レザーアイテムの新境地を開拓する<GOOD KARMA DEVELOPMENT>。橘さんが貫く服作りの真髄と、真紀さんとの今を楽しむ毎日について。
エゾシカの革が生み出す唯一無二の表情、ナチュラルエッジならではのディテール、アパレルに長く関わり続けてきたからこその本質的なこだわり…。レザーの新境地とも言えるアイテムで、多くの服好きをうならせるブランドが<GOOD KARMA DEVELOPMENT>。手がけるのは、南船場でカリスマ的な人気を誇った名店『Boutique Hermitage(ブティック・エルミタージュ)』のオーナーでもあった、橘徹さん。店はご自身の再出発のために閉めるという決断に至りましたが、その過程で生まれたブランドは、アイテムをリリースすれば瞬く間に完売するという凄まじい人気ぶりなんです。関西の服好きなら橘さんのことを知ってる人はたくさんいると思いますが、店を閉める経緯やブランド立ち上げのこと、そこにかけてる想いなど、じっくり話を聞いてきました。後半は、奥様の真紀さんにも加わっていただき、馴れ初めや結婚前後の話、2人の仲良しエピソードといった、ちょっぴり甘めのエピソードもぶっちゃけてもらってます。かっこいい服を作ってる人って、当然中身の部分も真っ直ぐでかっこいいんですが、橘さんの場合はそこに愛らしさもあるんです。それはきっと、真紀さんと過ごしてきた時間の中で育まれたものなのかもしれません。今を楽しみ続ける2人のインタビュー、どうぞご愛読を!!
店を閉めることは、全然怖くなかった。その時にはもう、服作りの楽しさを知ってしまっていたから。
多くの服好きから惜しまれつつも閉店した『Boutique Hermitage』を経て、現在は<GOOD KARMA DEVELOPMENT>を立ち上げて活動されてますが、まずはブランド設立の経緯から聞かせてもらえればと思います。
30歳で店を始めて15周年を迎えた時に、ふと考えさせられたんです。毎日楽しかったし、充実もしてたけど、ほんまにあっという間で。当時45歳で、また次の15年を迎えたら60歳になってるじゃないですか。同じ15年を繰り返すんかなと思ったら、何か違うことが無性にしたくなったんです。
店を15年続けるってだけでもすごいことだと思いますが、橘さんの中で一区切りがついた感じだったんですかね。
別にやりきったと言えるほどのことはないんですけどね。店を始めた頃は何をしてても楽しかったけど、続けていくうちに麻痺していくんですよ。モチベーションの上がり方も昔と比べて変わってきてたのも感じてたし、コロナ禍もあって自分の人生をより見つめ直した感じかなと。でも、その要因は自分たちにもあるんです。人生もそうですが、店にもやっぱり変化は必要。僕らはずっと同じ場所で続けてて、拡大や移転することも頑なにしてきませんでしたから。まぁ、変化の重要性は、店を閉めてから気づいたんですけどね(笑)
変化って、先が見えない怖さもありますが、そこには新しい楽しさがやっぱりありますもんね。ちなみに、店を閉めたのが2021年7月18日ですが、<GOOD KARMA DEVELOPMENT>は確か2020年11月頃には立ち上げられてましたよね?
そうですね。店を閉めてから、自分で服を作ろうと思ってたんですが、友だちに相談したら「せっかく服を作るなら、店があるうちに作ってお客さんの反応を見てみたら?」と言われて。確かにその方がいいなと思い、最初に作ったのがリーバイスの1stタイプのレザージャケットです。
友だちの方も、まずビックリしたんじゃないですか?店を閉めるのもそうですし、服を作るってことに関しても。
閉めることを伝えたら、「なんで?」って言うてましたね(笑)。今まで服も作ったことがなかったし、かなり驚いてたとは思います…。
でも、あのレザージャケットはめちゃくちゃシブいです。<GOOD KARMA DEVELOPMENT>はレザーアイテムが軸ですが、元々その想いもあったんですか?
