Interview & Writing
前出 明弘
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小林 俊史

料理の世界と言えば、調理系の専門学校を卒業して入店するか、弟子入りして修行するかが一般的なストーリーだと思うんですが、今回紹介する浦口司さんはちょっと違うんです。「日本食を世界に広める!」という自分で掲げたビジョンに向かって、ひたすら突っ走り続けてる人。何をするにも年齢なんて関係ないけど、料理の世界では時としてネックになる若さを逆手に取り、常に大胆不敵に、たまーに図々しくありつつも、ブレることなくアクションを起こしてるんです。現在はフリーシェフとして全国各地を飛び回りながら、いろんな場所で料理を振る舞っています。そんな彼が辿ってきた型破りな道と、その次なるステージの話を聞いてきました。弱冠25歳、ハッキリ言って可能性の塊です。

高校卒業までに料理人の肩書きが欲しかったから、在学中にイタリアンレストランで住み込みで働き始めた。

25歳でフリーシェフって、かなりレアな働き方!そもそも料理の道を志したキッカケって何だったんですか?

小さい時から料理をするのが好きだったのもありますけど、志したのは高校時代。野球をしていて寮生活だったんですが、寮母さんがいなくて毎日コンビニやファミレスのごはんばかり食べてたんです。当然、栄養は偏るし、食生活もよくないからヤバいなと。それで、料理が得意だった自分がみんなの分を作ることになりました。

育ち盛りの高校球児のごはんを、高校球児が作るって、おもしろいですね。反応はどうだったんですか?

まぁ、とにかくめちゃくちゃ食べてくれましたね。大好きな仲間が自分の作った料理をこんなにも食べて、ここまで喜んでくれるのかと。反応がダイレクトに返ってくるから、「次はもっとうまいのを作ろ!」と思えて、どんどん料理にのめり込んでいったんです。「自分の作った料理でみんなを喜ばしたい!」っていうその時の気持ちが料理人としてのルーツとなって、今へと続いてる感じですね。

みんなすごくガッツキそうだし、そりゃうれしいですよね。食生活が充実して、野球の方にも成果は出ましたか?

食生活のおかげかは分からないですけど、3年連続で甲子園には出場しました!僕は1年生の秋からメンバー入りして、2年生の時は甲子園も経験。3年生の時はケガをしてしまって…。最後の夏は悔しい思いをしましたね。

3年連続って、スゴイ!高校球児と高校生料理人の二足の草鞋を履いてたんですね。料理はもちろんですが、野球にもどっぷり浸かってる生活をしてたわけですが、卒業後の進路は?

高校3年の夏で部活を引退したので、野球とはそこでキッパリとお別れしました。

そうなんですね。野球でさらに上を目指すよりも、料理の道に進もうとしたってことですか?

はい。野球は自分としてもやり切ったし、料理を作って喜んでもらうことの方がデカかったので。

なるほど。では、高校を卒業して調理系の専門学校へ?

専門学校には行ってないんです。僕自身、高校を卒業するまでに料理人の肩書きが欲しかったから、在学中にイタリアンレストランで住み込みで働き始めました。

在学中に?しかも住み込みで?学校は大丈夫だったんですか?

学校は単位などもしっかり取ってたので、別に行かなくても大丈夫な状況だったんです。

そんな状況だったとしても、行かないのはダメですですよね(笑)

まぁ、普通はダメだと思います(笑)。でも、3年間休むことなく勉強も部活も頑張ってたので、先生たちに「在学中に料理人になるために!」とお願いしたら許してくれました。やると決めたら絶対にやる頑固な性格なので、先生たちも折れてくれたのかなと…。

それ、異例すぎますよね(笑)。でも、夢を後押ししてくれるイイ先生たちがいてよかったですね。イタリアンレストランではどんな毎日を?

3ヶ月間住み込みで、朝から夜までずっと料理と向き合ってましたね。高校の先輩も働いてるレストランだったので、いろいろ教えてもらいながら料理の世界にちょっと足を踏み入れた感覚。一歩というか、料理人として半歩を踏み出したような時間でした。

肥後橋にある完全紹介制の『すき焼き 九』は、浦口さんがメニューをプロデュースしたお店。

たとえ半歩だったとしても、料理人という肩書きは名乗れる環境にはいたわけですもんね。3ヶ月間の住み込みを経て、次はどんなステップを?

