日常と表現の間でもがきながら、それでも表現することをやめない主婦美術家・犬飼沙絵さんの葛藤。
二次試験の面談でずらっと並んだ教授陣が、私のポートフォリオを見て最初に言ったのが、「君はここを慈善団体だと思ってるの?」
ちょっと遡ってお聞きするんですが、アートの分野に進んだのは、どんなきっかけですか?
単純に絵が好きで、成績も美術と図工だけは良かったんです。だから進路を考えたときに、じゃあ美大かって感じで油絵の予備校に行こうとしたんですけど、「油絵やっても食えねーぞ」って面接でいきなり言われて。
そんなことを面接で!?
食えるかどうかなんて考えてなかったのに、大人の言うことを鵜呑みにして、それならデザイン科をめざそうってことで予備校のデザイン工芸科のコースに通い出すんです。でも平面構成とかきっちりした絵が得意じゃなくて、なんかデザインじゃないんだなって思って。浪人して工芸科を受けようと思って勉強してた時に、9.11(アメリカ同時多発テロ事件)が起きたんですよ。それにすごく影響を受けて、世界がこんなことになってるのに、私はなんで1日9時間もビール瓶とか石膏をデッサンしてるんだ!と思って、急に先端芸術表現科に行こうと思い立つんです。
先端芸術表現科というのは?
東京藝術大学にある、いわゆるアーティスト育成の学部なんですけど。でももうデッサンとかじゃなくて作品を作りたくなって、浪人生なのに、戦争とか平和関連の作品を作り始めるんです。代々木公園に百何十枚も人工芝のシートを持って行って、それで大きく「大自然」って書いたりとか、ゴミで作った防護服を着て池袋でゴミ拾いをしてそのまま電車に乗るとか。アフガニスタンのボランティアセンターに通って、現地に絵を届けてもらったりもしてたんですけど、そしたら父親に「お前がやってることは偽善だな」って言われたんですね。全くそんなつもりはなくて、自分は平和に暮らしてきたのに、実は世界は全然平和じゃなかったことにびっくりしての反応だったんだけど、そう言われたことがすごくショックで。そんな状況で先端芸術表現科を受験するんですけど、二次試験の面談でずらっと並んだ教授陣が、私のポートフォリオを見て最初に言ったのが、「君はここを慈善団体だと思ってるの?」。今ならちゃんと返せるかもしれないけど当時は何も言えずに、結局落ちちゃったんですね。その時に、私が作品を作る根源は、30歳になるまで封印しようと思ったんです。平和ってものが何かの答えが見つからなかったから、「戦争をなくす」を根源に作品づくりをしてたんだけど、私の心が平和じゃなくなってたから。まだ19歳で若かったし、戦争をなくすことを根源にしつつも、それがわからない形で作品にしようと思って。
犬飼さんの作品の根源というかスタートが、「戦争をなくす」だったのは意外でした。
実際に30歳になったときは、子育てで生きるか死ぬかみたいになっちゃって。もうすぐ40歳で今はそこが根源かどうかちょっとわからないんだけど、作品を作りはじめた根源はそこですね。
先ほどの、ゴミで作った防護服を着てゴミ拾いをするパフォーマンスもそうですし、オランダ時代にはIKEAのモデルルームで3日間生活するという作品も作っておられましたが、どういう思考のプロセスでああいうアウトプットになるのか、私なんかは想像もつかないんですが…。
それもよく聞かれてうれしいんですけど、美術館とかに行ったときの違和感。私シャガールが好きだったりで美術館にも行くんだけど、絵を見てる人達の雰囲気に耐えられないんです。みんな音声ガイド聞いたりしながら、押し合いにならないように順番に絵を見ていくっていうあの空間に耐えられなくて。あそこの空間自体がもう作品みたいになってるじゃないですか。なんていうか…そういうものに接することのできる人は、ちょっと上流というか。なぜアートがもっと日常とか身近にないんだろうって。あったとしても、私がそうだったように、余裕がないときは文化やアートが見えないものだと思うし。でもそういうものが誰かの支えになるかもしれない。だから、もうちょっと巻き込まれる感じがいいのかなって思って。
巻き込まれる?
オランダで最初に作った『自画像』という作品があって、それはアムステルダムを3日間歩いて、「私の顔を描いてください」っていろんな人に声をかけるんです。最初は、絵を集めようと思ったんですね。でも3日目に、これは絵じゃないなって。断られることもあるから、それも含めて“なにか”だなと思って、3日目だけビデオを回したんです。私が声をかけて、そこからラリーが始まる、その存在自体が私の自画像でもあり、彼らの存在が私の中に作られた瞬間でもあるから。この時に初めて、この手法に気づいたのかな。作品なんだけど、作って倉庫に入れるものではなくて、もうちょっと留まっていかないものを作ろうってなんとなく思いました。
作る過程も含めた作品、みたいな。
そう、彼らは作品とも気づいてないと思うんですよ。私の絵を描かなかったら、作品に参加してないと思うじゃないですか。でも、断るところも作品になってる。ゴールはあんまり重要じゃなくて、そこにたどり着かなくてもいい。プロセスがゴールっていう感じ。
それは最初から、こういうものにしたいというイメージは持ちながらスタートするんですか?
なんとなく感覚的に、こういう行為をしたら私が見たいことが起こりそうだなと思って始めます。例えば、しんどい断られ方をすることもあるけど、それもがんばって、すべてが完成というか。でも、それを作品とせずに日常でするのはまた違う。作品という枠組みを意識してやるから、ある意味耐えられるのかなと思います。
作品という意識があるからこそ、しんどいことも乗り越えられるみたいな?
そうですね。そう思うと、子供を産み育てることがずっと続いたままだから、実はずっと作品を作ってる最中かもしれない。『よしおかさんち』っていう家族ユニットも一応組んでるっていうか、私が言ってるだけなんだけど(笑)。これも特に何をするわけでもないけど、前提を作ることによって日常が日常でなくなるというか。
犬飼 沙絵
主婦現代美術家。1985年生まれ。愛知県出身、小学4年生から高校卒業までを東京都で過ごす。2005年からサラエヴォ国際文化交流(SICE)に参加。2010年にオランダ・ロッテルダムの王立ウィレム・デ・クーニングアカデミー ファインアート学科を首席で卒業。当時の主な作品は、IKEAに3日間住む「認識の創造」(パフォーマンス, 2008, オランダ)、ジョン・ケージ「4’33”」オマージュコンサートでスタッフに変装をし、観客に耳栓を配る「for John Cage」(パフォーマンス, 2010, ベルギー)など。2011年に日本で長男を出産、現在は3児の子育て中。2023年より奈良女子大学の山崎明子教授と出会い、ジェンダーやフェミニズムについて学ぶ。「よしおかさんち」という家族5人の表現ユニットで、「千のおうち」プロジェクトを進行中。