Interview & Writing
前出 明弘

初写真集『うたたね』(2001年)から20年という歳⽉の中で、⽇常の出来事から外の世界へとまなざしを向けながら、近作『Halo』(2017年)では、遠い宇宙を感じさせるイメージを切り開いてきた川内倫⼦さん。今回刊⾏した写真集『as it is』(torch press)は、⾃⾝の出産から約3年間、⼦育ての中で出会った⼦どもの姿や⾝近な⾵景を撮りためて構成したもの。⼤阪では約20年ぶりの個展となる『as it is』の開催準備で来阪した川内倫⼦さんに、写真集のこと、⼦どものこと、そして、⼤阪での下積み時代や上京後のエピソードなどなど、いろいろお話を聞いてきました。

「倫ちゃんが⼀番したいと思ってることの、近い場所に⾏った⽅がいい」という⾔葉があったから。

⽣まれは滋賀県ですが、育ったのは⼤阪なんですよね?

そうなんです。⼤阪市の鶴⾒区です。だから⼤阪弁を聞くと、帰って来たなって思います。

それも⾔葉の⼒ですね。では、よろしくお願いします!短⼤卒業後に就職した⼤阪の広告制作会社は、フォトグラファーとしての採⽤だったんですか?

写真部のアシスタントとしての採⽤ですね。でも、学⽣時代は写真の授業が週に1回あった程度で、専⾨的なスキルは乏しかったけど、⾯接では「だいたいの作業はできます!」って⾔い切っちゃって。先輩から「何もできへんやん」と⾔われながらも、いろいろ教えていただきながら、働きながら学ばせてもらってました。今考えると、ほんと申し訳ないなって思いますね(笑)。

⾔ったもん勝ちですからね。じゃ、そこからどんどん技術を⾝につけていった感じですか?

いや、そうでもなくて。実は、⼊社して1年後に会社の写真部が解散になって…。

えっ!いきなりの展開。

バブルがはじけて2年後くらいの時期で、会社としても苦渋の決断だったのかなと。これまでの仕事は継続的にまわしてくれるという話で、先輩たちはみんなフリーランスとして独⽴しました。でも、私はアシスタント経験が1年しかなかったので。会社側もさすがにかわいそうだと思ったのか、⼦会社に異動させてくれたんです。「1年の猶予期間を与えるから、その間に⾝の振り⽅を考えて!」ってね。

温情ですね。でも、危機感があることには変わりがない状況ですが。

私は会社からお給料をもらいながら、⾃⼒で稼がないといけない先輩たちのアシスタントを続けていたんですが、このままじゃダメだなって意識はずっとあった。そんな時に、お世話になっていたフォトグラファーの⽅が「倫ちゃんが⼀番したいと思ってることの、近い場所に⾏った⽅がいい」と⾔われて。

「当時の会社の先輩たちは⼈情深いし、みんな優しかった。⼈にはすごく恵まれていたなと思いますね」と倫⼦さん。

背中を押してもらえたと。

そうですね。当時は写真家になりたいとはっきり⾃覚していたわけではなかったのですが、モデル撮影や雑誌の仕事の現場も⾒てみたかったし、思い切って東京に⾏こうかなという感じで。⼊社して1年半で退社し、上京することにしたんです。

「⼀番したいと思ってることの、近い場所に⾏く」って、いい⾔葉ですね。

ほんと、その⾔葉は今でも私の中に強く残ってるから、若い⼈に将来についての悩み相談を 受けると、同じように⾔うことは多いですね。

「浅葉克⺒と申します」って留守電が、3回も⼊ってて。

上京後は、誰かのアシスタントに?

レンタルスタジオに勤務して、毎⽇いろんなフォトグラファーの⽅のアシスタントをしていました。指⽰の出し⽅や準備も様々だし、⼤阪で学んだ基礎技術がどんどんアップデートしていく感じ。

なるほど。ちなみにプライベートでは、作品作りもしてたんですか?