自分が働きたいと思ってたのは、ホテル・レストラン・ウェディングなどの事業を行なっているプラン ドゥ シーが運営する、『ザ・ガーデンオリエンタル・大阪』。住み込みで働いてたので就活する時間もなかったし、そもそも高卒の採用枠もなかったんです。しかも、料理人志望なのに調理師免許も持ってませんし…。でも、だからと言って何もしないまま諦めたくなかったので、卒業するギリギリの3月に直談判しに行きました。「どうしてもココで働きたい!バイトでも何でもいいから働かせてください!!」って。

得意の直談判ですね(笑)。めちゃくちゃ人気の企業ですし、壁は高かったんじゃないですか?

まさかの新卒採用枠で入れてもらえました(笑)。

マジですか…。ハンパない熱量が伝わったんでしょうね。でも、それにしても異例中の異例やと思いますが。

後から聞いた話ですが、全社メールで「スゴイ熱いヤツが来た!」って回ってたみたいです(笑)

そりゃそうでしょうね。そもそも『ザ・ガーデンオリエンタル・大阪』で働きたかった理由は何だったんですか?

料理はもちろんですが、レストランとウェディングという事業形態、さらに異業種とコラボするパーティーなども開催していて、個人店ではできないことをしてる場所だったからです。料理の勉強だけなら個人店でもできますが、ココならもっといろんなことを吸収できるなと思って。だから、料理人としてスタートを切るなら大きい企業がいいなと。それが理由ですね。

浦口さんにとっては料理以外の部分も重要だったと。実際働いてみてどうでしたか?

約3年間働かせてもらいましたが、全ての経験が自分の身になるものだったと思います。『ザ・ガーデンオリエンタル・大阪』での日々もそうですし、19歳の時には北海道のニセコに期間限定でオープンするレストランのプロジェクトにも参加させてもらいました。このプロジェクトは現在も継続されていて、全国から集められた20代前半の若手メンバー10人だけでレストランを運営するんです。僕はプロジェクトの初年度にそのメンバーに選ばれたんですが、スタート時点は本当にレストランのハコがあるだけの状態。メニューはもちろん、インテリアなども全てゼロの状態なので、店作りの勉強にもなりましたね。来ていただくお客様の層を考え、どんな料理が喜ばれるか、どんな空間が必要か、席数はどうするかなど、みんなで考える時間は大変でしたけどとにかく楽しかったことを覚えてます。

若手だけで料理を作り、運営まで全てするんですね。とても貴重な経験だろうし、チャレンジする絶好の機会でもある。大きな企業だからこそ、できることですね。

系列の『オリエンタルホテル神戸』でも勤務し、鉄板焼きレストランも経験しました。1組のお客様に対して1人の料理人が調理からサービスまで全てを担当するスタイルだったので、緊張感もありましたが刺激的でおもしろかったですね。自分の知識不足で悔しい思いをしたことが何度もあったから、勉強しまくって日々自分をアップデートすることを大切にしてました。

対面だとなおさら隠せないですもんね。浦口さんの手さばきや動きが丸見えなわけだし。

そうですね。自分は調理の専門学校にも行ってないので基礎技術が他の人より劣ってるのは自覚してました。巻き返すためにも、営業後やプライベートの時間に勉強するしかなかったんです。どんな些細なことでも分からないことがあれば、めちゃくちゃ聞いてましたね。それができるのも若造の特権だし、失うものは何もなかったんで。

自分の成長に貪欲なのは素晴らしいことだと思いますよ。専門学校でしっかり学ぶのもいいけど、現場だからこそ得られるものもありますしね。

そもそも専門学校に行くという選択肢は、僕の中ではなかったんです。お金を払って勉強するよりも、お金をもらって勉強する方が絶対にイイ!なぜなら、そこには責任感が生まれますから!

25歳までには絶対に海外を拠点にして働く!自分の人生の年次表には、そう書いてあるんです。

『ザ・ガーデンオリエンタル・大阪』での3年間は料理人としてだけではなく、いろんな経験ができてかなり濃い時間が過ごせたんですね。その後は、どんな動きをしてフリーシェフへとなっていったんですか?

