ずっと物足りない、つまらない。「満たされなさ」を推進力にするアーティスト・きゃらあいの未来。
昔は自分が思っていることと全く違う解釈をされると、全然伝わってない!ってやっぱりムカッとすることもあったんですよ。
デジタルとアナログで、表現するものに影響はありますか?
デジタルとアナログって私の中では別軸で。デジタルで描くときは、女の子も表情があったり、人をかわいく魅力的に描いてるんですけど、絵具で描くときは、人がかわいいことは前提として、そこじゃないものを描いてるつもりなんです。でも、それをどう表現すればいいんだろうっていうのはずっと悩んでて。
それは自分のひねくれた部分というか、好きなものを描いてはいけないっていう感じがずっとあるんです。好きなものを好きですって表明するのは恥ずかしいことというか。それはあまりよくないことだという思い込みがあって。だから大学時代の作品は、今よりちょっと暗いんですよね。ダークですよね。女の子も素直にかわいいというより、ちょっとボーイッシュだったりとか。かわいい女の子として描いてない。
たしかに、色使いも今より暗いし、女の子たちの雰囲気も違いますね。
この数年感は、こういう絵をずっと描いてました。絵を描くときって自分のことを考えたり、生き方とか考え方を振り返れるんですけど、その中で、自分にとって子供の頃に好きだった少女漫画やファンシーグッズって、すごく大事だったなってあらためて思うようになって。描き続けるうちに、自分のなかで完結できそうだなって感じが見えてきたんです。
好きなものを表現してはいけないと思い込んでいた気持ちが、少しずつ薄らいで。
そこからは、やっぱり自分が好きなファンシーな表現を、恥ずかしがらずにやってみたいと思うようになりました。それに、多分そっちのほうが自分は得意なんだろうなっていうのもわかってたんです。自分の表現のちぐはぐさ、こじれてた部分が、ひたすら絵を描いて展示して人に見てもらってるうちにちょっとずつほどけてきて、素直になれたみたいな。
たくさん描いて、こじれきったのかもしれないですね。アーティストさんにはつい、作品にどんなメッセージを込めましたか?とか聞いてしまうんですけど、きゃらあいさんはその時々の思いが絵に出ている感じなのかなと思いました。
そうかもしれないですね。大学時代にいろいろな作品を鑑賞した中で、私はその人の人生がちゃんと映し出されてるみたいな、そのアーティストの人生があらわれてる作品にすごく惹かれて。人間が生まれてから死ぬまで、どういう境遇でどういう人生を歩んだか。それぞれの時代背景のなかで、そういうものを残してくれてる作品がいいなと思うんですね。
自分がどういうふうに活動していくかを大きく考えたときに、社会を変えるとかって、私はあんまり責任が持てないなと思って。自分のひねくれてる部分を素直に掘り下げて生まれた作品は、すごく個人的なものではあるんだけど、それを発表することで似た境遇の人とか同じ経験のある人たちの気持ちが、ちょっとでも楽なったらいいなっていう気持ちですね。
世間になにかを問うとか、メッセージを発するとかではなくて。
自分の内面を掘り下げることも、社会の一部というか、ひとつのサンプルかなと思うので。だから、ずっと昔から自分の環境とか想いみたいなものを素直に掘っていけば、なにかが見えるだろうっていうのは思って描いてますね。日記というわけでもないけど、でも日記的なもの。エッセイみたいに、その時々に自分が思っていたことを嚙み砕いて、自分の目線で表現したらこうなったっていう。
そのときの自分の心の状態が表現されてるんですね。見る人の解釈についてはどうですか?大学ではアート鑑賞を勉強されていたので、自分の作品を解釈されることについてどう感じるか、気になります。
昔は自分が思っていることと全く違う解釈をされると、全然伝わってない!ってやっぱりムカッとすることもあったんですよ。でも大学でアート鑑賞を学んで、その人の生き方や境遇で、悲しそうにも楽しそうにも見えるとか、いろいろな意見が出ることを知ったので。だから、幅広い意見を受け止められる絵を描きたいって思ってます、自分の表現では。どう思ってもらってもいいし、怒らない(笑)
わかってないやん!とはならない(笑)
ここからここまでなら、好きに解釈してもらってOKっていう、ある程度の幅を持たせて描くようにしてますね。イラストとアートの違いみたいな話になるんですけど、私にとってイラストはデザインのひとつなので、伝えたいことをわかりやすく表現するもの。対してアートというか芸術はもうちょっと幅広く意味をとれるように、こういう解釈もできるし、こういう解釈もあるっていうのを許容できるものだと思ってるんですね。ただ、絶対こう解釈してほしくないという部分はあるので、それを想起させるような要素はいれないようにするんですけど。だから、自分の想いはあるけれど、それを広く受け止められる絵にしようっていうのはすごく心がけてます。
見る側のコンディションによっても絵の解釈って変わるんですね。
変わりますね。自分でも、今日はこの作品を見るとしんどくなるな、とかありますし。人は幅広く解釈するんだっていうのは自分の心に常にあって、そこも包み込めると言うとおこがましいですけど、全部キャッチできますよっていう。ここからここまでの中で、何か受け取ってもらえるようなものを描きます、みたいな。
きゃらあい
大阪府出身、京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)アートプロデュース学科卒業。『ゆらぎの中にいる自覚』を主なテーマとしている。SNSで多様な価値観に触れられる時代、さまざまなものを吸収して、何が正しいのか、自分の意見や属性すらも分からなくなる浮遊感が自身の中に根強くあり、作品制作はそれを受け止める器にもなっている。幼い頃に親しんだ少女漫画のような大きな瞳や、ファンシー雑貨のような色彩など、独自のキャッチーさで鑑賞者を引き込み、描かれた人物と対話ができるような作品づくりを続けている。