《大阪でいちばん好きな建物は大丸心斎橋店だと思って、それから「どこで」と限定するのがおかしいと思い直して、とにかく好きな建物のところにいるのが楽しい気持ちで、比嘉くんが待っているはずの場所へ視線を移すと、比嘉くんがいた。 ――柴崎友香「ポラロイド」》

 いつもふらふらしていた。平気でひとりでうろつけるようになったのは大学に入って半年ほどが経った頃だろうか。

 兵庫県の南東に生まれ育ったわたしはあまり別の街へ遊びに出かけたりせず、高校時代までは阪急梅田駅が自分にとっての大阪で、阪急梅田の駅構内にある紀伊國屋書店の下に地下鉄が走っていることも知らなかったし、その地下鉄に乗ればその先に心斎橋や難波という大きな街があり、10分程度で到着することも知らなかった。
 ミナミ。その街は本や映画のなかに時おり出てくる場所で、そこへ実際に自分が行けるとも、大学に上がるまではこれっぽちも思っていなかったのだ。

 東大阪の大学に通っていたので鉄道三社の定期があり、七年間の大学生活のあいだにさまざまな大阪の街をいっぺんにおぼえた。難波や心斎橋のいわゆるミナミに足を踏み入れたのは、大学に入学し人生で初めて好きになった男の子がバンドマンで、放課後、その子にアメリカ村に連れて行かれたのがきっかけだった。よくある話。その後にミナミに居つくようになったのもよくある話で、好きな男の子のバンドと友だちのバンドが共同ライブを開催するというのでアメリカ村のFANJ twiceに観に行き、その打ち上げで訪れた三角公園近くのバーに気に入られて常連となり店員となり、やがてバンドのライブだけでなくクラブ遊びもおぼえ、そこで遊んだあとに三日間朝昼夜とちがうバイトで働き続け、大学で授業を受けたり日向でぼんやりタバコを吸ったり、それからまたミナミに戻ってバーのソファで仮眠してまた働いて、また遊んで、といった馬鹿げて愛おしい生活をくりかえしていたらいつのまにか自分の居場所のひとつになった。

 最初に好きになった男の子にはぜんぜん別れる気配のない彼女がいつづけて結局実らず、気づけばほかの男のひとと恋愛関係になっていたり、思い返せば返すほど、ほんとうによくある話。

 ややこしい恋愛だの男女関係だのを三つも四つも抱えていた。友だちの意味の複雑さも知った。これまたほんとうによくある話なのだけれど、20歳自前後の自分にとってはすべてが新しい、すべてが美しい、すべてが辛く苦しい、何よりも大切な自分だけの物語だった。

 だから、ガラケーや登場したての初期iPhoneで、大阪の街で過ごす日々にまつわるあらゆる写真を撮り、ブログをつけていた。

 リアルの友人知人には教えていない投壜通信のようにささやかな写真ブログはわたしの生活の一部で、そして街を透かし見るためのレンズでもあった。リンクや検索を手繰ってなぜだかそこへたどり着いたわたしの写真ブログの読者たちは、わたしの小説によく似た、けれど似ているからこそけして小説ではない生活やそこに登場する大阪の街を、いったいどんな気持ちで日々見てくれていたのだろう。10年近く言葉を投壜していたブログサービスはいずれも閉鎖され、広がっていた海はもうどこにもない。

 それでも記憶は消えたりしない。干上がって消えてしまった海に漂っていた若いわたしの日々の言葉たちは、写真たちは、乾いた砂の上の貝殻や海藻みたいにたぶん今もこの街のいたるところにこびりついて光っている。

 イヤホンを耳にねじこみ音楽アプリを起動して地下鉄御堂筋線に乗り、海底のような黒い車窓をぼんやり眺めながらキタからミナミへ向かい、心斎橋駅に到着する。さまざまな方向へひとびとが渦巻くホームの喧騒を抜け、エレベーターをいくつも上がり街へ出る。大丸心斎橋側もOPA側も、どの出口から出ても一歩踏み出した瞬間、さまざまな店の香ばしい匂いが広い道にそれぞれ浸み出してきては交わっていて、いつだってそれを胸いっぱいに感じる。
 ふと気配を感じて振り向くと青空に葉むらを透かすイチョウ並木。
 その下に、10年近く前のわたしがいる。当時好きだったひとと落ち合うその時間まで、ひとりふらふらと時間を潰し、視界に流れ込んでくる風景にガラケーを向け写真を撮ってはメール画面をひらきプチプチ、プチプチとその時の想いを日記として綴り、自分のブログに送信しているすがたが見える。その時に書いた言葉も、イチョウの木の根もとに刻みつけられたまぼろしのようにはっきりとそこに見える。蘇ってくる。
 この街の角を曲がる度、好きな場所に足を向ける度、いつかの遠い日々に何度も何度も身を寄せた場所の前を通る度、過去のわたしの言葉や粒子の荒い写真が見える。

 わたしが過去だと思っているわたしは今もこの街で確かに生きている。
 わたしが過去だと思っているその世界で、消えたわたしは今もまだ同じ時間を生きていて、初めてアメリカ村に来た日のわたしが、好きなひとにひどい目に合わされて泣くこともできずに商店街の路地のジャンカラで男友だちと朝まで歌っていた日のわたしが、「一枚のアルバムでもみんなで楽しく踊れんねんで」と笑うDJの流す音にいつまでも揺れていたかった日のわたしが、明け方に添い寝友だちの家に上り込む日のわたしが、そこで寝起きに折り紙を折った日のわたしが、今のわたしが、それぞれの世界の岸辺に裸足で立って生きている。
 今この瞬間、互いを憶い出しあって、見つめ合う。

 今はもう消えてしまった、10年近いあいだ書き続けた写真ブログは、全部ではないけれどスクリーンショットに残している。
 止まった水面。
 7年前に心斎橋にいたある日のわたしはこう書いていた。大学入学以来誰の一番にもなれない恋ばかりを繰り返し、心身をぼろぼろにして男のひとを支えていた似た者同士の親友とわたしが、ようやくその自己犠牲から卒業できた頃のこと。心斎橋から家まで真夜中にドライブをしたその晩の日記だ。

〈わたし達はいま、他人の舞台で生きてる。すべてが疑似体験だというのに、あまりにそれが楽しいから、他人の活躍のための小道具を出してあげたり引いてあげたり、緞帳を上げ下ろししてあげることだけで満足してしまっている。それではいけない。わたし達もそれぞれ、自分の舞台でもがかなきゃいけない。「若者」としての時間はもうほとんど残っていない。
 わたしはこれからどう生きてゆくのだろう。光り輝く世界がレンズに注ぎ込まれ、ふくらむ今がある。レンズの内側からレンズの外側へ。
 そうしてまたそのはざまで水になる。〉

Blogger

磯貝依里

本を読むのが好き。DRESSにてオムニバス短篇小説連載「やがて幻になるこの街で」、Horlogerieにて書評エッセイの連載、ほかエッセイの執筆、文学トークイベントなど活動中。

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