『ザ・ガーデンオリエンタル・大阪』では多彩なイベントがあり、たくさんの料理人の方と出会うことができました。その中の一人に、北新地で割烹料理店『野口太郎』を営む野口さんという方がいたんです。野口さんは元々外車メーカーの広報をされていて、修行経験なしで北新地にお店を構えた方。料理の素晴らしさはもちろん、<フランク・ミュラー>などの一流ブランドともコラボされていて、「料理ってこんなことまでできるんだ!」と僕の中で衝撃を走らせてくれた方で、「野口さんと一緒に働きたい!」と直感的に思ったんです。

浦口さんの中にある料理の世界よりも、野口さんはさらに先の次元で活動されてる方なんですね。

そうですね。それに、人柄やカリスマ性にもすごく惹かれました。いろいろとお話もさせていただき、ニューヨークにお店を出すという目標も聞かせてもらえて、自分もその目標を共有させてもらえたら幸せだなと。実は、自分の人生の年次表で、25歳までには絶対に海外を拠点にして働くという目標があるんです。そして、心や素材、おもてなし、わびさびといったものをふまえた日本食を世界に広めていきたいんです。だからこそ、野口さんの元で働く時間は自分の目標ともリンクするし、たくさん学ばせてもらいながら少しでもお役に立てればと思って。

それで次は、野口さんの元で働くことになったんですね。これまでとは違う、和食の世界での日々はどうでしたか?

カウンターだけのお店で、しかも北新地。目の前にいるお客様は料理やワインにも精通した方々ばかりなので、その方々と料理人として対等に接しなければいけません。そのためには自分がどう見られるか、どう立ち振る舞えば心地よく過ごしていただけるか、料理の勉強以外でもたくさんのことを吸収できる日々でした。

若いから可愛がってもらうこともあるでしょうが、それだけではダメですもんね。料理人としての意識や品格なども、一段と磨かれる環境だったと。

もちろん若さは自分の特権だったので、そこは生かしつつも勉強を怠ることはなかったですね。環境においても経験においても、本当に貴重な時間でした。ニューヨークや香港でのポップアップイベントにも同行させてもらえましたし、定休日にはお店を借りて若手料理人を集めたイベントも開催させてもらいました。特にニューヨークや香港に行った時は、海外の人から見た和食の印象をダイレクトに知ることができ、自分の中で「日本食をもっと広めたい!」という想いがさらに強くなったのを覚えてます。

浦口さんがイベントや出張料理などで作ってきた料理の一部がこちら。食欲をそそる美しい盛り付けも見どころです。

野口さんにもまた、たくさんのステージを用意してもらえたんですね。野口さんの元ではどれくらい働いてたんですか?

約2年間お世話になりました。その次は、東京のフレンチレストラン『SUGALABO』です。

次もまた名店ですね。しかも、フレンチ!

僕としては料理ジャンルは特に意識してないんです。それよりも、誰と働くかの方が重要。『野口太郎』の野口さんも、『SUGALABO』の須賀さんも、自分の名前を冠にしてるお店です。料理に自信がないとできないことだし、自分自身の存在がお店の証なので、他の人では成り立たない。料理そのものに自分の表現したいことがないと、絶対にできないことだなと。料理の上手な人はたくさんいるけど、食べたお客様を惹きつける“何か”を持ってる人は限られてるだろうし、そんな人に近づきたくて。

確かに、調理はあくまでも手法。もちろん、そこには奥深さも当然あるけど、作るのは人だし、人からは思考やスタイルなども学べますもんね。ちなみに『SUGALABO』からは、どんな風に声をかけられたんですか?

『SUGALABO』の須賀さんやスーシェフのリクさんは、『ザ・ガーデンオリエンタル・大阪』時代に出会っていました。それで「今度、大阪で<ルイ・ヴィトン>とコラボしたレストランを出店するから、興味があれば一緒に働かない?」と誘われて。『SUGALABO』で働きながら、立ち上げメンバーとしても参加させてもらったんです。

心斎橋の『SUGALABO V』の立ち上げってことですよね?

