしてペイントしたり、その逆があったり、ペイントしてプリントしてペイントしたり。作品によって工程も技法もさまざまですね。でも、表現するためのアイデアって、一つだけじゃありませんから。歴さんのアシスタント時代のことですが、制作中に間違えてしまったことがあったんです。その時に歴さんは「じゃ、こうすればいいじゃん」とアイデアを出してくれて。間違いを間違いで終わらせるんじゃなく、間違いをチャンスに変える考え方を持つことで、作品に対してもポジティブに向き合えるようになるんです。そこも歴さんから学んだことですし、それも一つのスキルだなと。間違いや失敗って良くないことだと思われがちですが、偶然起きたものだからこそ活かしていくことが重要。そんなこともふまえつつ、表現の部分ではいつも試行錯誤していますね。

偶然を必然に変えていく作業ですね。確かにその思考やアクションも、相反するものになりますね。日本のアートシーンについても想いを聞きたいんですが、ニューヨークと比べるとどうですか?

日本のアートシーン自体の盛り上がりは、すごく実感します。ただ、思うことはいろいろありますけどね。

と言うと?

目指してる所が違う人が多いなと。同じアーティストとして絵を描いてても、どこを目がけて何を目指してるかで全然違うし、温度差も違う。シーンは盛り上がってるけど、そこにギャップを感じていますね。僕は作品のクオリティを上げることだけに集中して、自分と戦わなければ良い作品は生まれないと思ってるんです。でも、多くの人は外を向いて他の何かと戦ってる。これって相当マズい状況だなと。

VS自分ではなく、VS他のアーティストということを感じたと。それは確かに目線が違いますよね。

だから、このまま東京にいると余計な戦いにどんどん巻き込まれそうな気がしたんです。そこに力を取られたくないし、そもそも自分はそんなこと求めてない。自分と向き合うことの方が何より重要だし、比較するのは他の誰かじゃなくていつも自分なので。

それで静岡に移住したんですね。

そうですね。縁もゆかりもない街ですが、友人の父親が別荘を持っていて「あそこなら引き篭もれるよ」ってことで、山小屋を紹介してもらいました(笑)

生活環境が変わったことで、より集中できるようになったと。

正直、東京にいる時は変な戦いに巻き込まれそうだったし、淡々と制作することが難しくなってきてたんです。それに比べて静岡では当然1人だし、籠って制作するのはやっぱり自分の性に合ってると思います。別にニューヨークにいたからって訳じゃないけど、向こうでもずっと淡々と作品に向き合ってたので。静岡でもあの時の時間を思い出しながら燃料にして、作品を制作し続けてますね。

ちょっと話は逸れるかもしれませんが、毎日自分と戦いながら作品づくりをしてる中で、中西さんは趣味とかないんですか?

実は最近、焚き火にハマってるんですよ。僕が始めると歴さんもハマり出したみたいで、山小屋で1人で焚き火をしながらボーッと火を眺めてます(笑)。気分も落ち着くし、火の揺らぎって生命力やエネルギーを秘めた動きだから、いくつかの作品ではインスピレーションにもなってるんですけどね。

「色を抜いたらどうなるんだろう?何が残るんだろう?」と思って。新作の『VESICA PISCIS』は、自分の良さを改めて問いただすための作品。

現在、心斎橋PARCOの開業1周年を記念して中西さんの新作展示『VESICA PISCIS(ヴェシカパイシース)』が開催中ですが、今回の作品についてお話を聞かせてください。これまでの作品とは違って白と黒がベースになっていますが、どのような意図があったんですか?

これまではヴィヴィッドな色を使っていたので、色に注目してもらうことも多かったんです。でも、「色を抜いたらどうなるんだろう?何が残るんだろう?」と思って。自分の良さを改めて問いただすための作品が今回の『VESICA PISCIS』です。余計なものを抜いても、本当に良いものであればそこに本質がある訳だから、その部分が浮き彫りになればと考えて制作しました。

モノクロ世界になったことで相反するテーマをより強烈に感じることができますし、平面だけど立体的な形状にハッとさせられます。中西さん的に見どころは?

印象的なカラーを使っていた今までの作品と比べて、より洗練された形状やマチエールの流動的な美しさに注目してもらえたらと思っています。焚き火の火の揺らぎをディテールで表現してる作品もありますし、パネルの木目を意図的に剥き出して表現を昇華させたものもあるので、じっくりと見てもらえたらうれしいですね。

本当に見応えがありますし、この空間自体にただならぬバイブスを感じてしまいます。それでは最後に、現代アーティスト中西伶としてのこれからのビジョンなどがあれば教えてください!

人として謙虚でありたい。作品に対して真摯でありたい。これが全てですし、この部分が欠落したら作品も良くなくなる気がしてます。今回の展示だって賢太郎さん(展示をキュレーションしたPARCOの高橋さん)が声をかけてくれた舞台ですし、歴さんのアシスタントができたおかげで今がある。東京で巻き込まれてた時はそこまで考えられる余白がなかった時もあり、マズいと思う瞬間を何度も感じていて…。だからこそ、周囲の方々に感謝を忘れないアーティストであり続けたい。そして、自分と向き合いながら淡々と作品を生み出し続けたいと思ってます。



人生の伏線を回収して繋ぎ合わせながら、自分と作品に向き合い続ける現代アーティスト中西伶。その圧倒的熱量と燃え尽きることのない創作心は、彼の作品を見ると絶対に感じ取れると思います。新作展示『VESICA PISCIS』は、11月30日(火)まで心斎橋PARCO B1FのPARCO POP UP GALLERYで開催中なので、皆さんぜひ!


<Exhibition>

Rei Nakanishi VESICA PISCIS
■会期/2021年11月20日(土)〜11月30日(火)
■時間/10:00〜21:00(最終日は18:00まで)
■会場/PARCO POP UP GALLERY(大阪府大阪市中央区心斎橋筋1-8-3 心斎橋PARCO B1F)
■入場/無料
https://art.parco.jp/shinsaibashi/detail/?id=802

Profile

中西 伶

1994年生まれ。三重県出身。2016年に渡米し、山口歴さんのアシスタントとして従事。2019年に帰国後は、現代アーティストとして美術史の文脈を更新することを目的に制作を続けている。現在は、山口歴さんが主宰する『GOLD WOOD ART WORKS』所属。

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