コラージュは人生とリンクする。コラージュアーティスト・ASOTAさんが、挫折と選択を繰り返して見つけた、いつでも心に“遊び”を持つ生き方。
スケートで広い世界に飛び込んだつもりが、逆に狭めてた。映像ではなく、自分に合ってる表現はコラージュなのかもと気づいた。

それで芸大を目指し始めたんですね。受験の結果はどうでした?
現役のときは1次試験に受かって2次で落ちちゃって、浪人しました。スケートも我慢して毎日予備校に通って、デッサンや色彩構成をひたすら勉強。いつ受かるかも分からない暗いトンネルを走り続けているようですごく苦しかった。そして浪人1年目の春も、2次試験で落ちてしまって。
なかなか狭き門ですよね……。
落ち込んだ気持ちをリフレッシュしようとスケートを再開した時期に、『UNOWN』で映像を撮ることになったんです。今は海外のトッププロで活躍するスケーターも含めて、ヤバい奴らと一緒に滑って、間近で撮影して作品を作っていく中で気づいたんですよね。「芸大に行ってアートの勉強をしたかったけど、自分が本当に活動したい場所はすでにここにあるじゃん」って。

求めていた場所が、すぐ近くにあったと。
親を説得して受験をやめ、そこからはバイトしながらUNOWNの専属フィルマーとして映像を作る生活に入りました。その時も毎回デッキにコラージュしていたし、映像をきっかけにコラージュに注目してくれる人も出てきて。シンガーのMALIYAさんのイベントフライヤーが、コラージュとしての初めての仕事になりました。そこからCDジャケットの依頼なんかも来るようになったんです。

フィルマーとしてもアーティストとしてもやりたいことができていて、すごく理想的な活動ですね。
映像の世界に飛び込むきっかけになったTBPRの『LENZ 3』にも参加できて、フィルマーとしてもアガってたんですけど、一時期スケートから離れた時期があったんです。ちょっと精神的に病んじゃって……。
ストリートスケートの撮影って本当に過酷で、丸1日撮影しても、映像として使えるクリップが3秒だけとかザラにあるんです。街で怒られるのは当然だし。いろんな人から期待されてたんですけど、生活リズムが崩れて精神的に追い詰められちゃったんです。しばらくはスケートも制作も何もできなくなっちゃって。

メンタルバランスが崩れちゃったんですね。
自分は芸大の世界にとらわれずにもっと広い世界にって思っていたけど、逆にスケボーの世界だけになってしまってた。それですごい落ちちゃってたんだと思います。そんな時、CDのジャケット制作のコラージュワークで、すごく良い作品ができたんです。それまでは「フィルマーとして生きていくんだ」と自分を追い詰めていたけれど、もしかしたら自分に合ってる表現ってこっちなんじゃないかって想いが強くなって。当時遠距離で付き合ってたパートナーが大阪に住んでたのもあって、地元を離れて関西に来たんです。


なるほど。それで関西に移住して、コラージュアーティストとして再スタートをしたわけですね。いつ頃から関西に?
5年前くらいですね。来たばかりの時は、こっちにいたスケーターの知り合いにも会いに行きづらかったんです。シーンから離れた後ろめたさがあって。でもこっちでもスケートはしてたし、友達もできてやっぱりスケートっていいなって思えるようになったんです。一番の転機は<Whimsy>の(中井)宗太くんの存在でした。
<Whimsy>とはコラージュアートで何度かコラボしてますよね。
昔から映像の試写会をさせてもらったりと繋がりはあったんですが、来たばかりの時はなんとなく後ろめたくてショップに行きづらかった。でも、僕が展示をしたときに宗太くんが来てくれて「アソタ、今こんなんやってんのか! お前やっぱ只者じゃなかったな!」って言ってくれたんです。僕がスケートから離れたとか関係なく、純粋に僕の今の表現を見て評価してくれた。


表現者として、もう一度スケートカルチャーに戻れた。めっちゃ嬉しいですよね。
自分のやってきたコラージュが、もう一度スケートシーンと繋がれた感覚が大きな自信になりました。コラージュアーティストとして活動してると、スケートとリンクする部分もかなり多かったんです。

コラージュのどんな部分がスケートと繋がってると感じるんですか?
スケーターって街を移動しているときに常に“スポット”を探してるんですよ。手すりとか坂とか壁とかを見て「あそこならこんな技ができるかも」って具合に。それって、街の景色から一部を切り取って、自らの発想で表現を作ることなんですよね。本や雑誌から素材を切り取るコラージュもまったく同じ。映像も同じ感覚で、これまでやってきたことが僕の中で全部繋がってたんですよね。


ASOTA(あそた)
1995年神奈川県葉山町生まれ、大阪在住。16歳でスケートボードの映像制作を始め、映像作家として創作活動を開始。19歳の頃、地元逗子市のスケートショップ UNOWN で、スケートデッキのグリップ面にコラージュを施したことをきっかけに、アナログコラージュの制作を始める。
スケートビデオの編集を通して培った、異なる断片をつなぎ合わせることで、想像していなかった新たな世界を立ち上げる感覚。それはやがて映像からコラージュへと受け継がれ、現在の制作の根幹となっている。
古書や雑誌などから見つけた写真や印刷物を、拡大・縮小することなく本来のスケールのまま切り取り、緻密なカットワークによって組み合わせる。一見すると自然に調和しながらも、細部には矛盾や齟齬が潜み、「しっくりくるのに、どこか辻褄が合わない」独自の視覚世界を構築している。
その背景にあるのは、自身の名前「遊太」にも由来し、人生の軸として大切にしてきた「遊び」の感覚である。スケートボードのためにつくられていない街の風景からスポットを見つけ、そこに新たな可能性を想像するように、既存のイメージの中から断片を発見し、組み合わせることで、現実から少しだけ離れた世界を立ち上げていく。
ここでいう「遊び」とは、単なる娯楽ではなく、日常の中にある可能性に気づくための余白や余裕でもある。現実と想像の世界を行き来しながら作品をつくることで、鑑賞者にもその感覚を手渡し、日常へ戻ったときに、いつもの世界をもう一度違った視点から「遊ぶ」きっかけを生み出すことを目指している。