街に愛されて残るものを。WHOLE9の2人が描き続けるのは、具象と抽象が織り成す、いくつもの繋がりを生む世界。
ビルの壁面、建物のファサード、ホテルやオフィスの空間など、国内外のありとあらゆる壁に絵を描き続け、さまざまなイベントやフェスでもライブペイントを行っているアーティストユニット・WHOLE9。学生時代からキャリアを積み上げてきた2人の絵を「観たことある!」って人も多いんじゃないでしょうか。そんな彼がコロナ禍に立ち上げたプロジェクト「CYC」が完成したということで、次なる制作の合間を縫って話を聞いてきました!アメリカやアジアにも活動シーンを広げ、日本で活躍するペインターの中でも乗りに乗ってるhitchとsimoの2人が歩んできた道とは、これから描くものとは。人を立ち止まらせ、気づいたら眺めさせている、没入感のある絵が生み出されていくWHOLE9の世界に迫ります。ほんの数秒、数分でも人の気持ちや行動を動かす絵の力って、改めてすごいなと思いました!
大学の先生には「絵描きでは食ってけない」と言われてたけど、ストリートアートで活躍してる人を自分たちの目で観てたから、先生の言うことが素直に信じられなかった。
結成15年目を迎え、壁画制作やライブペイントを中心に活動シーンを広げ続けてる2人ですが、大学の同級生だったんですよね?
h:大阪芸大のデザイン学科の同級生でした。僕はグラフィックデザイン専攻で、simoはイラスト専攻だったんですが、たまに一緒になる授業があって話すうちに仲良くなった感じですね。
ユニットを組むキッカケは?
s:絵を描くのが好きで大芸に入ったので、授業中もずっと落書きをしてたんです。hitchも同じように落書きしてたんで、遊びで一緒に絵を描いてみようって。その頃にライブペイントの存在をhitchから聞いて知ったから、「やってみよっか?大きい絵を描こう!」という流れで始めました。
h:僕自身、グラフィックデザイン専攻が何かも理解しないまま入学したんで、絵を描けると思ってたら全然描けない状況で…。先生からも「絵描きでは食っていけない!」なんて言われてたし、どうすれば絵を描いて食っていけるかを模索してたタイミングだったんです。しかも、マンガ家になりたくて芸大に入ったのに…(笑)
マンガ家志望でグラフィックデザイン学科は、違いすぎますね(笑)
h:それでsimoと同様に落書きをずっとしてて、大学1回生の終わりの頃にグループを組んだんです。最初は3人で、今は2人で活動を続けてます。
お互いの“描きたい欲”がリンクして生まれたんですね。ちなみにWHOLE9の名前の由来は?
h:僕らはサークルにも入ってなかったから、大学の9号館の前にずっといてたんですよ。だから、9がつく名前がいいなと思ってネットでスラングを探して見つけたのが、WHOLE9。「全部をもらう」という意味です。
なるほど。それっぽい感もだし、意味もいいですよね。そこからWHOLE9としてはどんな活動をしていったんですか?
s:確か最初に呼んでもらったのが、『なんばhatch』のイベントです。友だちがスタッフとして関わってたので誘ってもらい、ライブペイントをしましたね。
h:僕らの時代はすでにライブペイントカルチャーが先人たちのおかげで普及していました。なので、今ある場所に参加させてもらうことでシーンに入って行った感じです。
でも、いきなりの大バコ!作品サイズも大きいでしょうし、難しさや緊張はありました?
s:そもそも大きな絵を描くために組んだのがWHOLE9なので、難しさや緊張よりも楽しさしかなかったですね。
h:大きな絵を描くことがスタートラインだし、ちゃんと絵を描こうと思ったのもそこ。作品サイズに難しさを感じることもなく、楽しさが勝っていたんですよ。
描きたい欲が一気に解放されたと。楽しむって、やっぱり大事ですね。このイベントがWHOLE9としてのスタートラインにもなってるとは思いますが、活動も加速していったんですか?