はい!イスやグラスも<ルイ・ヴィトン>だし、「マジでエグい!」って感じのお店です。

世界初となる<ルイ・ヴィトン>のレストランですもんね。そりゃ、エグいです。

空間や演出といったありとあらゆるものが想像以上でした。僕らも料理人としてだけじゃなく、<ルイ・ヴィトン>のブランドを背負って働かなければいけない。その分、プレッシャーもハンパなかったですが、あんな空間で働けたのは料理人としても誇りに思えますね。東京の『SUGALABO』でも働くことができましたし、立ち上げに関わらせてもらった半年間で、また一つ成長できたかなと。

なかなかできない経験ですからね。じゃ、フリーシェフになったのはその後って感じですか?

まだ、ちょっと先ですね(笑)。『SUGALABO V』の立ち上げのサポートを終えた時が、24歳。次は、寿司屋さんで働きました。

その理由は?

立ち上げに参加してる途中に香港のレストランから誘われたんです。でも、ビザの取得に半年間くらいはかかるだろうなと思って、立ち上げを終えてから香港に行くまでの時間を有効に活用するため。日本人として海外のレストランで働くなら、やっぱり寿司の技術も習得する必要があるなと。

なるほど。でも、たった半年間の腰掛け状態なのに、働かせてもらえるお店をよく見つけられましたね。

いや、めちゃ大変でした。ちょうど2020年6月くらいからだったので、時期的には思いっきりコロナ禍。しかも初心者だし、働けるのは半年間ですからね。片っ端から電話をかけまくって何度も断られましたけど、本町にある『鮨 慎之介』は快く受け入れてくれたんです。半年間しか働けない理由や自分の目標をお話ししたら、「おもろいやん!協力するで!」って言っていただいて。

めちゃイイ人やったんですね。自分が行動してるからこそだけど、人との出会いに恵まれてますよね。

本当に感謝しかないです。だって、半年間しか働けないのに、「寿司を握らしてほしい」とか言うてましたから。図々しいにも程がありますね(笑)

まぁ、普通はそんなこと言えないけど、その図々しさがおもろかったんかもですね。

握り方やネタの切り方、寿司のフォルムなど、毎日つきっきりで教えてもらいました。それで、2ヶ月くらいしたら実際に握らせてもらえて、お客様の前にも立たせてもらえましたから。一般的には「はぁ、ふざけんな!」って状態ですけど、目標のためにステージを用意してもらえて、本当にありがたかったですね。

浦口さんの熱意や料理に向き合う姿勢に、本気度を感じたからでしょうね。で、次は香港ってことですか?

実は香港の話はコロナの影響で、少し先延ばしになってしまって。お店側にも半年間って伝えていたのでやめさせていただき、2020年11月からフリーシェフとしての活動を始めたんです。

ついに、フリーシェフの話ですね!どんな活動をしてるんですか?

個人宅への出張料理をはじめ、メーカーさんの商品のコンサルや個人店さんのメニュー監修、第一次産業である農家さんの食材を広めるために料理人の方々とコラボイベントしたり、ウーバーやレトルト系メニューの監修など、食にまつわることなら何でもやってますね。

活動においても、食を軸にジャンルレスで活動してるってことですね。

そうですね。食の可能性って無限だと思ってるので、活動のジャンルは定めずに探究し続けてる状況です。昨年はブルガリアのとある方の元で、専属料理人としても働いてましたから。

ブルガリアで専属料理人?その話、じっくり聞かせてください!

ぜひぜひ!!

ブルガリアの資産家の元で、3ヶ月間専属料理人に。料理人としてだけじゃなく、人間としても成長できたと思う。

ブルガリアで専属料理人を務めてたってことですが、聞きたいことが山盛りです。まずは、どんな経緯でそうなったんですか?

ブルガリアの方からエージェントを通して僕に連絡があり、専属料理人として3ヶ月間働いてほしいと。その方はいわゆる資産家で、これまでに何度も専属料理人を抱えていて、今回はたまたま日本人である僕に白羽の矢が立ったって感じです。

なんか、どんどんスケールの大きい話になってきますね。

いえいえ。世界って意外と狭いですから。

それ、名言ですね。では、ブルガリアでの話をいろいろ聞かせてください!専属料理人はその言葉の通りだと思うんですが、不慣れな地だと大変なことも多かったと思います。

2021年6月から3ヶ月間の契約で、ブルガリアに行きました。リッツ・カールトンみたいな大豪邸で、毎日いろんな国からゲストが来たり、政府関係者や現地の芸能人が来たりと、完全に別世界。僕はそういったホームパーティーの料理を中心に、オーダーがあればランチやお弁当、スイーツを作ったりするのが役目です。毎朝、「今日は天ぷらが食べたい」「フレンチがいい」「あの食材を使った料理を」とか、いろいろリクエストされるので、そこからメニューを考えて、今日食べたいものをコースで作っていました。リピートされるメニュー以外は絶対に同じものを作らないと決めてたので、600品以上は作ったと思いますね。

