Interview & Writing
羯磨 雅史
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羯磨 雅史
Flash Light

名古屋を拠点にしつつも、その姿はまさに神出鬼没。ファッションでいうと、<ブルーナボイン>と深い交流があり、名古屋でその知名度を一気に押し上げたひと、といえば分かりやすいだろうか。 また、出身である『ビームス』の東京の店舗でも幾多の企画をディレクションするほか、心斎橋パルコでは、昨年のオープンより欠かすことなくポップアップイベントを開催。イベントのみならず、あるときはライターも。そんな肩書き無用の人物、五十嵐さんに会ってきました。

アパレルとライフスタイルを組み合わせたマーケット型ショップをいち早く確立。

名古屋に住んでどれくらいですか?

ぼく、周りから名古屋人って思われているんですが、実は福井県出身なんですよ。
大学が名古屋だったので、進学を機に移り住んで。 まあ、でも地元が近いので愛知県民みたいな感じです(笑)

なるほど。それは福井県民ですね(笑)。大学卒業後は何をされていたんですか?

大学在学中の22歳からビームスでアルバイトをしていて、大学卒業と同時くらいに社員になって。 ビームスではいろんなことをさせてもらえて、ものすごく勉強になりましたね。名古屋店舗での販売はもちろん、いろんなポップアップ企画や、兵庫県・三田のアウトレット店の立ち上げに関わったり、仙台にいったり。VMDをやらせてもらったのがビームスでの最後の仕事でした。いま思うと充実してましたね(笑)

ビームスにはいつまでいました?

31歳ですね。その後は名古屋の建築デザイン事務所に入って、デザインの修行をして。で、いろいろと学んでいくなかで、ばっくりと面白そうだな、と構想したのが“いろんなお店の商品をセレクトしたショップ”。そのデザイン事務所で仕事しながら立ち上げたわけですが、付けた屋号が『THE SHOP』で。

当時は店名に“THE”を付けるのが若干流行ってましたもんね。

まさにそうで、スタートしてから気づいたんですが、案の定他店と名前が被ってるっていう(笑)。 で、店名を変えようとメンバーと考えて、僕たちは“景色を想像する”チームやな、と意見がまとまり、『THE VIEW』というブランドとしてリスタートしましたね。

またも“THE”ですか。そこではどんな商品を展開していました?

アパレルに食品、花器、アート、書籍…。いまとほぼ一緒ですね(笑)。それこそ、いまのポピュラーなカタチですが、その当時にいろんなお店の商品をセレクトしてブランド化したのって、ある人が言うには僕がパイオニアらしく。まあそれは大袈裟だったとしても早かったんだな、と自分でも思います。

その頃だったかな。 勤めていた会社が小さなビルを丸々一棟買って。で、社長から「五十嵐くんの自由にしていいよ」って。

それくらい自由な感じって会社員の憧れですよね(笑)

いま思うとほんと自由だったなって思います。それで、僕のディレクションでグリーン屋さんやコーヒー屋さん、雑貨屋さんなどを誘致して、ってことをやってたんですが、入ってくれたコーヒー屋さんの方がものすごく面白いひとで、しばらくバリスタの修行みたいなことをさせてもらいましたね。会社が休みの日に週イチで。で、「五十嵐くんひとりで淹れられるね」ってなったタイミングで、自分でもコーヒー事業を立ち上げて。『coffee please』っていう屋号で店舗を持たず、その名の通り「コーヒーちょうだい」って言われたらどこへでも行くっていうスタイルで、マーケットイベントやフェスなどいろんなイベントに出向いて。

coffee pleaseである程度の手応えみたいなものを掴んだのが独立のきっかけですね。

独立されたのは、おいくつの時ですか?