⾝の回りある何気ない⽇常の⾵景をずっと撮ってました。今の⾃分の作⾵とも、⼤きくは変わってないかな。オフの⽇は⾃分の作品作りのために撮影して、撮りためた写真を編集してまとめる⽇々。何度か公募の賞にも応募したりしていましたね。

そして、「ひとつぼ展」(現「1_WALL」展)でグランプリを獲得したと。

ちょうどスタジオを辞めて半年くらい経った頃。フリーのアシスタントをしていた時期ですね。グランプリを受賞できたことはすごくうれしかったんですけど、その前にもビックリなことがあって…。

何ですか、ビックリって!気になります。

当時の審査員だったアートディレクターの浅葉克⺒さんから、⼊選の発表前に直接電話が あったんですよ。当時はスマホなんてないし、家の電話に留守電が⼊ってました。「浅葉克⺒と申します」って。最初は友達のイタズラだと思ってたんだけど、その後また2回も留守電が⼊ってたから、「本物かもしれない、、」と。(笑)。

疑いますけど、3回も留守電に⼊ってると信じますよね。

だから、すぐに連絡先を調べて電話したんです。「写真⾒たよ。⼀緒に仕事しよう」と⾔っていただいて。⾃分の中で完全に状況を整理できない感じでした(笑)。

そりゃ、そうなります。グランプリ受賞の報告は、その後ですもんね。

そうですね。グランプリをいただく前に、浅葉さんとの仕事をご⼀緒させていただきました。フリーのアシスタントから突然状況が変わり、しかも最初の仕事がある企業の広告でしたから。

いきなり尽くし!どんな撮影だったんですか?

実際にある地⽅のお祭りを撮影するという仕事でした。年に1度だけのお祭りで、しかも撮影は夜中。もちろん、撮り直しのきかない⼀発勝負。スタジオでの経験がいきなり活かせない状況だし、ただ撮れているだけじゃなくてクオリティーが求められるから、プレッシャーもすごかったですね。でも、撮影が終わってからは、それまでに体験したことがない深い充⾜感を味わいました。この仕事は⾃分の天職だと思えたかな。

写真を撮るたびにブックを作り直す。その繰り返しの⽇々が、⼤切だった。

「ひとつぼ展」でグランプリを受賞して⼤きな仕事も舞い込み、順調なスタートですね。そこから最初の写真集を出すまでの4年間は、どんな⽇々でしたか?

「ひとつぼ展」は個展開催ができる公募展なので、⾃分の個展をすることもできたし、浅葉さんともたくさんの仕事をさせてもらえました。ただ、⼀歩は踏み出せたけど、⼆歩⽬がなかなか踏み出せなかったんです。

好きなことに夢中になってきたことの積み重ねが、倫⼦さんの今の写真に表現されています。

その⼆歩⽬には、どんな姿を思い描いてたんですか?

やっぱり写真を⽣業にする以上、写真家としての写真集を出したい思いが強かった。賞をいただいて個展ができたり、⼤きな仕事を任せてもらえたとしても実績は少ないし、結局は⾃分の作品を作り続けるしかないなって思ったんです。

写真をひたむきに撮り続けるしかないなと。

そうですね。写真集を出版する前に、写真家として認知されようって。作品をどんどん撮りためてブックを作り、いろいろなアートディレクターさんにも⾒てもらい、出版社に持ち込む。でも、全然ダメだから、何度も何度もブックを作り直してましたね。

⾃分の写真とどんどん向き合ってたんですね。

今思うと、そうした4〜5年の時間がとても⼤切だったんだなって。広告の仕事に続き、雑誌の仕事も徐々に増えるようになっていきました。

そして、最初の写真集が3冊同時に出版。この展開もスゴ過ぎます。

あるアートディレクターさんに紹介してもらった出版社のリトル・モアに⾏ったら、スムーズに出版の流れになりました。ただ、その時は3冊同時じゃなかったんですよ。まずは『うたたね』を出して、順調にいけば1年後に『花⽕』を出す流れだった。でも、佐藤真監督のド キュメンタリー映画『花⼦』の写真集を撮影する話が偶然そのタイミングで出てきて、「だったら3冊同時がおもしろいんじゃないか」ということに。

そんな偶然を引き寄せたんですね(笑)。

そうですね。⾃分の作品を作り続けて良かったなと思いました。

今まで⾃由に⽣きてきた⾃分が変わるほど、⼦どもって魅⼒的な被写体。

では、今回刊⾏した『as it is』についてもお話を聞かせてください!写真集を⾒ましたが、⼦どもという存在の⽣命⼒と、今そこにしかない⽇常の⼤切さを改めて感じました。

職業柄、いつかカタチになればと思って撮ってはいましたが、基本的には⼦どもの成⻑の記録として残しておきたいという思いもありました。⼦どもって本当に魅⼒的な被写体で、撮影している私⾃⾝が⺟親⽬線の時もあれば、写真家⽬線の時もあるんですよね。そんな瞬間が混ざり合ったような写真集かなと。

写真集『as it is』から。たった⼀枚のこの写真にも、ひしひしとあふれてくる⽣命⼒を感じます。

⼦どもが⽣まれて、倫⼦さん⾃⾝で変わったことはありましたか?