s:自分たちから働きかけてイベントに出たり、これまで関わりのなかった方からも声をかけてもらえるようにもなっていきましたね。続けていくと知り合いもどんどん増えますし、それに比例して呼んでくれる人も増えていった感じです。ライブペイントだけじゃなく、壁画制作の依頼ももらえるようになって、描くことが徐々に仕事にもなっていきましたから。
学生だけど、学外での活動が増えていくことに対して、当時はどんな想いを持っていたんですか?
h:先生には「絵描きでは食ってけない」と言われてたけど、ストリートアートで活躍してる人は知ってたし、自分たちの目でも観ていたので、先生の言うことが素直に信じられなかった。「街にはいっぱいいるやん!」と思ってたし、そもそも絵を描くこと自体が、大学の先生に評価してもらうためにやるもんじゃないなと。それよりも自分たちを評価してくれる人が街にはいたので、認めてくれない人のそばで頑張るよりも、楽しいと思える人と繋がった方が絶対にいいですからね。正直、大学で何かしたっていうのはほとんど記憶にないんですよ(笑)
s:そういう思考やスタイルで活動してたので、digmeoutの古谷さん(現TANK酒場)にも会いに行ったりしてましたね。
h:在学中に絵を描いて食っていくという目標があったんです。会える人にはとにかく会いに行きましたし、学内よりも学外に視線は向いていました。
ただ楽しんで絵を描くだけじゃなくて、そういった意識を持ってるからこそ活動内容が広がっていったんですね。でも、特に芸大生の場合はアーティストになるか、就職するかという大きな岐路があると思うんですが、2人はどんな選択を?
h:simoは5年間やったしな(笑)
s:まだやりたいことがあったし、やり残したことがあったから…(笑)
h:そんな意志ちゃうやろ(笑)。僕は3回生の時に就活もしたし、卒業して普通の社会人になったんです。在学中に絵を描いて食っていくことを目標にはしてたんですが、やっぱり難しさも感じました。就活が始まる時期はみんな不安になるし、正直ブレてしまいますね。「ほんまに食えんのか?」って。
ちなみにhitchさんの就職先は?
h:パッケージを作る会社の企画営業ですね。でも、めちゃくちゃハードで、入社して3ヶ月で飛びましたけど(笑)
超スピード退社ですね(笑)。まぁ、見切りが早いというか、今こうして話を聞いてると結果的にはいい決断だったとは思いますが…。
h:4月の時点でもう無理やなと思ってましたからね。会社が東京だったので、営業の外回り中に昔お世話になった人に片っ端から会いに行ってたんです。「もうすぐ辞めるので、また仕事させてくだい!」って(笑)
s:実際それで仕事をちょくちょく持ってきてましたからね。
h:僕の卒業を機にWHOLE9は一度解散したんですが、仕事もまた増やせると思ったので、「もう1回やろう!」と声かけたんです。東京に来てもらってイベントにも出たりしてたから、解散して3ヶ月後に再結成しました。
当時の他のメンバーは?
s:3人グループだったんですが、もう1人も5回生してました(笑)
h:僕は1年早く卒業して、結果的には再結成しますが、就活の時期とかは3人でめちゃくちゃ悩んでましたね。
理想と現実に直面しつつも、hitchさんが先に卒業したのが功を奏したのかもしれませんね。simoさんは就活してたんですか?
s:ほぼしてないですね。絵描きとして進んでいく覚悟をぼんやりと持ってたので、卒業後はフリーターしながら活動しようと思ってました。もう1人のメンバーは今は彫り師をしてるんですが、卒業後は弟子入りしつつWHOLE9としても活動していた感じです。
h:3人だったのは学生時代を含めて6年くらいですかね。もう1人のメンバーは彫り師に専念するためにWHOLE9を卒業したので、そこからはsimoと2人で今日まで活動を続けてきました。