昔から革ジャンとかレザーアイテムが大好きでしたが、そんな構想はなかったんです。レザーだけじゃなくて布帛とか、いろんな生地も含めてトータル的に考えてました。ただ、店をしてる時から、70’sにあるようなナチュラルエッジを活かした革でジャケットを作ったら絶対ええよなって話はしてたので、まずはそれにトライすることに。革の工場を見つけることができたのも、一つのきっかけになりましたね。
頭の中で描いてたものが、実際にカタチになっていくプロセスも聞きたいです!
僕のイメージでは、ディアスキンでやりたいと思ってました。レザージャケットやけど、しんどくなくて、軽くてシャツに近い感覚で羽織れるものにしたいなと。でも、それで最初のサンプルを作ったら全然ダメで…(笑)。思ってる仕上がりと全然違うかったし、これはアカン。家に持ち帰って真紀ちゃんにも、売りたくないよなって話してましたね。
いきなり壁にぶつかったんですね。
そこからサンプルに手を加えて改良していくと、だいぶイイ感じにはなったんですが、理想にはまだ及ばない状態。どうしよかなって思ってると、たまたま工場にエゾシカの革があったんです。職人さんからディアスキンではなく、エゾシカをおすすめされたんですが、雰囲気は確かにイイけど、しんどくないレザージャケットとは無縁のゴツさ。でも、厚みを漉くと絶対にイケるって言うから試してみると、見違えるほどのものが仕上がってきました。「これやん!これヤバイやん!」って。ほんまに全然違うから、あの時の感動は今でも覚えてますね。
そんなに違ったんですね。でも、その喜びや感動って、すごく新鮮だったんじゃないですか?
店を閉めることを決めててモチベーションも宙ぶらりんな状態でしたが、一気に上がりましたね。何か違うことをしようと思って始めた服作りが、こんなにも楽しいのかと。今もそうですが、楽しくてしゃーないんですよ。
当時、服作りで新たな楽しさを得た反面、16年半続けてきた店を自ら失おうとすることに怖さとかはなかったんですか?
それは全然なかったですね。次にやることの楽しさを知ってしまっていたから、余計に。ただ、閉店することを告知して、最後の歩みを続けていた時は、店をしていてほんまによかったなと痛感しました。
エルミタージュ閉店の知らせは、服好きの間には衝撃が走ったと思います。えっ、マジで!?って感じで。
僕らもエルミタージュが大好きやったし、別に嫌いになるわけじゃないけど、どうなんかなぁ〜って思う時期も正直あったんです。でも、この店をこんなに大切にしてくれてたんや、こんなに愛してくれてたんやとか、お客さんからのいろんな想いを受け取った時は、店してきてよかったなと思いましたね。関西だけじゃなくて、東京や九州からも駆けつけてくれましたし、ありがたい気持ちしかなかったです。
閉店の時に、店の看板まで引き取ったお客さんもいましたもんね。これから先またいつか、店をする可能性もあったりしますかね?
うーん…、それは1ミリもないです(笑)。友だちやいろんな人からもよく聞かれるんですが、やっぱり服作りを続けていきたいし、店でいろんな経験をしたからこその今が楽しすぎるのでね。
橘 徹
南船場のカリスマ的ショップ『Boutique Hermitage』の幕を下ろした後、レザーアイテムを軸に展開する<GOOD KARMA DEVELOPMENT>を立ち上げる。妥協のないこだわりと、長年培ってきた見識から作られるアイテムは、リリースする度に即完するほどの人気ぶり。趣味はサーフィンで、現在はタイミングを見つけてマイペースに続けているが、ひどい時は睡眠時間を削って週4も出かけていたそう。1年の半分以上はサンダルで過ごし、橘さんが靴を履くといよいよ寒い季節になってきたと巷では言われている。
橘 真紀
アメ村の人気美容室で長年に渡ってトップスタイリストを務め、結婚を機に退職。徹さんが『Boutique Hermitage』をスタートしてからは共に店頭に立ち、店の成長をサポート。現在は「何もしてない」とは言いつつも、徹さんを支えながら要所で大切な役割を担う。最近は米粉でのお菓子作りにハマり中。もちろん徹さんのヘアカットも行い、名実ともに人生のスタイリストでもある。