うーん、⼈間としては変わりましたね。これまで⾃分のことだけでしたけど、責任が芽⽣えたと⾔うか、死んだらアカンなって(笑)。この⼦が成⼈するまでは。

めちゃくちゃ分かりやすいですね(笑)。

お腹にいる時は、⼦どもとの⽣活が全然想像できなかったのに、いざ産まれたら⼦ども中⼼になるんだなって。それに、1歳2ヶ⽉の時に都内から千葉に引っ越して、オンとオフの切り替えがくっきりできるようになったのも⼤きかったですね。

そうした⽇常が、たくさん記録されてますもんね。ここに記されてる⾔葉も、倫⼦さんが?

そうですね、⽂章を書くことも好きなんです。撮るだけじゃなくて、書くことでも⾃分の状況や考えを整理できるし、写真とは違う気づきを得ることもあるから。あの瞬間、私はそう思っていたのかって。逆に、そこの視点が写真に引き出されることもあったりして、写真と ⾔葉は補完しあう作⽤もありますね。

素敵な写真と⾔葉があふれてて、写真集なんですけど、ノンフィクションのドキュメントを⾒てるような気がしました。今⽇はありがとうございます。関⻄の倫⼦さんファンの皆さん、ぜひぜひ個展に⾜を運んで、『as it is』の世界を体感してみてくださいね!

⼤阪のRAURAUJI galleryにて、個展「as it is」を開催。

⾃⾝の⼦どもや家族とともに、⽬の前の⽇常⾵景を⾒つめ直し、原点に⽴ち返った写真集『as it is』。ささやかな物事に宿る⽣命の美しさと、その気づきから積み重なっていく⽇々。何気ない⽇常の切実さを改めて⼤切に思う現在だからこそ、これまでの⾵景が違う層を⾒せながら、新しい時代を⽣きる私たちに寄り添います。
写真作品のほか、新作の映像作品も展⽰。会場では、10⽉に刊⾏された、Fasu.jpの連載をまとめたエッセイ集『そんなふう』(ナナロク社)も販売予定。また、同時期に天王寺のスタンダードブックストアでも「『as it is』『そんなふう』刊⾏記念川内倫⼦ミニ展⽰&選書フェア」も開催されます。関⻄⽅⾯で作品を⾒ることができる貴重な機会、ぜひ会場に⾜を運んでみてください!

写真集は会場のRAURAUJI galleryでも購⼊可能です。

写真展/『as it is』
会場/RAURAUJI gallery
住所/⼤阪府⼤阪市⻄区江⼾堀1-23-14 新坂ビル020
会期/2020年11⽉12⽇(⽊)〜12⽉5⽇(⼟)
時間/12:00〜19:00(初⽇のみ20:30まで)
休廊⽇/⽇曜⽇・祝⽇
URL/http://raurauji.jp/exhibition/

刊⾏記念フェア/『as it is』『そんなふう』 川内倫⼦ミニ展⽰&選書フェア
会場/スタンダードブックストア(⼤阪府)
住所/⼤阪府⼤阪市天王寺区堀越町8-16 TENNOJI BASE 1F&2F
会期/2020年11⽉13⽇(⾦)〜12⽉6⽇(⽇)
時間/11:00〜20:00(最終⽇は17:00まで)
定休⽇/⽕曜⽇
URL/http://www.standardbookstore.com/

Profile

川内 倫⼦

写真家。1972年、滋賀県⽣まれ。写真家。2002年、『うたたね』『花⽕』で第27回⽊村伊兵衛写真賞受賞。2009年に第25回ICPインフィニティ・アワード芸術部⾨を受賞するなど、国際的にも⾼い評価を受け、国内外で数多くの展覧会を⾏う。
主な個展に、2005年「AILA + Cui Cui + the eyes, the ears,」カルティエ現代美術財団(パリ)、2012年「照度 あめつち 影を⾒る」東京都写真美術館、2016年「川が私を受け⼊れてくれた」熊本市現代美術館などがある。著作は写真絵本『はじまりのひ』(2018年)、作品集『Halo』(2017年)など多数。

http://rinkokawauchi.com/

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