いまが41なので、36歳だったかな。ちょうどその頃、昨年休刊したファッション誌<カジカジ>の別冊の、名古屋のファッション・カルチャーに特化した年1回発行の雑誌<N:BOOK>の立ち上げにも関わらせてもらって。当時の編集長、岩井さん(現 IMA:ZINE代表)がビームス本社経由で僕に声をかけてくださって。名古屋の生の情報を共有したりで、創刊から実質最後となるVOL.6まで毎号関わらせていただいてましたね。なんと、ライターとしても使ってもらったり(笑)。

N:BOOKに掲載されているショップやブランドの商品で構成された『N:BOOK STORE』。名古屋パルコにて開催された当時の模様。

マルチですね(笑)。まるで、ハイパーメディアクリ…なんとかみたいな。

バカにしてるでしょ(笑)。いやでも、カジカジの催事のディレクションをさせてもらったり、N:BOOKの福岡版にも関わらせてもらって、取材時のご縁などから自分の仕事に繋がったり、某全国誌にも声をかけていただいたりで。なので、岩井さんから声をかけてもらってなかったら、今はもっと違った僕だったと思います。ホントに感謝してますよ! これ書いといてくださいね(笑)

「THE VIEW」や「coffee please」がいまの原型。

いまは『FLASH LIGHT』というブランドですが、どういった経緯でブランド名を変更されたのですか?

なんか色々とやりすぎてるなーって思って。31歳から『THE SHOP』、『THE VIEW』をやって『coffe please』もやって、他にも催事ごとに名前がいろいろあって。
それを整理するということと、ちょうど40歳になったのを機に屋号を『Flash Light』に統一しました。 僕はこの10年間いろんな人や物にスポットライト当ててきたつもりなんですが、そのまんまSpot Lightって名前はちょっとイヤだな、って。なので、懐中電灯って意味もある「Flash Light」にして。あと、名前が光一なので「一瞬光る」という意味もあります(笑)。

関西との繋がりはどんな感じですが?

さっきお話したとおり、三田のアウトレット店の立ち上げでしばらく住んでたのもあるし、カジカジの撮影やイベントにも関わっていたのでしょっちゅう来てましたね。
あと、<ブルーナボイン>は長いこと良くしていただいていて、名古屋でのポップアップの際は僕がディレクションさせていただいてます。限定アイテムも仕込んだり。

ほかの地方では?

博多の百貨店での催事や、東京だと一昨年・昨年と、新宿の「ビームス ジャパン」で“HUB”という名古屋の名物ハンバーガー店「KAKUOUZAN LARDER」の丹羽さんとのプロジェクトで催事をさせてもらって。
このHUBに関しては今年3月から4月にかけて心斎橋パルコでも開催していましたね。

心斎橋パルコではいろんなイベントやポップアップに関わっているんですね。

HUBもそうですし、B1Fのイベントスペースでは良質な陶芸やプロダクトデザインを扱う「花器食器」と、御堂筋線改札側のエントランス横では「Zi-tempo」という“店舗を持たないフードジャンキーたちが集う”というコンセプトで飲食店を運営させてもらったり。ただ、この3つは同時開催だったので、久々に死にそうでしたけどね(笑)

心斎橋パルコにて五十嵐さんがディレクションを務めたポップアップイベントの模様

4月末から緊急事態宣言が出て、心斎橋パルコも休業を余儀なくされてしまいました。その影響はいかがですか?

心斎橋パルコでのイベント含め、全部飛びました(笑)。いろいろと進行していたのですが、一旦ストップで。ただ、僕去年の11月からずっとノンストップで動いていたので、一旦リセットというか落ち着ける、と思って今はおとなしくしてますね。ようやく最近PS5を手に入れたことですし(笑)。8月くらいから僕がディレクションするイベントの再開を予定しているので、ぜひ遊びにきてください!

ほんとコロナ憎し、ですね。次回の催事を楽しみにしています! 今回はありがとうございました。

Profile

五十嵐 光一

福井県出身。大学進学とともに名古屋に移り住み、在学中よりビームスへ入社。退社後は、建築デザイン事務所を経て、イベントの企画運営を軸としたプロジェクトをスタートする。東西のアパレルメーカーやブランドとの繋がりも深く、様々なモノ・コト・ヒトを結びつけることで、新しいファッション・カルチャーを創造。様々な商業施設をメインに、不定期かつ大ボリュームなポップアップイベントのディクションを担当するなど、主要都市を股に掛けるキーマン。

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