「私の原点はアメリカ村!」。<モマパッチワーク>のモマさんに聞く、地球に優しいモノ作りとご自身のファッションのこと。
アメリカ古着やヴィンテージのファブリックをベースに、国内外の素材をミクスチャーして新たなプロダクトを生み出す<モマパッチワーク>のモマさん。くりんくりんのアフロヘアと個性溢れるファッションが印象的な彼女が手がける作品には、さまざまな色や柄が散りばめられ、眺めているだけでハッピーな気分になれます。ストリートの全盛期といわれる90年代後半にアメ村の古着屋で働いていたモマさんは、生粋の古着っ子であると同時に、海外での暮らしを経た今も「大阪が一番!」と豪語する大阪大好きっ子。今回は、<モマパッチワーク>としての活動やご自身のファッション、そして当時のアメ村のことについて伺いました。チャーミングな笑顔と明るい人柄に、惹き込まれてしまうこと間違いなしです!
大阪に住み始めたことをきっかけにデザインが変化。さまざまな経験を積んで、古着を大改造できるようになりました。
まずは、モマさんのこれまでのことを教えてください。
高校を卒業して、20歳くらいまでアメ村の古着屋『無国籍百貨』で働いてました。その頃もめっちゃ派手なアフロヘアの店員さんでした。
そこは今も健在なんですね(笑)
そうですね。ちょっと大人になっただけで、あまり変わってないです。
その頃のアメ村には、アフロヘアの人がたくさんいたんですか?
アフロもだけどカーリー、ドレッドもたくさんいましたよ。とにかくハードなヘアスタイルが多くて、そのなかでも私が一番大きなアフロでした(笑)
アフロって大きければ大きいほど良しとされるものなんでしょうか?
大きさより丸さが大事かなぁ。
丸さが大事なんですね、それは知らなかったです(笑)
その後21歳から23歳くらいまで『フールザハーミット』というヒッピーテイストのお店で働いて、そこで店長の友達のアメリカ人と知り合って結婚したんです。当時海外の方と結婚するのってめっちゃ大変で、23歳で婚約したんですが、2年くらいかかってようやく結婚できました。婚約中は遠距離恋愛をしながらカリフォルニアと日本を行き来していて、結婚後はハワイに住んでいたんです。彼の仕事に合わせて、色んな土地を転々としていました。
しばらく海外で生活されてたんですね。ハンドメイドの作品を作り始めたきっかけはありますか?
カリフォルニアに住んでいた時、就労ビザがなかったので販売員ができなくて。「外で働けないから家で縫い物をしよう!」と服を作り始めました。
当時はどんなものを作ってたんですか?
コーデュロイ素材のパッチワークをたくさん作っていました。アメリカのロックバンド<PHISH>が好きで、ツアーの追っかけをしていたんですが、ライブ会場の駐車場でハンドメイドの作品をみんなが販売していたんです。
これは22歳の時に行ったライブでの写真です。ファンの子たちは夏のツアーを1ヶ月、秋と冬のツアーを1週間ずっと追いかけるから、その期間は仕事やバイトができなくて。自分で作った花輪やヘンプのネックレス、パッチワークの洋服を売って、そのお金でチケットを譲ってもらってライブを観るという生活をしていたんです。私は日本に作品を送っていたんですけど、このカルチャーからかなり影響を受けて、パッチワークが大好きになりました。
めちゃくちゃ楽しそうですね。もともと手芸は得意だったんですか?
幼稚園の頃からおばあちゃんに教えてもらってました。学生時代に『Zipper』を読んでいて、欲しいと思ったものが買えないから自分で作ってみるとか。専門学校も行ってないので、こんな感じかなと独学で作っていたんです。逆に習ってないからこそ、大胆なモノ作りができるというのもあると思います。いつも無茶なリメイクをしてるから、教えてもらっていたら神経質になってできないかも(笑)
日本に帰国されたのはいつ頃なんですか?
2008年くらいかな。帰国した時にはすでに<モマパッチワーク>を立ち上げていて、ミナミにある子ども服やレディースのアパレルに勤めながら制作活動をしていました。そこで改めてミナミの個人経営のお店って楽しいなと感じて、2012年にショップ兼アトリエを堀江にオープンしたんです。2018年に阿波座に移転してからは百貨店への出展が増えて、徐々にポップアップが主体になりました。今は実店舗としての機能を完全になくして、ポップアップオンリーで活動しています。
初期の<モマパッチワーク>では、どんな作品を制作されてたんですか?
古着とヴィンテージのファブリックを組み合わせたエプロンやターバンですね。ターバンは古着のシャツを、エプロンは凸凹のパッチワークをベースに作っています。アメリカで山や緑に囲まれた暮らしをしていた頃はアースカラーのパッチワークが多かったんですが、大阪に住み始めるとかなり派手でガチャガチャしたデザインになりました。立体的なパッチワークも、大阪に帰ってきてから急にやり始めたんです。ちょっと不思議なんですけど、街の影響かもしれないですね(笑)
暮らしの環境とともに作風も変化したんですね、とても興味深いです。ブランド名にも“パッチワーク”を使われていますし、やっぱりパッチワークが好きという想いがブランドの原点なのでしょうか?
そうですね。パッチワークは本当に飽きたことがなくて、作るのはもちろん眺めるのも大好きです。
作風はそこからかなり変わってきていますか?
どんどん変わっていってますね。ここ数年で古着のグレードも上がったと思います。材料もヴィンテージまではいかないけど、リサイクル古着じゃなくきちんと古着屋さんに並んでるような質のいいものになってきました。アレンジの仕方も年々変わってきていて、技術が少しずつ向上している気はします。
古着そのものとしての良さもあるわけで、アレンジの仕方が変わってきたというのは、大胆に作り替える怖さがなくなったようなイメージですか?
それもあります。以前はジーパンをスカートにしたり、ジーパンのサイドにパッチワークをあしらったり、もの自体の形を大幅に変えるようなリメイクはしてなかったんです。最近はモノの形自体を簡単に変えちゃうようになりました。ベースを基にリメイクするだけじゃなくて、自由に大改造できるようになりましたね。いつも設計図もなく無計画に作るんですが、潔くカットして贅沢に古着を使えるようになりました。
よく見るとほんとに大胆ですね。新作のラガーシャツもかわいいです。
ありがとうございます。最近ラガーシャツが古着屋で全然売れへんっていうのを聞いて、考案した作品が若干当たってるんです(笑)。最初はスウェットを切ってスカートを付ける、みたいなベースの形から想像できるリメイクだったのが、少しずつ進化して今まで見たことないようなものを作れるようになりました。めちゃくちゃ良い服はさすがに切らないですが、以前だともったいないと思ったり古着の価値を下げたらあかんっていうプレッシャーがあったりしたんです。そこを乗り越えることで、新たなステップに進んだ感じですね。ますますリメイクが楽しくなりました。
モマ
大阪出身。高校卒業後、アメリカ村の古着店やアパレルで働いたのち、結婚してさまざまな国を転々としながら過ごす。その間アメリカのヒッピーカルチャーに影響を受け、US古着やファブリックを用いたブランド<モマパッチワーク>をスタート。帰国後は大阪市内にアトリエ兼ショップをオープンし、現在はポップアップオンリーにシフト。
MOMA PATCHWORK
「地球に優しく・自然と仲良く」をモットーに、古着や古布、国内外のさまざまな素材を用いた洋服やターバン、帽子などを展開。色や柄をふんだんに散りばめたパッチワークには、独自のセンスと感性、そしてモマさんがこれまで見てきたさまざまなカルチャーが詰め込まれている。