まさに、大豪邸ならではのダイニング。毎朝のマーケット視察がルーティンで、渡航中が東京オリンピックの期間だったこともあり、日本についての質問攻めにあうこともしばしば。

すいません、気になることが渋滞してます。まず、毎日ホームパーティーなんですか?

ゲストが来ない日でも、オーナー夫妻の子どもや両親がバカンスで滞在していたので、規模の差はありますがほぼ毎日ホームパーティーでした。毎朝マーケットに行ってリクエストに応じた食材を探し、料理を作ってサービスもする。メニューに合わせてテーブルコーディネートや演出を考えるのも自分の役目だったので、めちゃくちゃ勉強になりました。

大変だけど楽しそうですね。コミュニケーションは英語?

僕との会話は英語ですね。オーナー夫妻は5ヶ国語くらい話せる方なので、自分の分からない言語の時は英語に訳してもらいながら話してました。

浦口さんも英語は話せたんですね。

ギリですね。これまでも英語を話すしかないような環境に飛び込んで行ったから、完全なストリート仕込みですが(笑)。でも、料理教室をした時はかなり困りました。「何でこうなるの?」と質問されても、日本語では「この温度に仕上げるから分離して、そこからこんな風に作用して…」と説明できるけど、英語で伝えるのは難しくて…。やっぱり最低限でも英語は話せないと無理だなと痛感させられましたね。

ゲストを招いたホームパーティーはいつもコース仕立て。600品以上作ったというのも驚きですが、料理を出すタイミングを考え、サービスや演出まで全て一人でやり切るのは相当大変だったはず。

日常会話じゃなくて、複雑な説明になると余計に難しいですよね。たくさんメニューを作られたそうですが、特に人気のリピートメニューは何でしたか?

ナスの揚げ浸しは「大好きだ!」と言ってもらえました。ブルガリアには大根がないので、ラディッシュや日本とはまた違うカブでおろしを作り、現地のナスを揚げて作ったんです。いろんなパーティーでもリピートを求められて、日本食が受け入れられる喜びを深く実感できました。日本ではすき焼き料理の監修もしてたので、肉をスライスして割下にしゃぶしゃぶして提供すると、「こんな料理があるのか!アメージングだ!」って言われたことも。そもそも肉はステーキか塊で食べるので、スライスする文化がないんですよ。こんなにも驚かれると思ってもみなかったから、自分たちの常識に固執する必要はないなって改めて感じましたね。

浦口さんが掲げる日本食を広げるという目標が、ほんの少し叶った瞬間ですね。逆に、受け入れられなかったメニューはありました?

唯一受け入れられなかったのは、バスクチーズケーキですね。日本でもよく作っていたので出してみたら、「何だこれは!焦げてるじゃないか!」と怒られちゃって(笑)。日本で流行ってるバスクチーズケーキは表面がこんがりしてるのが普通ですが、現地のものはそこまで焼き目がついてなかったんです。だから、日本のものはバスクチーズケーキという名前を語った全くの別もの。海外の寿司がそうであるように、リメイクされてるんだなと。結局、一口も食べてもらえず、「これは失礼だからパーティーには出せないよ。クレイジーだ!」って言われてしまいましたね。

似て非なるものだったと。現地に行ったからこそできた経験だし、ハッキリとした反応があるのは料理人としてもありがたいですね。ブルガリのマーケットはどんな感じでしたか?

ブルガリアと言えば誰もがヨーグルトを想像すると思うんですが、やっぱりその通りで、乳製品の品揃えはスゴかったですね。一面にヨーグルト、ハムがずらっと並んでて、肉もありえない塊や見たことない部位が揃ってる状態。物価は日本の約半分で、ワインも1本200円くらいだったり、ビールも計り売りされてたり、水よりもカジュアルにお酒が飲まれてるような感じでした。

聞くだけでワクワクしますね。

みんな陽気で、街の至るところでお酒を飲んでましたよ。日本はコロナの影響で飲酒が制限されてるって言うと、「どうしてお酒が悪いんだ!日本はクレイジーだ。司、ダメだよ!」って、なぜか日本を代表して怒られちゃいました(笑)。文化や政策の違いはあれど、いろんな考えを吸収できたのも自分としては大きかったですね。

ブルガリア、いいですね(笑)。ちなみに専属料理人として働く中で、休日はあったんですか?

住み込みでしたが、もちろん休日もありましたよ。でもね、家の目の前にプライベートビーチがあって、その横にはパブリックなビーチクラブがあるんです。毎朝みんなでビーチに行ってコーヒーを飲んでたんですが、こんな仕事があっていいのかって感じでした。オーナー夫妻からは「せっかくブルガリアに来たんだから、楽しまないと!いろんな場所を見ておいで」と言われ、1週間のバカンスもいただきました。しかも、チケットやホテルも全て手配してもらって…。

家の目の前がプライベートビーチという最高のロケーション。みんなでコーヒーを飲んだ後、浦口さんはマーケットへ行くのが日課だったそう。

手厚いもてなし!バカンスはどこに?

僕のいた場所はヴァルナというブルガリアの第3の都市で、黒海に面したリゾート地。ここにいるだけでも十分バカンスなんですが、この街には日本食レストランがないので、「首都にある人気のレストランを見ておいで」ってことで、ソフィアに行ってきました。日本食レストランと言っても現地の方がされてるお店で、居酒屋のようなスタイル。うどんや天ぷら、焼き鳥などがあって、ラーメンはなんと2000円!物価が日本の半分くらいのブルガリアではかなりの高級料理でしたが、スープは味噌汁みたいで(笑)。シェフの方も日本人が来てビックリな状態で、「これであってるか?」「この調理はどうすればいい?」って、めちゃくちゃ質問攻めに合いましたね。

リメイク系だったんですね。

「こうやって作った方がいいよ」とアドバイスもしましたが、それと同時に日本食がまだまだ浸透してないことも実感。流行ってるお店でしたし、みんなが日本食に興味は持っているけど、リアルなものは届いてないんだなと。食材を入手する難しさはあるかもしれないけど、改めて「日本食を世界に広めたい!」という想いは強くなりましたね。世界には、それだけの余白があることを身をもって体感できましたから。

目標の輪郭がまた一段とくっきりと見えてきたんですね。浦口さんにとってこの3ヶ月間は、時間や経験の濃密さだけじゃなく、さらに視野を広げるキッカケにもなったんでしょうね。

それは間違いないですね。料理を作る以外にも、オーナー夫妻からはたくさんの学びの機会を与えてもらいました。夫妻は動物愛護団体や貧しい子どもたちを救うための財団を設立してて、毎週イベントを開催してたんです。捨てられた犬や猫たちを農場で馬などと一緒に飼育し、そこに孤児や障害を持った子どもたちを集め、動物とのふれあいを通じてメンタルケアをしたり、料理を振る舞ったりしていました。それは、動物と子どもたちの双方にとって本当にウィンウィンなことだなと。僕も滞在中はイベントに同行して料理を作らせてもらえましたし、日本にいたら見れない実情を料理を通じて見ることができたのは、一番大きなことだったかもしれない。国や街をより良くするために本気で行動してる夫妻だったからこそ、僕の体験したこと全てがリアル。考え方、物事への向き合い方は、人間として本当に勉強になりましたね。

次なるステージは香港!二つ星フレンチでスーシェフとして働くけど、それも世界に出て行くための土台作り。

ブルガリアから帰国してもう数ヶ月が経ちますが、行く前と比較して「ここが変わったな」と思う部分はありますか?

総体的に思うのは、料理との向き合い方ですね。言葉が100%伝わらない環境にいたので、料理を通じてこの人をどれだけ喜ばせることができるか、そこに対する向き合い方はさらに深くなったかなと。もちろん、料理で喜ばせたい気持ちは人一倍強いと自覚してましたが、ブルガリアでの経験をふまえて、これまでは言葉で補足していた部分もあったんじゃないかと思えたんです。話して伝わるのと、話さなくても伝わるのは大きく違うから、料理の面では後者でありたい。例えば、その人の好きな食材をさりげなく使って料理にストーリー性を持たせたり、テーブルコーディネートにもそんな演出を忍ばせたり。より細部に至るまで、どうすれば喜んでもらえるかを考えるようになったと思いますね。

料理と提供する相手に対して、よりストイックに考察するようになったんですね。帰国後は、フリーシェフとしての活動を継続してるんですよね?

現在はそうですね。大阪や東京、地方を行ったり来たりの生活で、家も借りてなくて…。絶賛ホームレス状態です(笑)

さすらいですね(笑)。でも、どうしてですか?

各地を飛び回ってるのもありますし、香港の話も正式に決まったので。

ついに、次は香港へ!どんなレストランなんですか?

ミシュランガイド香港・マカオで二つ星を獲得してるフレンチレストラン『Arbor』で、スーシェフとして働く予定です。3月くらいには香港に入る予定なので、「25歳までに海外を拠点にして働く!」という目標は、実現の一歩手前まで来てるかなと。

25歳で二つ星レストランのスーシェフですか…。有言実行してるけど、正直スゴイことですよ。当然オファーがあったから行くとしても、香港という場所、そのレストランに決めた理由って?

「25歳までに海外を拠点にして働く!」という目標と、「日本食を世界に広める!」というミッションが僕にはあります。世界に出て行くなら、まずは文化の近いアジアから攻めようと思っていて、中でも一番勢いのあるのが香港かなと。そこからシンガポール、インドネシア、カンボジアなどのローカルエリアにも日本食を広めていくと考えた時、スタート地点としてはやっぱり香港がベストだと思ったんです。

なるほど。香港はイノベーティブな街だし、グルメにおいてもそう。そこで浦口司としての新たな土台が築ければ、よりアジアを攻めやすくなりますよね。

その通りです。そして『Arbor』に決めた理由は、王道フレンチではないから。フィンランド人のオーナーシェフが作るのは、いろんなカルチャーを取り入れた北欧フレンチなんです。日本のカルチャーも大好きな方で、コースの中に寿司を織り交ぜたり、メニュー名に「SHIMESABA」と日本語を取り入れていたりしてるから、日本人の心をそこにプラスできるんじゃないかなと思って。

これまでの経験を丸ごと注ぎ込めそうな環境ですね。

自分だからできることがあるだろうし、逆に『Arbor』のアイデンティティーもしっかり受け入れたいと思ってます。それでまた成長できるだろうし。

浦口さん自身の「日本食を世界に広める!」というビジョンが明確でデカいからこそ、どんどん受け入れても、その受け皿があふれることはないかもしれませんね。あふれそうになる頃には、またデカい受け皿となるビジョンが見えてるだろうし。

そのためにも、まだまだぶっ飛んで行きたいですね。「北欧フレンチってどんな料理?」って思われるかもしれないけど、僕もよく「どんな料理を作るの?」って聞かれることがあります。でも、自分の中ではフレンチとか和食とか限定してなくて、相手が喜ぶものを作ることが全て。日本食を広めると言っているのも、そこに根づく日本人の心やアイデンティティーも伝えたいからこそなんで、わざわざ枠を狭める必要はないなと。だから、そのスタンスはこれからも変えず、攻めていきますよ!

ジャンルレスと言うか、そもそもジャンルの概念すらない。境界線すらもない。自分が動き続ける限り、広がっていくってことですね。香港でのさらなる活躍も期待してます!!

ありがとうございます!とりあえず『Arbor』は2年契約なんで、自分の年次表にある次のステップを踏むまでは、世界に出るための土台をしっかりと固めたいと思ってます。そして、28歳で世界に出る!自分の店を持つ目標もありますけど、自由に動きながら世界のいろんな場所で、日本食を広める活動をしていきたいですね。フライパン片手に世界を飛び回り、現地の食材を使って日本食を僕らしく表現していきますよ!!

Profile

浦口 司

1996年生まれ、徳島県出身。元甲子園球児で、強肩を買われて外野手からピッチャーとなって活躍する。部活引退後から料理の道を志し、現在はフリーシェフとして日本各地で料理を振る舞う。2022年3月頃には香港に渡り、二つ星レストラン『Arbor』のスーシェフとして活動する予定。

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